香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

湖水地方2

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「でも今日は別の目的があってきたんだし……。また今度ってわかってるよ」

残念そうに言って中央の短い夏が終わりに差し掛かり、涼しい川風が揺らす川べりの木々を見るとはなしに眺めている。セラフィンは美しい風景などはどこか上の空で視界の端に置いたまま、ヴィオのそよぐ睫毛や日差しに照らされつやつやと輝くヴィオの頬などを飽かず見つめていた。

(拗ねた顔すらとにかく可愛く見えるから、俺は相当ヴィオにやられている)

「子供だなんて思ってないさ。俺の番になるんだろ?」

そう言ってあれからさらに日が経ってもうつっていた布を外した腕でヴィオの肩を抱き寄せ、頬に口づけた。

「ひ、人前……」
「嫌か?」

艶然と口元に笑みを這わせいヴィオを覗き込む顔がとにかく慈愛に満ちて美しく、ヴィオはその目に見つめられるとまたきゅんっと胸が苦しくなる。自分の心臓はいつかバクバクと働き過ぎて、早めに疲れ果て動きを止めてしまうのではないかと思うほどだ。
こんな程度のキスはテグニ国でも中央でも挨拶と変わらないとセラフィンは言うのだが、番になろう宣言をしてからのセラフィンは一切の遠慮はなくなり、もはや堂々とヴィオに愛おし気触れてくるので最初はより無邪気で積極的と言えたヴィオすら、時として戸惑ってしまうほどだ。

(先生はとにかく自分が凄く格好がいいってことを自覚しててこんな素敵な顔するんだと思う。だって僕みたいに間の抜けた顔することなんて全然ないのだもの)

自分がセラフィンの『特別』になれたのだと意識するようになってから、今までセラフィンの前で平気で着替えていたり、風呂上がりにあられもない姿で抱き着いたりしていたのが急に恥ずかしくなってきて、ともすれば前より距離を取るようになってしまった。すると不思議なもので逆にセラフィンがその僅かな距離をじりじり詰めてくるようになった。

「嫌じゃないけど恥ずかしいよ」
そういってはにかんで目をそらすと、丁度ガタン、と大きく揺れて船が次の船着き場に停まった。正確に後いくつというのをヴィオは把握していなかったが、セラフィンの顔を見ると、まだこの船着き場では下りないと軽く首を振られる。
降りようとする人々が岸辺寄りの出入り口付近にいたヴィオとセラフィンの間を裂くように3.4人押し寄せてきた。乗ってくる人も3人ほどいて、人数は少ないがみなフェル族の男女のためとにかく体が大きい。その中の一人の少年にヴィオは軽くぶつかられてしまった。

「あ、ごめんなさい」

背丈はヴィオより額分ぐらい低いが、身体の厚みでは負けているかもしれない。黒々とした髪とよく日に焼けた肌、吊り上がった眉がいかにも勝ち気そうな感じだ。一瞬目が合った時軽く睨まれた気がしたが、ヴィオは自分がつったって邪魔だったからだとすっと身体を引いた。

船が再び動き出した時、岸辺に降り立った少年は船着き場から川沿いの道まで下がり、しかしまだそこに立っていた。そして何故か肩をいからせ、足を開き、いまだこちらを睨み据えていることに感じた違和感。

そして彼が挑発的に掲げた手の中が光に反射してキラっとこちらからもわかるほど煌いて光ったのだ。
瞬間、総毛だつほどの感情が迸り、ヴィオは瞳を見開き周りが皆、振り返るほどの大声を上げてしまった。

「あ……っ!! ああ! 」

(あいつ! あの時!)

「ヴィオ? どうしたんだ?」

もちろんすぐさまセラフィンが歩み寄ってくるが、ヴィオはだんだんと遠ざかる船着き場に身を乗り出すようにして立ち、少年を悔し気に睨みつけながら彼に向かって人生で上げたこともないほど乱暴な大声を張り上げた。

「返して!」

ヴィオが左手にしていたはずの、番うことを約束した記念にセラフィンから贈られた大切なあの金の腕輪。それをあの少年が先ほどヴィオにぶつかってきた時にヴィオの腕から素早く抜き取って船から降りていたのだ。

にやにやっと悪意ある笑みを浮かべて口の端を釣り上げた少年は、直後、踵を返して店が連なる建物の向こうの道に意気揚々と去っていこうとする。
そんな少年の背中に向かって、ヴィオにしては口をついて汚い言葉で罵ってしまいそうになるほど怒りを感じて瞬時に瞳の色が火が灯るように金色に変化した。

「ヴィオ! どうしたんだ」

直後に腹の底から湧き上がる原始的な力がマグマの如く全身に吹きあがり、ヴィオの足は無意識に数歩引き下がると、並の人間ならばけして飛ばないような距離を船の縁を飛び込み台のようにして蹴り上げて跳躍する。

「ヴィオ! 」

冷静なセラフィンですら予想もつかぬヴィオのその動きに流石に声を荒げた。駆け寄ってヴィオを掴まえようと咄嗟に腕を伸ばすが、ヴィオのうねる黒髪はその指先を掠めすり抜けるようにして遠ざかる。

ヴィオの身体は羽が生えたように対岸に向けて跳躍し、日差しを浴びて輝く愛する少年の姿が手の届かない場所に遠ざかることに、セラフィンは一瞬茫然と見守ることしかできなかった。


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