香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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2 もうひとつの家族 

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 二人で雨の中を駆けていたら、いつの間にか雨はやんで空には虹がかかった。
 歩調を緩めて二人で空を見上げる。
 まだ雨の気配が残り、日の光に細かな飛沫のようなものが視界に舞う中、虹は大きなものとその下に小さなものと二重にかかっていた。

 初めて見る虹にランは空を指差しながら大興奮して、その場でぴょんぴょん飛び上がる。兄のメテオに見せたくてたまらなくなった。

 しかし隣に立つ土地に不慣れなクィートを置いていくわけにはいかなかった。
 クィートは虹を見て大騒ぎをしているランの肩を自然に親しげに抱きよせ、かばんを引き上げ虹を指差した。

「俺の育った中央地域では虹の下に共に立つ男女は幸せをともに掴むと言われている」

「僕は男ですよ」

「でもオメガだろう? 俺はアルファだ」

 びっくりして飛のくランをのがしてやりながら、クィートはいたずらっぽい笑みを浮かべて片眉をあげた。

 そのやや大仰にも見える仕種は、なぜかソフィアリに似ていた。

 そういえばファミリーネームが同じだったからもしかしたら親類なのかもしれない。

「ぼ、僕がオメガかなんてどうしてわかるんですか?」

 漸く警戒し始めて、ちょっとつんつんして聞いてしまう。

 この街に住むものはみな誰がオメガであるか、大体はわかっているからわざわざ言われることなどないのだ。
 なにかそれと分かるような変な癖でも出ていたのかと気になる。

「君のそのフェロモン。たまらなく良い香りだからな。色々な花の香りに果実も混じったような、春の花園みたいな香りだ。
 ……少しキザか?」

 そういって顔に似合わずふざけ、おどけて見せたから、ランも大きく口を開けてあははと笑った。警戒心など数分も持たないランは無邪気に笑う。
 こちらは口の大きな兄のメテオに似た仕草なのだ。

「僕ほとんどフェロモンはでてなくて、匂いなんて他人にもわからないって思ってた。自分じゃ自分の香りわからないし、兄さんも僕の香りのこと何も言わないし……」

「兄さんはベータなのか?」

 それこそランのことを探るような聞き方なのに、ランは全く気にせず話す。

「うーうん。アルファ。アルファの調香師。オメガの香りの香水を作ってるよ。すごい人気なんでしょう? 中央でも」

「ああ。まあな。俺でも紫の小瓶ぐらいは知ってる」

 さらにニコニコしたランに、クィートも日頃やたらニヤつくことのない自分が、自然に笑顔になっていると、ランの持つ力を不思議に感じていた。

「ソフィアリ様の香りですものね!  僕も早く香水になりたいなあ」

 そういったランの顔は途端に寂しげだった。

「兄さんには番はいるのか?」

「アルファの調香師だからフェロモンを嗅ぎ分けるために番は作れないんだ」

「お前は? 番になりたい相手はいるのか?」

 再び肩を抱きつつ、顔をのぞきこんで魅了するように視線をあわせる。そしてゆったりと頸を隠すように長さのある髪ごと、項を指でなぞった。
 項に触れるのはアルファが意中のオメガにするしぐさなのだがランは、初めてメテオ以外のアルファに触れられてドキドキしてしまった。

