香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 ヒート休暇のお店番 1

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 🏵これはまだ、アスター香水店が代替わりする少し前の頃のお話🏵

 ハレへの街はオメガと婚姻している人が少なくない。
 南にオメガの楽園があるという噂を聞きつけて、国中から辿り着いたオメガが多く、彼らは自分の才能にあった職種に性別の分け隔てなくついている。

 その為、ヒートに入るオメガとその家族に対して、ハレへの街の商工会の中には、ヒート休暇という制度が存在している。

 従業員のオメガがヒートに入ったときはパートナーと共に店を休まざるを得ない。その間休暇制度を使えば、商工会に所属する別の店の人間が休暇に入ったものの代わりに店を助けに来てくれるのだ。



 今日も晴天のハレへの街は、来週から開かれる「海の女神」祭りを前に少しずつ中央からの客足が増えてきていた。
 坂道を登ると人気のラベンダー畑へ通じるハレへの坂の商店街は、白い外壁の小さな愛らしいお店が櫛のように細かく並んでいる。ショーウインドウにはお店自慢の品々が個性豊かにディスプレイされて街に活気を与えていた。今はちょうど海の女神にちなんで硝子に貝殻や白い小石と真珠、それに女神の慈悲を表す光沢ある青いリボン使った装飾が多い。

 親子で営むアスター香水店も今の時期は青い香水瓶をメインに据えた設えだ。

 祭りのための室内装飾が施された店内で、今朝はいつも以上に清掃に念を入れて開店準備に取り掛かっている。

「僕がミリヤ婆さまのパン屋さんをお手伝いするの?」

「そうだよ。ラン。いつも店番をしていたお孫さんがヒートに入って、初めてヒート休暇を使うそうだ。ミリヤは昔からランを可愛がってくれているからそのお礼も兼ねるといい」

 ニコニコとした父メルトとは対照的に見たこともないほど不機嫌な顔をした兄のメテオが、『よりによってあの店か』とぶつぶついいながら、ランの隣にしゃがんで飴色の艶のある棚を磨き上げている。

 父は昨晩商工会の打ち合わせで飲みすぎたらしく今朝は店に来るのが遅かった。その席でパン屋のお孫さんのヒート休暇の話が出たらしい。

 メテオは掃除を慌ただしく終えると棚にふきんを置き去りにして勢いよく立ち上がる。

 香水瓶を丁寧に拭いていたランから瓶を受け取りやや雑に棚に戻すと、ランの顔を覗き込んだ。

 まだ兄の肩口までも背丈のないランは一生懸命上目遣いで兄を見上げてくる。
 長い睫毛がくるんとした、星を散りばめたような煌めく朱赤の目。ぷっくりと柔い頬、細くて形の良いまゆ毛。いつ見てもその姿は鮮やかかつ可憐だ。
 正直こんなにも愛らしい子は他にいないと思う。兄のというか、惚れた欲目だが。
 メテオだけを見つめてはにかむこの角度は特にたまらなくて、見るたびに心躍るお気に入りの姿だ。

 しかし今はそれどころではない。

「いいか、ラン。嫌なら断るんだ。お前には無理だ」

 ランは香水店の仕事やこの地域や国の地理、計算術は兄から教わり、基本的な読み書きはソフィアリの館にいたごく小さい頃、農園のオメガたちと学んできた。
 パン屋を手伝うぐらいは困らないだろうとランは思うのだ。
 今ではもう父の店で店番やおつかい、雑用を一手に引き受け兄や父を手伝っていた。

 しかし父の提案を聞く耳を持たない態度でいる兄に、自分はこの店で思うほど上手く働けていなかったのだとランは少しは寂しく思った。

「僕、この店であまり兄さんたちの役に立ててない?」

 萎れた花のように下を向いたランのつむじを見て、メテオはしまった言いすぎたと反省する。愛するランを悲しませるのはまったくもって本意ではない。

 いつでも自分だけを映して欲しいのに長く濃い睫毛に彩られた瞳は伏せられ、悲しみの沈黙が流れた。
 またやってしまった。客の前では父のアスターが乗り移ったかのように、時に軽薄なほど如才なく振る舞えるのに、どうして最愛の前ではこうも上手くいかないのか…… メテオは自分の意思を通したいばかりにランを悲しませてしまうのだ。自分でも大きな欠点だと分かっている。

