香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

文字の大きさ
上 下
130 / 222
略奪編

対決2

しおりを挟む
 割れた額から滴りおちる血が、カイの壮烈な顔立ちと相まってさながら敵を打ち倒す戦士のような恐るべき形相に見えた。並の男ならこの時点で失神しそうなほどの締め上げにも、セラフィンは形良い眉をぎゅっと潜めたまま反撃の機を狙いじっと耐えた。

「ヴィオは俺のものだ」

 引き絞られたその言葉が直接セラフィンの耳に吹き込まれ、そのまま後ろからカイに羽交い絞めにされて揺さぶられ、首の骨が折れるかと思うほどの衝撃に舞われる。続きざま床に投げ落とされて倒れていた男たちの上に叩きつけられた。セラフィンは衝撃に呻きながら何とか受け身を取って転がると、勝負の最中に一瞬でも気を抜いてしまった自分を呪いたくなった。

 ジルとテンは獰猛なカイの目が再びヴィオを捉えていると気が付いていたため、ヴィオを再び抱え上げて逃げようとしたが、ヴィオが頭を押さえながら首を振ってそれを嫌がった。フェロモンの分泌はなんとか押さえられて、頭は冴えてきたものの、ヴィオは胃腸が絞られ吐き戻したくなるほどの身体の不調を感じていた。しかしそれを気力で押して足を大地に踏ん張る様に立った。今この瞬間、ここから逃げだしたとして、結局なんの解決にもならないと感じたからだ。
 そんな顔を上げてまっすぐ二人を見つめるヴィオの決意を敏感に感じ、ジルも覚悟を決めて彼の背中に力づけるように手を回す。二人は顔を見合わせると頷きあった。

「カイ兄さん、僕は、兄さんのものには絶対にならない。目を醒まして!」

 ヴィオの声は少し震えていたが、精一杯の問いかけにセラフィンも冷たく埃っぽい床に手をつき身を起こし被せるように訴えかける。

「カイ、アルファとフェル族の本能にのまれるな! このままヴィオと番になってもきっと後悔する。無理やり奪い、大切な者の心も身体も傷つけたら後で辛い思いをするのはお前の方だぞ」

 右側面の打ち身から伝わる痛みに顔を顰めながらも、セラフィンは何とか立ちあがり、そう一気にまくし立てると息が詰まり秀麗な顔を歪めながら髪を乱して咳き込んだ。

「先生! 」

 カイからセラフィンへの苛烈な暴力にヴィオは居てもたってもいられなくなり、危険を顧みずに駆け寄ろうとしたが、流石にジルとテンが彼の二の腕をそれぞれ掴んで引き留めた。しかしそんなヴィオの姿がカイの中の爆発寸前の火種に着火してしまったらしい。

「この男がそんなに大事か?」

 それは地を這う様な、恐ろしい魔物がカイの身に乗移って喋らせているかのような禍々しい声だった。

 ややふらつきながら身を起こしたてのセラフィンのもとへカイは向かうと、大きな掌を広げ、セラフィンの喉元を締め上げながら持ち上げてきた。足が僅かに地面を離れるほどの信じられない力を片腕だけで発揮している。カイの瞳は再び爛々と金色の剣呑な光を帯びていた。
 セラフィンとて体格的には一般人の中では恵まれた方だし、それなりに背丈も体重はある。しかしそれをものともせぬ力業は、明らかに人ならざるケモノの領域だ。流石にジルもテンも初めて目の当たりにしたフェル族の底の知れぬ能力に驚きを隠せない。

 それでもセラフィンは気が遠くなりながらも眦を吊り上げ目を剥くと毅然と抵抗し、カイの腕を掴み身体を引き寄せると柔軟な身体を使って足をカイの胸につけて蹴り上げる。

 腕が外れると喘鳴しながらも屈せずに美しい顔にまるで似合わぬ豪快なタックルでカイの腰元に組み付くと、身体がぶつかり合う音がさく裂しバチンと大きく響き渡る。
 カイもセラフィンの身体を持ち上げんばかりに上から覆いかぶさってそれをつぶしにかかってきた。