「僕…… いるけど…… なれないから」

 それでクィートは大体の事情を察したのだった。

「俺なら番にしたいオメガにそんな顔はさせないけどな」

「?」

 無垢で鈍感で経験値の低いランはよくわからなそうな顔で小首をかしげて曖昧に微笑んだ。

 雨上がりに鳥たちが餌を探して飛び立ち、木々からしずくが垂れる。
 キラキラと日の光を浴びてまるで光の珠のように飛び散り美しかった。

「さあ、先を案内してくれ」




 ソフィアリは珍しい雨の後の訪問者に驚きを隠せなかった。
 その訪問者を連れてきたのが他ならぬランだったからだ。

 中央からの書簡と電信で今日彼が到着することはわかっていたのだが、その偶然の符合がなにか運命を回す歯車に組み込まれていたかのように感じた。

 途中雨に濡れながらここまで来てくれたランに着替えと労いのお茶を別室で出すよう使用人に促し、その訪問者に対峙する。

 彼はわざわざランが別室へ行くのを見計らい、穏やかな仕草で手を振って別れてからこう切り出した。

「叔父上、お元気そうで何よりです。ほぼ初対面ですが、甥のクィートです。いまは軍に籍を置きます」

 立派な体躯を誇る彼には、長兄の面影があった。兄とは年が離れていたがちょうど別れた頃の姿に似ている。

「兄上たちは、……セラフィンは息災ですか」

「はい。セラフィン叔父上も番を見つけられて。つい先日、小さな従兄弟が生まれたところです。叔父上にも良く似ていますよ」

 その言葉に、ソフィアリに心の底からの安堵の笑みがこぼれた。双子の弟がついに番を得たことは以前父母からの書簡で知っていたが、甥が生まれたことはこのたびクィート来訪の書簡で知った。
 クィートに託す甥への贈り物を用意して待っていたのだ。

 セラフィンとソフィアリは双子だとは聞いていたが、やはりよく似ている。ソフィアリのほうがやや線が細く、セラフィンのほうがもう少し背が高い。
 しかし美しい面差しと知的な青い目。濡れたような艶が青くみえるほどの黒髪までよく似ている。
 その似た顔が安らいだのを見て、クィートはここに来て叔父と話ができてよかったと思った。

 双子であるのにオメガとアルファとしてこの世に産まれ落ちた二人であったが、アルファであるセラフィンがソフィアリへの兄弟を超えた想いを募らせてしまったため、父母は泣く泣くこの地にソフィアリを旅出させたのだと。
 そしてセラフィンがソフィアリを訪ねたときにはもうすでにソフィアリは番を持ったあとだった。

 クィートはセラフィンと仲が良かったので、仕事一筋で、紫の小瓶の香水をよすがに過ごす寂しげな姿をずっと父とともに見守って育ってきた。
 
 自身もアルファであるから心惹かれるオメガを恋しく思う耐えがたい気持ちはわかるつもりだった。

「それを言いにきたのですか?」

 こんな片田舎でも中央と変わらぬほどに見事な応接椅子に座りながら向い合う。

「先程のあの少年は…… バルク叔父上の子ではありませんか? ミカ様に面差しがよく似ています」

「……その話を知っていたのですね」

「最近偶然知ってしまって…… 私の従兄弟はどのようなものなのか興味を持ちました。ちょうど軍の夏休暇にはいったので。思い切ってここまで来てみました。」

「あの子にその話は?」

 鋭い眼差しに、軍人となっているセラフィンと同じ強い意志を感じる。
 やはり血は争えない。一代でこの地の人々の信頼を勝ち取り人気の保養地にまで高めた人物であるのだから。

 クィートは胸の前に手を上げて大げさな仕草で答えた。

「誓って話していませんよ。ミカ様の秘密自体口に出して良いものではありませんからね。
 あの方は今中央貴族の中でも最も高貴な方の一人。誰もオメガであるなど疑いもしていません。番持ちのオメガなど、フェロモンが効く相手は番のみですし、ずっと発情期も軽い」

 この国がオメガに寛容になったとはいえ、ほんの一昔前はオメガ男子には家督を継ぐ権利すらなかった。
 中央貴族のミカ・アナンは家督を次ぐため、彼を愛する男を利用して番となり、発情期とフェロモンに左右されない体を手にいれた。