 しかし、パン屋は駄目だ。いや他の店でもメテオの傍以外はどこも駄目だ。自分の目の届かないところに行くのがとにかく駄目なのだ。
 メテオはそれをどう言って伝えればいいのかを考えあぐねる。

 その隙を見逃さず、父は年老いてもなお俊敏な動きを見せて、胸元にランを引き寄せて宥めるように抱きしめた。ランはそれはそれは嬉しそうに父の濃紺の上着の袖を掴んで抱きしめて貰っている。
 甘えっ子のランはこういった触れ合いが大好きなのだ。
 しかし実の父であってもカチンとくる仕草だ。ランの頭越しに親子よく似た琥珀色の瞳で冷たい眼差しを向ける息子に父は挑発の笑みを浮かべる。

「よしよし。いい子だラーン。意地悪な兄のことなど放っておいで。お前は暗算も早いし、字も綺麗だ。愛想も良いし、なによりも今のうちから他の店を手伝って見聞を広げることは大切なことだよ。メテオの話は聞かずに自分で決めるといい。この店の他にも好きな仕事が見つかるかもしれんぞ。お前はオメガの判定を受けたのだから、この街でゆっくりのんびりお前のペースで好きな仕事を探していけばいいんだよ」

「わかった」

 ランはいつも通りの明るい声で頷いて、にこにこ、うっとりと父を見上げていた。

 このクソ親父、余計なことを!と怒鳴りたかったが、ランのいる手前それはできない。

 ランの前ではいつでも穏やかで爽やかで明るい兄でなければならないと、子どもの頃から猫を被り続けているメテオだ。
 もはやその人格が自分自身であるかと錯覚するほど板についている。
 それもこれもランがメテオの傍にいるのが一番安全で心地よいと思わせねばいけないからだ。血のつながらぬ弟は、中央に別の家族がいる。
 その者たちが迎えに来たとしてもメテオは絶対に自分がランから選ばれるよう、弟を慈しみ愛してきた。

 父はそもそもの息子の性格も性質も熟知していて、ランを傍から離すことが何より嫌がると知っている。メテオはランが幼子の頃からひたすらに執着し、愛し続けていることも。
 その上でランにヒート休暇の手伝いをさせることについて、なにか父なりの考えがあるのだろう。メテオにはおよそ歓迎できるものではなかったが。

「とりあえず、今から行って挨拶をして、ついでに昼に食べる分のパンを買っておいで」

 ランは小さく頷くとメテオに向かって笑顔で駆け寄り、顔を上向けて目を瞑る。色白の頬は照れて僅かに紅潮している。背の高いメテオの顔に近づきたくて、少しだけ踵を上げつま先でよろけながら立つ。
 可愛らしくお出かけのキスを強請るということは、ランはパン屋に行く気満々ということだ。なかなかキスが降りてこないのを小首をかしげてソワソワと待っている。仕方なくメテオはランの柔らかな唇に大きな自分のそれを僅かに触れる程度に合わせた。
 離れがたい気持ちが瞬時に沸き起こり、無意識にランの腕を掴みかけてなんとか踏みとどまる。

「いってきま~す」

 メルトが懐から硬貨を取り出しランに渡すと、ランはガラスの嵌った木のドアを、ベルがシャランと高い音を立てるほど勢いよく押して元気に飛び出していった。
 子鹿のように弾むその後ろ姿を二人は黙って見送った。メテオはすぐに父親に食ってかかろうと振り返る。

「よりによってよくもリアムのいるパン屋に行かせたな」

 リアムとはランが手伝いにいくパン屋の、もう一人の孫のことだ。ランと年の近い少年で父の仕事を手伝っている。
 昔から何かとランを構いにくるのがメテオは気に入らない。