「やめて! カイ兄さん! 先生が死んじゃう!」

 端から見るとどうあってもやはり軍人で若く、フェル族のカイが上手にしか見えない。

 ジルはぎりぎりの線を見極めたら、テンと共闘し背に隠し持っていた警官用の警棒を容赦なくカイに見舞おうと決めていた。
 本来ならばヴィオを保護し遠くにやるのが先決なのだが、しかしそれ以上にやはりセラフィンが心配だったのだ。ジルにとっても最も愛するものを救いたい強い思いがある。彼が大怪我をするのはどうしても看過できなかった。

(今か? もう止めに入らねばセラが危ないのではないか? 他のアルファの力を借りて恋敵を打ち負かすなんて、男のプライドをずたずたにする行為でも、俺はセラが傷つくのが嫌だ。俺には一番、セラが大切なんだ)

 セラフィンは潰されながらもそこから体勢を何とか立て直そうと柔術リコの動きを反芻して転がり、カイから逃れようとしている。
 日頃見た目にも気を使い、優美で洗練された彼が、脇にも重たいパンチをうけ、逆に自分もごつごつ脇腹に打ち返しながら粘り強く死に物狂いで戦っている。

 そんなにも必死に戦うセラフィンの姿にどうしても一歩踏み出せぬ自分にジルは戸惑い、乾き涙が自然とこぼれるほどに目を見開き、肌を粟立たせながら二人の男の死闘を見守った。

 ものすごい圧力に潰されて上からマウントを取られたセラフィンが、身体の下に巻き込まれた腕を逆手に捻りながらついにカイに取られてしまった。

「うっ」
「ヴィオを俺から奪おうっていうのなら、大切な腕の一本や二本、くれてやっても構わない覚悟だよな?」

 カイの目の色は元に戻っていたが、正気ではないほどの興奮に歪んだ口元から犬歯がのぞいている。制御できないほどの暴力的な衝動に見舞われているのだ。
 万能にも見えるドリ派の膂力を爆発的に増幅される力は、実は制御することができるようになるには集中力と相応の訓練がいる。すぐに体得できる天才肌もいるにはいるが、早くに里を離れたカイはこの力を自在に操ることはできずに精神を完全に飲まれてしまっているのだ。

 万力の力で捻り上げられた腕は骨が軋み、腱すらぶちぶちとちぎられるのではないかというように軋む。腕がどんどんと嫌な方向に曲がっていくが、セラフィンは唇を血が滲むほど嚙みしめて、意地でも声を上げなかった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん
BL
【何度失っても、日常は彼と創り出せる。】 ────────── 身の回りのものの温度をめちゃくちゃにしてしまう力を持って生まれた白希は、集落の屋敷に閉じ込められて育った。二十歳の誕生日に火事で家を失うが、彼の未来の夫を名乗る美青年、宗一が現れる。 力のコントロールを身につけながら、愛が重い宗一による花嫁修業が始まって……。 ※シリアス 溺愛御曹司×世間知らず。現代ファンタジー。 表紙:七賀

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

【完】100枚目の離婚届~僕のことを愛していないはずの夫が、何故か異常に優しい~

人生1919回血迷った人
BL
矢野 那月と須田 慎二の馴れ初めは最悪だった。 残業中の職場で、突然、発情してしまった矢野(オメガ)。そのフェロモンに当てられ、矢野を押し倒す須田(アルファ)。 そうした事故で、二人は番になり、結婚した。 しかし、そんな結婚生活の中、矢野は須田のことが本気で好きになってしまった。 須田は、自分のことが好きじゃない。 それが分かってるからこそ矢野は、苦しくて辛くて……。 須田に近づく人達に殴り掛かりたいし、近づくなと叫び散らかしたい。 そんな欲求を抑え込んで生活していたが、ある日限界を迎えて、手を出してしまった。 ついに、一線を超えてしまった。 帰宅した矢野は、震える手で離婚届を記入していた。 ※本編完結 ※特殊設定あります ※Twitterやってます☆(@mutsunenovel)

番の拷

安馬川 隠
BL
オメガバースの世界線の物語 ・α性の幼馴染み二人に番だと言われ続けるβ性の話『番の拷』 ・α性の同級生が知った世界

処理中です...