香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

アダン2

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つまらない生活、代わり映えしない日々。何にも夢中になれず、くすぶり続けて生きてきた。

そんな鬱屈した思いが弾け、何の罪のない少年に八つ当たりした結果がこれだ。取り返しがつかない愚かなことをしてしまったことを意識した瞬間身体が大きくぶるりと震えた。


「おい! アダン! その子どうしたんだ?」

ここの街はどこに行っても知り合いばかりだ。それでも店の裏手ばかりを選んで歩いてきたはずが、そんなときだけ彼はタイミングよく表れた。頭に自分で染めた藍色の布を巻いた従兄弟のディゴに真正面から声をかけられ、アダンはのろのろと立ち止まった。背負った人物はそこそこ重く、うつむき気味に向いて歩いていたからディゴがいることに気づくのが遅れたことを後悔してももう遅い。
母親よりもある意味口うるさいところのある従兄弟は商品の入った大きな油紙を両脇に抱えたままつかつかと大股歩きでアダンにつめ寄ってきた。

「友達か? お前もその子もずぶ濡れじゃないか……。何があった? 怪我してるのか?」

様子がおかしく顔色の悪いアダンに、気づかわし気に声をかけてくる。上背のあるディゴは上から弟分とその背に負われた人物を覗き込むと、力なくがくっと首がゆれ、乱れた髪の隙間から覗く顔立ちにディゴが息をのんだ。

「ダニア……、なわけないな」

すぐさまアダンの顔を見降ろすが彼は目をそらし、川の水で濡れているはずなのにとても熱い少年のぐったりとした身体を背負いなおした。

ふらつきはしなかったものの、意識のないものを背負うのはコツのいる作業なようで、ディゴはみかねて大切な包みを地面に置いてまでアダンの背から少年の両脇に手を入れて抱え上げた。濡れた身体は滑りやすく、地面に一度置かれたため背中や髪、美しい色のブラウスも台無しなほどに泥だらけだ。

「おい、このままじゃ落ちそうだぞ。俺が代わる。お前は荷物を持て」

アダンはしばし逡巡したがもはやどんな言い訳をするのが良いかなどという知恵も上手く巡らなかった。顔色を失った日頃生意気な弟分の様子に、アダンは口調を努めて穏やかにすると傍らに歩み寄った。

「理由は後でゆっくり聞くから、背中のその子を休ませられる場所に行こうか。お前の家でいいか?」
「嫌だ……。この時間は母さんが戻ってきてる。兄さんとこ連れてっちゃダメか? あそこの離れ、貸してくれよ……」

学校帰りの普段通りの服装で、鞄を下げた姿なのに、アダンも背中に背負った子もしとどに濡れている。湖畔の湖水浴場で泳ぐことはあっても、わざわざ家の裏の川では泳がない。船が頻繁に行きかうし、なにより湖の方が水が綺麗だ。最近は仏頂面しかみせないアダンだがどちらかといえば親族相手にはより不遜なほどで、こんなにびくびくすることなどまずない。わざわざ友達とふざけあって川で落ちたという雰囲気ではないし、抱き上げた少年が目を醒まさないのがまず怪しい。ディゴは年長者らしく、とりあえずこんな道端にいる場合ではないと判断した。

(何があったか知らないが……。こいつちっこい頃から懐いてたダニアが出てってからずっと様子がおかしかったからな……。学校でも周りに当たり散らしていやしないかと思ってたが……。ついに何かやらかしたか……。俺の家の方がここから近い。休ませている間に医者を……。場合によっては警察も呼ばないといけないかもしれない)

ディゴの家は湖畔の本店近くにあるが、自分がまかされている店舗の裏にも彼が使っている部屋がある。物置小屋のように扱われていたそれを器用なディゴが一人で改装して、南国原産の珍しいぷっくりとした果肉の植物や作りかけの服、趣味の彫金の道具などに囲まれた雑多だがアダンには居心地の良い隠れ家のようになっている。なによりうるさい親がいないのがいいのだろう。五分も歩いてついたその家に足早に戻ってきた。