 しかしその際に身籠り秘密裏に子を産み落としていた。

「それでも、あの子には知る権利があるのではないですか? 自分の親はまだ生きていて、両方とも中央で政権を握る議会に所属していると」

「必要ありません。彼には今他に家族がいますから」

「番を作れないアルファの?」

 やはり食えない長兄の息子だけはある。
 どこまで話を知っているのか、わかっていてランに近づいたのだろうか。

 首元の小さなベルの形のネックレスに手をかけると、片眉を上げ、険しくなった青い眼差しと、後ろに急激に強まった圧迫感のある気配に挟まれた。

 クィートはまた降参と両手を上げた。
 後ろを振り向かなくてもわかるほどのアルファの牽制フェロモンが漂う。
 クィートもそれなりに強いアルファであるという自負があるが流石に分が悪すぎた。

「あなたが叔父上の番、フェル族のアルファ」

「ラグ。そんなに脅かさないでやってくれ」

 悪びれない口調でそう言うと、ソフィアリはクィートを牽制するように微笑む。
 祖先に獣人がいるというフェル族は人には聞こえない周波数の音も感知できるというが、見た目は人間と変わらない。しかし、膂力などは人より多く名だたる軍や歴戦の傭兵にいることが多い。彼らを敵に回す恐ろしさを知っているクィートは即座に降参したのだ。

「やめてください。本当にここには休暇で来ただけです。ここを人気の保養地にしたのは叔父上でしょう?
 ランとはたまたま偶然に知り合いました。それには流石の俺でも運命くらい感じますよ。まだ幼げな様子だが、美貌で名をはせているミカ様の面差しもあるし、あの信じられないくらい良い香りのフェロモン嗅いだら、俺でなくとも番にしたいものは多いでしょう? そもそも従兄弟同士だし、俺と番えば本来の家に返してやれる」

「意外とおしゃべりなんだな、クィート。本気なのか?」

 するとニヤリと笑って断言した。

「ひと目で気に入った。俺の番にして、本家に招き入れたい。ランにとってもそもそもあるべき場所に戻るのは良いことでしょう?」

「それは故郷を離れた俺に対する皮肉か?」

「俺はセラフィン叔父上をずっと見てきましたからね。どんなに愛しても一緒にいられなくて苦しむのは、辛い」

 自分の全てであった愛するオメガにさられたアルファの半生を。禁じられた関係ではあったが、ソフィアリへの愛は本物であったとクィートは思っている。

「道すがら教えてくれましたよ。あの子は兄を好きなようだけど、オメガの香水を作るには番が邪魔なのだと」

「番が邪魔だなどといういい方はするはずないと思うがな」 

 この短時間の間に勝手にランに肩入れしているクィートにソフィアリはやや呆れ顔だ。

「番になれないという、事実は変わらないでしょう? 俺ならランにオメガとして真っ当な幸せを味わせることができる。そうでしょう?」

 自分に自信があるのは良いことだが、果たしてランを本当に幸せにしてやれるのだろうか。

 父母はセラフィンのことが起きるまで子どもたちに分け隔てなく愛情を注いでくれたし、ここに来るために莫大な財も最強のボディガードもつけてくれた。
 公にできなくとも孫であるランをきっと可愛がってくれるだろう。
 長兄にとっても実の甥。悪い話ではないのだが……

 眩いほどにメテオだけを思って育ってきたランは、番になれなくともずっと傍にいたがるのではないかと思った。

 しかし老アスターと妻であるメテオの母との関係性は必ずしも幸せに満ちたものとは言えないこともよくわかっていた。

 それゆえに、鍵を握る老アスターに彼らのことをどう考えているのか確認することが必要だと思った。
 番にならせず、ランを飼い殺しにするぐらいならばいっそ、中央に返すのも良いかもしれない。

 それとも…… メテオにランをとり、親を捨てるほどの覚悟はあるのか?

「良いでしょう。明日にでもメルト・アスターにあって、ランへの番契約を申し込んでみるといい」

 どちらにせよ、ランはもうじき、発情期をむかえるだろう。それまでには遅かれ早かれ決着をつけねばならない問題なのだ。







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