香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

クィートの恋3

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 クィートはそのまま彼の手を握りしめ、悪戯に指先を這わせすりっと手の甲を撫ぜると、ヴィオは口を曲げ目を白黒させながら真っ赤な顔をして強引に手を引っ込めようとしてくる。

(いちいち可愛らしすぎる反応だな)

 なんというか、全く擦れていなさそうで純情そうなのに、オメガ独特の香りが艶っぽいのがそそる。思わず初対面にしては無礼なほどに抱き寄せてしまいたくなる気持ちをおさえて、クィートは残惜し気に手をゆっくりと放して一度は逃がしてみることにした。

 手を取り戻して口元に持っていき恥ずかし気に目線を反らす仕草が幼げで可愛くて、ますます彼のことを深く知りたくなってしまう。

「なぜ木の上になんてよじ登ってたんだ?」

 ヴィオは梢が大きな影を作る木の下から一歩ずつ歩み出す。長い睫毛が頬に影を落とすほど下を向いた憂い顔で池の畔までくると、睡蓮の揺れる水面を覗き込んだ。そしてクィートに背を向けたままゆっくり辿たどしく呟き始める。

「考え事がある時は高いところに登って眺めを変えてみると、新しくよい考えが浮かぶかもしれないし、気持ちも晴れるだろうって父さんが言ってたから。僕の母さんも心が重たくなった時は山のてっぺんまでいって風に吹かれていたっていうんだ。この街には山がないから…・・・。木に登ってみたんだ。そんなに遠くまでは見られなかったけど……。風を感じたよ」

 そう言うと地上でも風を受けようとするかのように猫のようにすうっと瞳を細めて僅かに空を仰いだ。
 彼の意外な答えにやや意表を突かれながらクィートも寄り添うようにヴィオの隣に歩み寄った。

「それで解決したのか?」

 その問いにヴィオはふるふると首を振る。波打つくせのある髪を一歩遅れて揺れ、肩からこぼれるようにして彼の顔に降りかかる。うつむいてそのままヴィオは白いズボンの裾が付くのを気にもせず、更にしゃがみこんでしまった。

 なんだか気落ちしている様子に弟妹のいるクィートは放っておけない気持ちになってしまう。ちなみに昔から意中の相手の悩みを真摯に聞きすぎて、アルファのくせに迫力足らず物足りなさを感じるといわれ、いまいちモテないのが悩みだ。軍の仲間と行きつけの酒場に行くときなど、可愛い女給のお姉さんの前ではなるたけニヒルを気取ることにしていたが、まあ大体しゃべるとぼろが出る。しかしまた性懲りもなく気軽に聞いてしまった。

「悩み事があるのか? 俺で良ければ相談にのるぞ」
「悩み事……。そう。悩み事なのかな? 決めないといけないことが沢山あるんだ。でも全部大切なことだからしっかり考えたい。本当は僕一人の考えではどうすることもできないのかもしれない。でも結局は、自分で解決するしかないんだ。幸せになるためには動かないと駄目なんだってわかったし、沢山話し合って……、いかないと駄目」

 足元から見上げてくる無垢な眼差しはひたむきな想いが溢れてくるようで、クィートの胸を甘く疼かせた。

「なかなかしっかり者なんだな。益々気に入った。でも頼られると大抵の男は喜ぶものだから、悩みがあるなら頼ってもいいんだぜ?」

 暗に彼との接点を何とかして繋ごうといいことを言って胸を張ったつもりのクィートだが、ヴィオはまた別の考えが浮かんだのか水面に向けてぶつぶつ呟いている。

「そうかな……。まあ、そうかもな。僕も姉さんとか叔母さんに頼られたら嬉しいもの。一人で解決しようとしなくていいのかな」

 クィートはすぐさま自分もしゃがみこんで、内心デレデレとしながら水面の光が反射して輝くヴィオを盗み見ていた。

 (それにしても揺れて咲く白い睡蓮と憂い顔の美少年の取り合わせの絵面は何という美しさ。いつまでも眺めていたくなるな)

 表情をなんとか崩さず母似のダークブロンドをなでつけ、青い瞳によく似合うと言われている清潔感溢れるライトシルバーの軍服の上着を小脇に抱えてた姿でわざとフェロモンをくゆらせ凛々しく見えるようにヴィオに笑いかける。ヴィオからはまた面映ゆそうな微妙な顔を送られ小首をかしげられた。

(この香り、この容姿。どうみてもオメガだろうが、見たところ噛み痕も見当たらないのにまるで俺のフェロモンが効かないのはよほど抑制剤か効く体質なのか? まあおいおい俺のことを知ってもらって、好きになってもらえばおのずと効くようになるだろう)

 テグニ国に留学してきた裕福な貴族の息子だった父が、テグニ国のごく普通の中産階級の暖かな家庭に育まれて育ったオメガの母を見初め熱烈に愛し、番にしてすぐに息子をもうけるとそのまま祖国に帰ることはなかった。物静かだが祖国を捨て去るほどに母を愛しとても大切にしている父も、父と我が子に愛情を絶え間なく注いでくれる母もクィートにとっての理想の家族だ。できるならば自分もそんな熱情に溺れるような恋をして、のちには穏やかで暖かな愛情を満たし満たされたい。いつだってそんな風に思っているのだ。

 ヴィオが急にバネでもはいっているかのように軽やかに立ちあがる。ぺこっと頭を下げると「そろそろ僕、御屋敷に戻るね」といいしなすぐに駆け出そうとするのをクィートは慌てて手を掴んで引き留めた。

「俺も屋敷を訪ねてきたんだ。一緒に行こう」

 そのままその骨格がしっかりして指が長いが瑞々しい手を握り、逆にクィートが先導するようにモルス家本宅に向かってずかずか歩いていこうとすると、ヴィオがきゅっと腕を引っ張ってその手を外そうとしてきた。クィートは負けじと握りなおすと、ヴィオが慌てた声を上げる。

「あの、僕、迷子にならないので大丈夫です。山で育ったので、木の形とか道とか覚えるの得意ですし、この池には毎日来ているのできちんと建物のあるところまで帰れます」

 
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