香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 ヒート休暇のお店番5

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 昨日とは打って変わって、ランはパン屋の昼のピークが終わる前から、お客さんが途切れると無意識にため息ばかりついてばかりだ。

 実は今朝早くからメテオがでかけてしまって、キドゥにいく前にまた会えなかったのだ。起こしてくれてもいいのにとランは口には出さずとも内心珍しく拗ねていた。

 昨晩もメテオと少し話がしたいと思い先に寝室に入ると、またなにか父と打ち合わせを始めた兄を待っていた。

 しかしランは慣れないパン屋の仕事で思いの外疲れていたのか、本を抱えたままいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 そのあと夜遅くまで作業していたメテオが戻り、寝落ちしたランに布団をかけた形跡はあったものの、昨晩からおやすみのキスもおはようのキスもなし。
 ハグもなければ行ってらっしゃいのキスもなくて。ランは早くもメテオと離れることへの自分で解消のできないもどかしい寂しさを感じていた。もう少し小さな頃、兄と父とが仕事で数日留守にすることもあったのに、なんでもっと大きくなった今、こんなにも胸が苦しいほど兄が恋しいのだろうか。

 きっかけはそう…… 数週間前、バース性の専門医にかかってバース検査でついにオメガと判定された辺りからだ。

 ランはどういうわけか一昨年ぐらいから他の子どもよりも頻繁にバース検査を受けていた。
 田舎町の子など発情期が来て初めてバース性がわかったという子など昔はよくあることだったらしい。しかしソフィアリが招致した医師が保養地でゆっくり晩年を過ごしながらもバース性の権威でもあるため、こんな田舎のハレへでこまめに検査を受けることができるのだ。

 ランは別に自分がどのバース性でも受け入れるつもりだった。ジタバタして変わるわけでもないし、出来ればこの街で暮らしたいという願いだけ通ればいいと思っていた。

 オメガの判定がなされた時。
 医師からオメガは男性でも女性でも子どもを産むことができ、アルファ性の人間とは結婚のように番という、一対のパートナーとして人生をともにすることができると教えられた。

 あとは家族がゆっくり教えるからと兄に促されて細かい説明は後回しになった。とりあえずアルファに首を噛まれてしまうとその相手と嫌でもパートナーにならなければいけない。だから本当に好きな相手としか番になってはいけないと兄に滾々と教えられたのだった。

 本当好きな相手と番うこと。

 ソフィアリ様とラグ様は子宝には恵まれていないものの仲睦まじいことで有名な番同士だ。
 しかし大好きな父様と母様は番同士ではないカップルだ。仲はいいし、メテオ兄さんも産まれたけど番ではない。そのことはすごく悲しいことらしく優しい兄の怒っている顔をみたのはその話をしたときが初めてだったように思う。

 ランには好きな相手がいるかと言われればそれは兄や父や母をおいて他にはない。

 兄はアルファというオメガと番うことのできる性を持っている。

 その時ふと過ぎった考えがランの胸に寂しさとモヤモヤとしたもどかしい苦しさを寄せては返していく波のように何度も運んでくるのだ。

(兄さんが番を作ったら…… 今みたいに一番近くで一緒にはいられなくなるのかな……)

 離れるたびに夜に冷たい風が吹いてきたときのような心細さに襲われるが、ランはこの気持ちをなんと呼ぶのかまだ名前を知らないでいる。



 なんだか浮かない様子のランにリアムは気をひこうと、祭りの見どころである海の女神を称える舞踊や各々の店が考えて作っている海の女神祭りオリジナルの商品のことなどあれこれと声をかけた。

「あのさ、ラン。メテオ兄、仕事忙しいんだろ? 花火見る前に俺と出店回らないか? キドゥで人気の店の甘いものとか小間物売る屋台も何軒が出るからみにいこう」

「え、あ…… 」

 またぼんやりとしていたランにリアムは苦笑しながら上の棚から順に焼きたてのパンを補充していく。

「ランさあ、俺お前のこと口説いてるってわかってる?」 

「口説く?」

 かがんだまま小首を傾げ下の棚に紙袋を補充する手を止めたランに、リアムは呆れたように大仰にため息をついてみせた。

「俺、お前のことが好きなんだよ。好きだから傍にいたくなるし、みんなと一緒じゃ嫌で俺とだけ花火に行って欲しかったんだ」

「みんなと一緒じゃ嫌……」

 ぽぽっとランの頬が林檎のように紅くなり、上目遣いにじっとリアムを見つめ返す。
 リアムはその甘い目線に口元を緩めた。

「ランてさ? メテオ兄のせいで周りともあまり関わらないできただろう? でもこの街で生きていくためにも、もしかしたらいつか外の街に行くためにも。沢山の人と交流して色んな見識を広めるといいと思う。トビアスたちはキドゥの商業の学校に通う準備してるし、俺は中央にある親父が勉強してきたパン工房に祭りが終わったら勉強しに行く。そしたら2年は戻らない。だからさ…… 明日の祭りの最終日俺と回ってほしいんだ」

 まあ、つまり。思い出作りの一環もあって、あわよくば修行を終えて帰ってくるまでリアムのことを待っていてほしくて…… ランを思い切って誘ったのだ。

「みんな色々考えているんだね」

 ランはまたしても自分だけが取り残されて行くような気分に陥った。いつも明るくてくよくよすることはなく、その時自分に与えられたことを全力で取り組もうと思ってきたが、周りは兄も含めひと段階先に進んでいるようだ。
(もっと色んな人といろんな話をしてみたい)

 しゃがんでいたランが立ち上がるとショーケースの向こうにまた列ができ始めた。
 髪を美しく編み込まれた姿で描かれる、海の女神の長い髪を模した、香ばしいみつ編みのパンを買い求める人の列だった。
 工房に行っていたミリヤがまた孫の尻を叩いて追い立てる。

「婆ちゃん痛えよ。ラン、明日の午後な?! 迎えに行くから絶対に行こうな?」

 ランは思わず頷いてしまった。リアムはそれはもう喜んで大きな体を揺するようにして両手を上げると意気揚々と工房へ引き上げていった。



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