香りの献身 Ωの香水

鳩愛

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溺愛編

クィートの恋1

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 クィートが家族が暮らす豊かなテグニ国で父の仕事を継がず、何故か父方の祖父母のいる隣国で軍人になると言い出した時には家族は皆反対したし、長男である彼に期待を寄せていた母方の祖父母には大いに嘆かれた。

 いつも静かで穏やかな父だけが矢車菊よりなお青い瞳で静かに微笑み、「いってくるといい。でもどうせお前はすぐに飽きるだろう」と気軽に彼の祖国に送り出してくれたのだ。確かにクィートは熱しやすくて冷めやすい。そしてひとところに落ち着いていられない気質だが、そんな父も隣国の由緒正しき貴族の長男のくせについぞ祖国に寄り付かない変わり者だ。

「どうせお前は昔からセラフィンの真似をしたがるのだから、それで軍に入ることにしたのだろう」と。そんな風に言われてなんでも見透かすような父の口ぶりだが確かに当たっている。もっともセラフィンに憧れて医学の道に進もうとしたものの、流石にそこまでの学力はなくてならばと得意の身体を動かす方を活かしてセラフィンを追いかけて入隊したのは事実だ。

 叔父のセラフィンはクィートと年齢が9つしか離れていないので、感覚的には兄のような近しい存在だ。

 とても聡明で、咲く花よりも美しい人で彼が留学先の下宿としてクィートのいる家にやってきた時、テグニ国では見かけることのない男性ながらも妖艶な美貌と近寄りがたい雰囲気に幼いながらも大きな憧れを抱いたものだ。

 彼が帰国するときは思春期だったクィートは最後まで彼ら家族にあまりなじまずにいたセラフィンに複雑な思いも、もっと甥っ子として愛してほしかったというような妬ましい気持ちも抱いた。嫌われているとまでは思わなかったが、8年間も共に過ごしたというのにクィートがかなりしつこくまとわりついていくでもしない限りセラフィンの方から話かけてくれることもなかった。
 それが子ども心にも寂しく思ったし、振りむいて欲しくて課題に使う大事なものを隠すようなくだらない悪戯をしたり、夜出歩く彼のあとをつけて町中で迷子になり皆を困らせたりもして母にこっぴどく叱られた。
 とうのセラフィンはそれをまた歯牙にもかけない様子でそれがまたやきもきさせられたのだ。
 セラフィンは質素倹約を好む父イオルと穏やかな母オンダ、賑やかな3兄妹の暮らすモルス家の家庭的な温かい雰囲気に浸らずどこか距離を置いていた。浮世離れして始終ふらふらしつつも成績は抜群で、ある時からあまり部屋にも帰らずどこかを泊まり歩いていることもあり、その後また、フラフラと帰ってきたら酷くやつれていた時も多々あった。そんなときのセラフィンといったら壮絶な色気と夜の気配をたぶんに振りまいてきて思春期のクィートはどうしようもない胸のときめきと戸惑いとを感じたものだ。

 たまにこっそり部屋を覗くと窓辺で長い黒髪を風に弄ばれながら寂し気に青紫色の香水瓶を眺めている姿が印象的だった。その姿はどこまでも孤高であり、またどこか教会に掲げられた絵画のような静謐さを宿していてクィートはきゅんと胸の疼きを感じた。

(今思えば、叔父さんは俺の初恋だったのかもしれないな)

 正直なところ男の叔父でもあれ程の美貌なのだからこの国に来たら叔父のような美女がゴロゴロいるのかと思い込んでいた。そんな多いなる期待をしてこの国にやってきたのだが、実際はまるで違っていた。男女ともに背丈が大きく頑健な身体を持つテグニ国で育ったクィートにしてみたら華奢でぼんやりした姿のものが多くて、アルファとして狂おしいほどの恋に身を投じてみたいと若い男性らしく夢想していたのに、運命の相手との恋をする宛はすっかり外れてしまっていた。

 今日もそんなことを考えながらクィートはこの国で軍に入隊した直後に来て以来、久しぶりにモルス本邸の敷地を歩いていた。中央の本部に来る用事があったので久しぶりに叔父の顔でも拝みに行こうと、叔父が勤める軍の病院に立ち寄ったのたが、なんとセラフィンは怪我をして療養中だという。せっかくなので療養のため生家にいるのでは?とモルス邸を訪ねてみることにしたのだ。

(所作がまったくがさつでない叔父さんがどうしてまた怪我なんてしたのか)

 叔父が慌てて走り出したり暴れたりなどとても想像がつかなかった。
 素直に車で迎えに来てもらえばよかったのだが、せっかくなのでその辺の公園よりも緑豊かで手入れの行き届いた庭を久しぶりに散策していた。幼い頃父に連れられてきた時は冒険に出たもののあまりの広大さに兄弟で迷子になったものだ。

(確か池もあったはずだよなあ。どのへんだったっけ? 昔ビノが落ちたやつ)

 弟のビノが池に落っこちて水鳥が飛び上がり、それでまたびっくりしたビノが溺れかけて……。今はすっかり生意気で筋骨隆々とした若者になった弟の小さなころの貴重なべそかき顔を思い起こし、人の悪い笑みを浮かべながら歩く。

 車で向かえばまっすぐな道を横道にそれていった奥に、記憶の通りに小さな池があった。子どもの頃の記憶よりもさらに小さく見える。一周回るのに数分もかからない小さな池には水蓮が群生していて白い花弁にたっぷりと黄金に雌蕊が煌き、満月のようにまん丸な葉と共に水面を渡る風の起こすさざ波に揺れている。端から斜めに飛び石が置いてあって、そこを通り抜けられるようになっていたからこれまた兄妹で競って渡ったものだった。

 昔々はほとりの木にブランコもあったはずだと思い出す。それを妹と取り合っていた腹を立てたビノはそのまま飛び石を渡りそこなって池にどぼんと落ちたはずだ。

(まだブランコがあるか……。流石にもう壊れているだろうな)

 記憶を辿ると枝ぶりが立派に張り出した木に目が留まった。これは家の家具と同じミズナラの木だよと博学な父がそう教えてくれたのだ。しかし頑丈そうな枝ぶりは健在とはいえ思い出のブランコは流石に取り外されていた。

 近づいて太く立派な幹に手を当てる。耳を当てたら木が水を飲み込む音すら聞こえてくるかもしれない。そよ風に鳥の囀る声。殺伐とした日常を忘れる穏やかなひと時。

 しかし静寂を打ち破る様に突然頭上からがさがさ、ばりばりばりっとけたたましい音がしてきた。
 驚いて上を見上げると向こうもこちらを見て驚いている紫色の目と目が合った。なんと木の上に人がいたのだ。それもごく若い青年。
 唖然として見上げているクィートに、その人物はよくとおる澄んだ声で声をかけてきた。

「あ、あの。降りるので、どいていただけませんか??」

 彼は困ったように顔を赤らめながらクィートにそういうと、木の枝につかまりながらもじもじしている。

(モルス邸で何か良からぬことを企むものが入り込んだ?)

 と一瞬思ったが、こんな居住区と離れている場所で木に登っているまだあどけなさが残るような青年をとてもそんな風には見えず。

(新しい庭師の弟子? なんでまたこんなところに)

「降りれなくなったのかい? 飛び降りたら受けて止めてあげるよ」

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