香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

再会3

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 ジルと向かい合いながらも隣のソファーが気になっているのか、漏れ聞こえる声にセラフィンが耳をそばだたてているのは明白だった。セラフィンは日頃は表情豊かとはいえぬ玲瓏とした美貌を曇らせたり慌てさせたり、薄水色のガラス製の砂糖壺を何故か肘で倒しかけたりと、一人で百面相を繰り広げている。

 ジルはそんなセラフィンの貌を遠慮なくしげしげ眺め「相変わらず、極上の美人だな」と感心しつつも、彼に訪れた変化を寂しくも好ましく思った。

「先生、ちょっと会わないうちにやたら人間臭くなりましたね。あっちがそんなに気になるなら番になるまで会わせなきゃよかったのに」

 そんな風に揶揄って向日葵色の眼をきらきらさせながら隣を顎でしゃくるジルに、セラフィンは白い華のような微笑を浮かべて小さく首を振った。

「こういことは……。間が開くと、どんどん会いにくくなるだろう?」

 セラフィン自身、帰国後に何度かハレヘ行きを兄のバルクに誘われていたが、いまさらどんな顔をしてソフィアリに会っていいのか分からず長らくその誘いを拒んできた。
 セラフィンとソフィアリはそれでもこの世に一対しかいない双子の兄弟。その近しさは番に次ぐほど己に近しい存在であり、鏡を見るたびに相手が健やかであれと祈り続けてしまう。遠く離れていても魂のどこかは切り離せないような半身だ。きっとソフィアリのほうもそれは同じだろう。だが、結局便りを送る勇気すら出せないまま長い年月だけが経った。
 小さな里で子どもの頃から共に育った従兄弟同士であるヴィオとカイとが自分たちと同じような道をたどるのは非常に不幸なことだと思ったからだ。

 自嘲気味に微笑んでからセラフィンは真顔になり、背筋を伸ばすとジルに凛とした美貌をまっすぐにむけてつむじが見える程深く一礼した。 

「ジル。あらためて。この間も、これまでも。俺に力を貸してくれて本当にありがとう」
「何だよ。畏まって。今生の別れでもあるまいし」

 本気で照れると日頃の口八丁が出てこないものだ。ジルは頭に手を当てるとまだ冷めておらぬ茶をぐびっと飲んで、「あっちぃ」と締まらない感じで大声を上げた。
 慌てて水を差しだしてきたセラフィンからコップを受け取ると冷たいそれを一気に飲み干した。セラフィンは優しく穏やかな微笑みを浮かべたままだ。

「いいや。本当に。感謝している。俺はお前から沢山のことを学ばせてもらった。年下だけどお前は、人との付き合い方を心得ている。愛情深いし、友情に篤い。お前には俺の持っていないものが沢山あるんだ」

 長いこと片思いをしてきた相手にそんなことを正面切って言われて、流石にジルも顔が真っ赤になり口をへの字につぐむと、日頃の紗に構えた姿勢を貫けなくなった。

「や、やめてくださいよ。そんな、柄にもないでしょ? 俺だってさ、先生のこと尊敬してるとこ沢山あるよ」
「それは初耳だな? お前は俺のこの容姿だけが好きなのかと思ってた」

 そんな風にいいながら片眉を吊り上げるようにして、わざとソフィアリ風に艶然と微笑んで、肩甲骨より伸びた黒髪をさらりとかきあげる。

「勘弁してくださいよ……。流石にもう俺は……。海の女神様からも先生からも卒業する予定なんですから。俺が先生の好きだったとこはね。不器用で実はぜんぜん心の根っこが摺れてないその気質です。なんだかんだで人に寛容で生まれながらの貴族の貴公子って感じで、動きの優雅さは下町育ちの俺には持ち得ない。あと、俺にだけ甘えてくれるところが堪らなく好きだった」

 そんな風にジルから素直に言われたことはついぞなくて、今度はセラフィンが顔を赤らめる番だった。続けてジルはまた生き生きと明るく輝く笑みを浮かべて長い間の片恋の相手に決別と激励の思いを込めて手を差し伸べた。

「ヴィオを守って、幸せに生きてください。あんたの笑った顔が俺は好きですよ。これまでも。これからもね」
「約束する」

 セラフィンも自分より大きな手を強く握り返して、万感の思いを込めながら頷いた。

『だからお前も幸せになって欲しい』

 しかしそんな言葉と身勝手な望みは胸の奥に飲み込んだのだ。


「カイ兄さん。僕ね。サンダ兄さんと会ったんだよ」
「そうか」
「カイ兄さん訪ねていったことがあったんでしょ? 僕がこっちで生活をすることになっても困らないようにしてくれようとしてたって聞いた」
「……余計なことをしてたな。お前の気持ちなんて無視だ」
「でも……。僕、その話は嬉しかったよ」

 甘い焼き菓子は外側がかりっとして中はバターの風味が漂い美味だったが、むらしすぎたお茶は口に含むとほろ苦く、ヴィオとカイの心模様に似ていた。

「ヴィオ、俺がちゃんと手順を踏んで、こんなだまし討ちみたいに番になろうとしなければ、お前は俺を選んでくれたか?」

 自分でもいつまでも未練がましくて嫌になったが、まだどこかにヴィオを諦めきれない気持ちが酒の瓶に残る澱のように残っているのだ。

「それは……」

 小さなころ、ヴィオの世界は里の中だけ。里の外から帰ってくると色々な話をしてくれるカイはヴィオの小さな世界に開いた唯一の窓だった。
 沢山可愛がってもらったし、懐いていたのも事実だ。大好きで自慢の従兄弟であることは今も変わらない。でも……。

「でも……。僕の初恋は多分、セラフィン先生だったんだと思う。今ははっきりそう思うんだ。子どもの頃からずっと、今も大好き。諦められなかったから、僕はここまで来たんだよ」
「……そうか。そうだよな」

 そう言って精悍な頬を子どもの頃から見慣れた深緑のように美しい瞳を細めてカイは笑い、ヴィオの髪を大切なものを触るような手つきでふわりと一度だけ撫ぜた。

「ヴィオ。アガ伯父さんと話をするといい。伯父さんはなにより、お前が自由に生きられることを願っている。俺にそう言っていた。お前は伯父さんが一番大切にしているのは里だと思っているかもしれないが、伯父さんにとって一番大切なものはお前やリアに他ならない。話せばきっとわかってくれる」






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