くんか、くんか Sweet ~甘くて堪らない、君のフェロモン~

天埜鳩愛

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第二章 HOW To ヒート!

27 雨の晩の思い出

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 二人の怒気は空気を震わせるほど、強い。もちろんオメガの青葉はもろに影響を受けた。
 青葉は互いに一歩も譲らぬ大切な男たちがいがみ合うことに耐えきれず、嗚咽を漏らしはじめた。

「うっ……」
「青葉!?」

 青葉の押し殺したすすり泣く声に、黄葉は兄の顔を反射的に覗き込み、尊ははっと大きな目を見開いた。

「俺は……」

 尊は蒼白になり眉根を苦し気に寄せると、ふーふーっと何度か大きく息をついた。そしてすぐに強張っていた表情を和らげ、困り果てたような顔つきで二人に向けて深々と頭を下げ謝ってきた。

「すまない。君たちを怯えさせるなんて、どうかしていた。青葉、大丈夫? 苦しくはない?」
 
 青葉は涙をぼろぼろと零しながら、顔を両手で覆いながらふるふると首を振る。黄葉は同じアルファとして沽券にかかわると、「怯えてないし」と言い返したかった。しかし恥ずかしいことに冷や汗が全身からぐっしょりと吹き出す。緊張と興奮で足が自然と震えていた。

「だいじょう、ぶ……」
「ごめんね、青葉。……駄目だな、俺は」
 
 いいながら尊は脚をぐっとまげて目線を二人の高さに合わせようとしゃがみ込んできた。大きな掌で青葉のくしゃくしゃになったラベンダーピンクの頭を壊れ物でも触るようにそっと撫ぜて手をはなす。

「昨日まではただ、週末にまた君の隣を歩けるのが楽しみで仕方なかった。二人で一緒に駅まで帰った、あの雨の晩みたいにね……」

(尊も……。あの晩のことを大切な思い出にしてくれていたんだ)

 握りしめた拳をぐっと自分の太腿に押し当てたまま、話す語尾が掠れている。

「君の傍に一分でも一秒でも長くいられるなら、それで幸せだと思ってた。一方的に見つめているだけだった君が、俺の事を意識してくれたって、天にも昇る気持ちだったよ。それから、昨日君に頼られて、嬉しかった。俺がこの世に生まれてきたのは、きっとこの子のためなんだって思えた。こんなに広い世界の中で、君に出会えてよかったって心の底からそう感じたんだ」
 
 尊本来の柔和で穏やかな低い声を耳にして、黄葉も安堵の息を吐いた。まだ本能を駆り立てられ荒れた心を鎮めるように、目の前にかかった前髪をぐしゃぐしゃっとかき上げている。ついでに額に滲んだ汗を拭って心をまた通わせ始めていく二人からあえてそっぽを向いた。
 青葉はまだ顔を上げないが、静かに尊の声に耳を傾けている。

「君の望みを叶えてあげて、君から少しでも愛されたかった。俺はたった一晩でこんなに欲深くなってしまった。自分が、恥ずかしい」
「みこと……」
「君の名前を正面から見つめて呼べるだけで心が躍ったよ。君が笑いかけてくれるだけで、腹の奥底から勇気が湧いてきた。何が起こっても俺が君を守ろうって思えたんだ。なのに、俺が君を傷つけてしまった。本当にすまない」
「……」
「君が欲しくて、昨日帰さなかったのは俺のエゴだ」

(欲深いのは、ずるいのは俺の方だよ。尊の全部が欲しいって尊の欲を煽ったのは俺だ)

「……だから今、君の思う通りにしてあげたい」

 その言葉は嘘偽りなく響く。
 青葉はずずっと鼻をすすると、まだ黄葉の胸の頬を押し当てたまま潤んだ瞳で尊の声の方を向く。
 目が合うと尊は眉を下げ、困ったワンちゃんみたいな顔つきになっていた。先ほどまでの恐ろしい雰囲気は鳴りを潜めている。

(よかった……。いつもの尊だ)
 
 目が合って青葉が吐息を漏らし顔を綻ばせれば、尊もまだ少し青ざめた顔のままはにかんだ。
 青葉だけを見つめる眼差しは温かい。あたりに漂っていた尊のぴりぴりと空気を揺らしたフェロモンが、すうっと収まっていく。黄葉は息を飲んだ。

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