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溺愛編
あの山里へ8
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セラフィンは柱に近寄ると手を当て瞑目した。かつて人々の声でにぎわった里の跡地に、今聞こえるのは風の音ばかり。アガは大地の女神の祠に手向けるためその場に咲いていた草丈の低い白い花を摘み、ヴィオは小さな岩に腰を掛け、相変わらず赤い顔をしてふうふうと荒く息をつく。しかしもはやセラフィンもアガも、ヴィオに何も言わない。雲が次から次に流れ、風がびゅうびゅうと轟音を立て吹き抜ける。セラフィンは気力だけでよろよろと立ちあがったヴィオの上着の前を掻き合わせてボタンを留めて、勇気づけるようにその肩を強く抱いて引き寄せた。
かつては多くのものが住んでいたという里は、今は岩場にただ鳥の声、風のうねりが残るばかりで物寂しく静まり返っていた。そこから尾根伝いに歩けば、ついに山頂はもうすぐそこだった。山頂を少し越え、反対側の尾根に近いところにある大地の女神の祠を目標に歩き始めた。
もはや山頂は目前で、周りの山々と比べても蒼天すら手に届くほど高い位置にいると言えた。
その時だった。一瞬気持ちが緩んだのか、目の前を歩くヴィオの身体がついにぐらりと大きく傾いだのだ。セラフィンは飛びつくように腕を伸ばして、膝を岩場につくとその細い身体をしっかりと腕の中に抱き止めた。ヴィオの身体は内側から炎を帯びているように熱く、フェロモンはこんなに風の強い場所であっても感ぜられるほどに身の内から泉の如く滾々と湧き上がっている。
ヴィオは仰向けに上半身をセラフィンに抱えられて、心配げにのぞき込む彼の顔越しに青い空と白い雲が飛ぶように流れていくのをぼんやりと仰ぎ見た。
アガは彼らをその場に残してそのまま先を急ぎ、大地の女神の祠に花を手向けると、早々に取って返してきた。
手を伸ばせば指先が届きそうな大空。両手を大きく空に伸ばしている息子は愛する男に抱かれたまま大地の女神、天空の神、そして一族の魂に神聖なる祈りを捧げているかのようだった。
「母さん、叔父さん、叔母さんたち。そして里のみんな。僕の番になる人を連れてきたよ」
そのひそやかな呟きは風に乗ってアガの耳にも届いていた。アガはぎゅっと瞳を瞑ると、眉間にしわを寄せたまま自分も大空を仰ぎ見ながら大きく頷いた。
セラフィンは挨拶をするかのようにヴィオを抱えて立ちあがり、周囲の山々にこだまするほど朗々とした声を張り上げた。
「一族の大切な息子、ヴィオと番になることを、どうか私にお許しください!」
その声は山々を渡り遍く響きわたり、稜線に溶け込むように消えていく。
ちょうどその時、一羽の鷲と思わしき大きな鳥の影が二人の頭上をゆったりと旋回し、またどこかへ飛び去って行った。二人に思わず顔を見合わせる。それが天からのまるで答えのように感じたのだ。
「セラ、セラ!」
ぎゅっとセラフィンにしがみ付いたヴィオから刹那、目の前が真っ赤に色がついて見える程の強烈な香りが爆発的に広がる。
(寮での香りに匹敵するほどの強さだ。ついにきた!)
「ヴィオ!」
涙目になったヴィオも自分自身で自覚があるのか、こみ上げる様々な衝動に叫び声を上げそうになる口を手で覆い、こくこくと首を振って何とか頷いた。
「ヒートだ。ヒートが始まった」
かつては多くのものが住んでいたという里は、今は岩場にただ鳥の声、風のうねりが残るばかりで物寂しく静まり返っていた。そこから尾根伝いに歩けば、ついに山頂はもうすぐそこだった。山頂を少し越え、反対側の尾根に近いところにある大地の女神の祠を目標に歩き始めた。
もはや山頂は目前で、周りの山々と比べても蒼天すら手に届くほど高い位置にいると言えた。
その時だった。一瞬気持ちが緩んだのか、目の前を歩くヴィオの身体がついにぐらりと大きく傾いだのだ。セラフィンは飛びつくように腕を伸ばして、膝を岩場につくとその細い身体をしっかりと腕の中に抱き止めた。ヴィオの身体は内側から炎を帯びているように熱く、フェロモンはこんなに風の強い場所であっても感ぜられるほどに身の内から泉の如く滾々と湧き上がっている。
ヴィオは仰向けに上半身をセラフィンに抱えられて、心配げにのぞき込む彼の顔越しに青い空と白い雲が飛ぶように流れていくのをぼんやりと仰ぎ見た。
アガは彼らをその場に残してそのまま先を急ぎ、大地の女神の祠に花を手向けると、早々に取って返してきた。
手を伸ばせば指先が届きそうな大空。両手を大きく空に伸ばしている息子は愛する男に抱かれたまま大地の女神、天空の神、そして一族の魂に神聖なる祈りを捧げているかのようだった。
「母さん、叔父さん、叔母さんたち。そして里のみんな。僕の番になる人を連れてきたよ」
そのひそやかな呟きは風に乗ってアガの耳にも届いていた。アガはぎゅっと瞳を瞑ると、眉間にしわを寄せたまま自分も大空を仰ぎ見ながら大きく頷いた。
セラフィンは挨拶をするかのようにヴィオを抱えて立ちあがり、周囲の山々にこだまするほど朗々とした声を張り上げた。
「一族の大切な息子、ヴィオと番になることを、どうか私にお許しください!」
その声は山々を渡り遍く響きわたり、稜線に溶け込むように消えていく。
ちょうどその時、一羽の鷲と思わしき大きな鳥の影が二人の頭上をゆったりと旋回し、またどこかへ飛び去って行った。二人に思わず顔を見合わせる。それが天からのまるで答えのように感じたのだ。
「セラ、セラ!」
ぎゅっとセラフィンにしがみ付いたヴィオから刹那、目の前が真っ赤に色がついて見える程の強烈な香りが爆発的に広がる。
(寮での香りに匹敵するほどの強さだ。ついにきた!)
「ヴィオ!」
涙目になったヴィオも自分自身で自覚があるのか、こみ上げる様々な衝動に叫び声を上げそうになる口を手で覆い、こくこくと首を振って何とか頷いた。
「ヒートだ。ヒートが始まった」
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