「それ、どかせ」

男性の一人暮らしらしいいかがわしい雑誌を寝台から払いのけ、ついでに上掛けもはぎとって足元にたわめておいた。

「洗面所の前の棚、タオルあるから持ってきてくれ」

二人で協力して彼を寝台に横たえると、手早く服を脱がして床に放り置き、とりあえず上掛けを被せて身体を覆った。
同性だとはわかっているのだが、なんとなく見てはいけないような心地になるのは何故だろう。
とりあえずまだ目を醒まさない少年を二人で見下ろしたのち、やっとほっとしたような顔をしたアダンの頭をディゴが強めに小突く。

「おい、アダン! どういうことか説明しろ」

アダンは自分もぐしゃぐしゃに濡れた綿のシャツを脱ぎ捨てて、14歳という年齢で同年代の中では逞しく厚みを増してきた浅黒い半身を晒した。

日頃は鷹揚な5つ年上の従兄弟も、流石にアダンのだんまりを腕を組んで許さぬ仕草を見せたから彼は不承不承というように呟いた。

「船の上で腕輪摺ったら、追いかけてきた」

全く持って言葉足らずな従弟のぶっきらぼうな返答に、頭を押さえてディゴは項垂れた。理由もなく人に意地悪をしたり暴力を奮うような子ではなかったのに、何がどう間違ってこんなことをしでかしてしまったのだろうか。寝台横にある自慢のロッキングチェアーに座ると、重みで今は無意味に椅子が傾いで傾き、ディゴは長い脚に肘をつき顔を覆って深いため息を吐いた。

「人のものを盗むなんて。なんでそんなことしでかしたんだ」

見た目だけは大分大人びてきたが、まだまだ心が揺れがちな時期のアダンは最近は親と口もきかず、ディゴが仕事から帰ってくると我が物顔でこの部屋に入り浸っていることも多い。最近ではディゴですらアダンが何を考えているのかもよくわからないが、彼の母親からも小さなころから兄弟同然に育ってきたので面倒を見て欲しいとお願いされているため、根気強く接してきた。

「ちゃんと話をしろ」

自分のしでかしたことをわかっているのだろうが、アダンは鬱陶し気にため息をつき、寝台の上で眠る少年を見下ろした。

「船で見かけたんだ。ダニアによく似てたから……。男といちゃついてるとこ見たら、なんか憎たらしくなって思わずやっちまった……。ただ揶揄ってやろうと思ったんだ。俺が船降りた後、まだ船にいたこいつに見せつけるようにしてやって……。驚いた顔見たから胸がすいたから。それでいいって思って、落とし物だって警察届けりゃいいかなって。そしたら船が出た後なのにこいつ、岸まで結構距離があったのに川飛び越えてきて……。追いかけてきたから諦めるだろうと思って、レンガ壁のとこ、あそこ飛び降りるふりして下降りてたら、すげぇ勢いで飛び越えてきて、川に落ちて、多分頭川底に頭打ったんだと思う。上がってこなかったから俺が川に入って引き上げた」

「お前! なんて馬鹿なことを! この子頭打ってるのか……。打ち所が悪くて起きないのかもしれないだろう、医者に見せないとまずいな」

「悪かったよ……」

「それは起きたら本人に言うんだな! 往診してもらえるか、先生のとこいってくる。一刻以上かかるから、お前はこの子をちゃんと見てるんだぞ! 連れの男がいたんだよな? 探しているかもしれないが、まずは医者だな。その後警察に行く。お前も連れて行くから覚悟しとけよ」
「……わかった」

警察、の単語に僅かに頬をこわばらせたアダンの肩を立ちあがったディゴが力強く叩く。

「俺も一緒に行くから心配するな。馬鹿な事考えないで大人しくここにいるんだぞ」

そういってにかっと笑うと適当な服をアダンに投げつけて急ぎ足で出ていった。

(仕事もあるのに……。ごめん、ディゴ兄さん)

素直に口には出せなくて、心の中でだけアダンは詫びだ。
そして物足りないなんて思ってすまなかったなとも思う。ダニアに見る目がないだけで、ディゴは本当に寛容で面倒見がよく、いい男だ。

だからこそ悔しくて……。二人が結婚するものだと思っていたアダンはひそかに憧れていたダニアがこの街を出て他の男のもとに行ったことに、二重に裏切られた気持ちになり、この半年ずっと鬱屈を貯め続けてきた。

それが目の前の少年に怪我を負わせるという最悪の形で一番駄目な方向で爆発したのだ。己の未熟さに嫌気がさし、アダンは項垂れ、足元に転がっていた酒瓶を蹴り付け、逆に痛い思いをしたのだった。




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