香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

番2

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それからアガの力を借りて山小屋に戻ってからの一週間は生涯忘れ得ぬ、蜂蜜のように甘い甘い日々だった。

 目が醒めるたびにヴィオに求められ、時間を気にせず抱き合って、疲れ果てればまた眠る。好きな時に僅かな食事をとって、再び交わる。
 朝も夜も腕の中には愛おしいヴィオがいて、熱く艶めかしい身体を擦り付けあってまた求めあう。世界にただ二人だけでいるかのような素晴らしい日々。

 もちろん小さな山小屋はよいところばかりではない。モルス家の本邸や街中のアパートメントの快適さと比べたら雲泥の差だろう。ふんわりとした清潔な寝台にいつでも暖かな食事が分けなく手に入るか環境とは違う。
 アガが麓からわざわざ運んできてくれた上掛けが追加されたとはいえ、しっかりしすぎてマットはカチカチに硬い。土間には虫やムカデがしょっちゅう遊びに来るし、食事は煮炊きを自分で行い、ぐったりとしたヴィオの身体を何度も湯を運んで清めてやるのも一苦労だ。

 しかし誰にも邪魔されない山小屋の中、朝は鳥の囀る声で目を醒まし、夜はヴィオを抱きかかえ、窓辺で星を眺めながら眠りにつく幸福は何物にも代えがたかった。

 初めての発情期に入って前後不覚に陥ることが多かったヴィオだが、少しずつ正気に返る時間が長くなってきた。そのたびに首筋の傷を触って痛みに顔を顰めては驚き、素肌を晒したままセラフィンに縋り付いていた自分に気がつき、恥ずかしそうに上掛けを被って初心な仕草をセラフィンは微笑ましく眺めている。


 一週間がたったある朝、山小屋の中でたった一人、ヴィオはまるで生まれ変わったかのようなさっぱりと清々しい気分で目を醒ました。
 マットの上には自分だけで、寝ぼけ眼のまま大きく伸びをして煤けた色の天井の梁をぼうっと見上げていた。

 目に映る窓からは秋の穏やかな光が燦燦と差し混んでいる。持ち上げた腕にかかるつんつるてんの袖口の毛玉の付いた水色をみて「はて?」と思う。上掛けを捲ると自分が里にいる時に着ていた子供っぽい寝巻姿で、上掛けも部屋に置いてあった動物柄のそれだとわかって、ショックから見る見るうちに涙が込み上げてきた。

「今までの全部……。夢だったの?」

 起き上がって足を崩して座り込みながら、涙を手の甲で拭い、しくしくと泣きぬれていると、ガタガタぎしぎしと建付けの悪い音がして、外から扉の閂が外されたのが分かった。

「……!?」

「ただいま、ヴィオ」

「セラ! セラがいた!!」

 里のおばあちゃんたちが作る、不格好な籐で編まれた籠一杯に山葡萄を採ってきたセラフィンが驚いた顔をしてこちらを見返していた。

 ヴィオは裸足のまま土間へ駆け下りてふらつきながらセラフィンに飛びつくと、驚きながらもセラフィンは籠をそっとテーブルにおいて、子どもの頃の用にヴィオを高々と掲げ抱きあげた。

 涙の雫が光るふれる大きな瞳を見上げると、雫がぽたりとセラフィンの日に焼けた頬に垂れてきた。

「なぜ泣いてたんだい?」
「セラが、セラがいなかったから」

 しゃくり上げる程泣き出したヴィオを床にゆっくりと下ろすと、安心させようと全身を包み込むようにして大きく腕を回して抱きしめた。

「山葡萄を採りに行っていたんだよ。もうこのあたりの低い位置にあるのはとりつくしてしまってちょっと先までいっていたんだ。ヴィオが山葡萄が食べたい食べたいって毎日強請るから。覚えてないか?」

 ずっと一緒にいたはずなのにヴィオは久しぶりにセラフィンに会ったかのような顔で無垢な上目遣いにしげしげと見つめてくる。

「セラ、頬の上のとこ、傷がある!」
「ああ、これか」

 滝の上からアガと共にロープを使ってヴィオを下ろすときに、並走するように隣を固定したロープ伝いに降りていったのだが、ロープがこすれて落ちてきた鋭い小石からヴィオをかばってできた時の傷だった。急所と言える場所の近くだったのでかなり出血したが何とか耐えた。

「僕のせい?」
「俺の不注意だ。ヴィオが気にすることではないさ。別になんてことはない。兄さんと見分けがつきやすくなったし、箔が付いた」

 そんな風におどけたが、ヴィオは哀しげな顔で柔らかな指先で撫ぜようとしてきた。
 中央の病院であれば、すぐさま治療し跡形もなく治せる程度の傷だったかもしれないが、山小屋の中で最低限の処置をした程度でいたため光に当たると薄く跡が残ってしまうかもしれない。セラフィンにとっては構うほどのことではなかった。

「それよりついに目が醒めたな。身体の具合はどうだ? 首の噛み痕を見せてみてくれ。痛まないかい?」

「首の、痕?」

 急に沢山の熱く狂おしい記憶の断片が浮かび上がってきて、ヴィオは驚きで声も出ずぱくぱくと口を大きく閉じたりあけたりした。

「ぼ、僕! 僕!」
「そうだ。俺たちは番になったんだよ」

 そう言いながらセラフィンはヴィオの足元に騎士のように跪くと、両手を取ってその手の平に口づけた。

「これからよろしく。俺の生涯の伴侶」

 見上げるとヴィオはくすぐったそうに身をよじりフワフワの髪をゆらしながら、大きな目がなくなるほどににっこり細めてはにかんだ。

「よろしくお願いします。僕の、生涯の、伴侶さん。一緒に、ずっと。傍にいてね」

 噛み痕を指先で探るとまだ動くたびにピリッと痛む。その痛みすら幸福だった。
 徐に起ちあがったセラフィンが籠の中からもぎ取った山葡萄をヴィオの唇に放り込むと、自分の口にも野性的に2.3粒一気に放り込んで満面の笑みを浮かべた。それはまるで子供のように無邪気で、彼の心の中の一番素直で柔らかな部分から溢れた温かく優しい笑顔だった。

 甘酸っぱい山葡萄を口に含みつつ、セラフィンの心からの輝く笑顔が見られて、ヴィオは幸せだった。

「夢が叶った!」

(僕は、先生がこんな風に明るい笑顔を見せてくれる日を、子どもの頃からずっと夢見てた)

 嬉しくてうれしくて、また腕の中に飛び込んでぎゅっと胸に抱き着くと、幼き日に感じたセラフィンの変わらぬ綺麗で優美で甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。




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