「お前がランにリアムが送ってよこす試作パンやら花やらを婆ちゃんからって言って渡して、手紙は握りつぶしていたことがバレるからか?」

 図星を刺されたメテオが不機嫌な顔のまま黙った。

「常々言っているだろう。ランにも同年代の友人が必要だと」

 息子の様子を気にも止めずに、父はキャッシュカウンターを載せた台に新聞を広げて読みだした。そして何気なく呟く。 

「メテオ、お前この店を継ぐ気はあるか?」

「なんだよ急に」

「まあな、私もだいぶ歳をとった。このへんが第二の人生も楽しく生きられる潮時ってところだろう」

 久しぶりに明るいところでしげしげと見た父は、座っているせいもあり今朝は嫌に小さくみえる。午前の日差しに白髪が白々と光り、シニアグラスの向こうの目は、少しだけしょぼしょぼしていた。
 勝手に生涯現役を地でいくのかと思っていたが、その姿に朝だというのに落日の寂しさを感じた。

「ランと番になることをだけを考えるのなら、他の仕事について手っ取り早く番になることもできるんだぞ。しかし、継ぐ気があるならオメガの香水作りは避けて通れん。ランをすぐに番にはしてやれんだろう。お前それに耐えられるのか?」

 オメガの香水を作ることはこの家業の使命のようなものだ。オメガの香水はこの地の名物の一つであるし、中央でも引きのある数少ない商品だ。ソフィアリがこの地の若者への教育に力を注いできたが、まだまだ地域を牽引できる次の世代が育ちきったとは言えない。オメガの香水を作り続ける間はオメガの性フェロモンを感じるために番を作ることができない。父はそれに生涯耐えることになった。

「……俺は母さんみたいな思いをランにはさせたくない。でもこの店は継ぎたい」

「それもランの為か?」

「ランは家族でこの店をすることに拘っているから……」

 ランは養子である為、家族の役に立つことで自分の存在意義を見出すことを無意識に求めている。
 メテオはそれでいいと思っていた。家族でこの店を守っていくことがランの望みであるなら叶えてやりたいと。
 しかし父の見解は違っていたようだ。
 新聞を折りたたみ、立ちあがるとキャッシャー横に止めてあったランが小さい頃、アスターの妻と一緒に作ってメルトにくれたラベンダーのサシェを指でなぞった。

「ランは優しい子だ。私達に気を使ってこの店を手伝いたいと言っているだけかもしれない。お前はとにかくランを手元に置きたい気持ちでいっぱいで、そのためにはランの気持ちさえも利用しようとするだろう…… だがなこの小さな街から旅立つことも含めて、ランがやりたい事を探せるように後押ししてやるのも愛情だろう。お前にはできない。だから私がやるんだ」

 それが今回のヒート休暇に他の店の手伝いにいかせるということなのだろう。小さな小さなメテオのこさえた鳥籠から少しずつ外にだす。

 メテオはメテオなりに考えを纏めた。これはきっと父が自分に与えた試練なのだろう。
 ただの海辺の田舎町に香水の産業を起こし、一途に地域を引っ張り若き領主も育て上げた。
 それに比べてみたら、当然メテオはまだ何者でもない。ただのメテオだ。
 父に叶うものなど若さと、ランへのこの熱い気持ちだけだ。

 メテオは端正な顔に格好悪いほどの必死さをにじませ、父の目の前まで歩み寄ると、父の顔前に二本の指を立て翳した。

「店を継ぐ、ランは番にする。2年だ。2年でこの店を継いでオメガフェロモンの香水にばかり頼らない店に作り変える。だから親父もわざわざ周りとランを焚きつけるなよ」

 冬には15歳のランに初めての発情期が来るであろうリミットは2年。そう思い至ったのだ。

 父親に高らかにそう宣言するとメテオはやる気を漲らせ、肩を怒らせたまま、裏の工房の方へ足早に消えていった。

「ああ、うちの店番がいなくなっちゃったなあ~」

 息子の後ろ姿を見送ってぼやきながらも、メルトの顔は眉間のしわもゆるゆるとなり、なんだか嬉しそうにみえた。







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