香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

対峙1

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 セラフィンにはすぐに、周りの人々の様子からヴィオのオメガフェロモンがかなり漏れ出していること察した。若い男ばかりのが群れたこの場所で、抑制剤を服用している自分にもわかるのだから、周りの男たちがこの艶めかしい香りに受けている影響はどれほどのものだろう。赤い顔をしておろおろしているものから、フーフーと暴れる寸前の猫のように荒い息をつき、他のものに窘められているもの。
 戦時中の荒くれた世代の軍人と違い、オメガの娼館に出入りなどもってのほかだときちんと教育を受けて生きてきた彼らにとって、初めて浴びたかもしれぬオメガのフェロモンだ。それは騒然とするだろう。

 なぜだかわからぬがヴィオが見知らぬ青年に抱き上げられているのはセラフィンとしては内心非常に癪だった。しかし彼がカイから間合いを取りながら後ずさりを繰り返していて、まるで獲物を威嚇し追い詰めようとする獣のようなカイからヴィオを守ってくれているのが見て取れる。
 ヴィオはカイの元から逃げ出そうとしてロビーでもみあいになったのだろうか。

(愛するオメガからの誘引フェロモンで誘われていると身体は認識しているのに心は手酷く拒絶されたら、アルファなら頭に血が上って当然だろう)

 それはかつてセラフィンにも既視感のある感情だった。
 自分だけが感じる、自分だけの、オメガのフェロモン。
 自分の為だけに生まれてきた、最愛の番。

 かつて双子の兄に対してセラフィンはそう思い詰め、彼を無理やり番にしようとして拒絶され、引き離された。
 その後長い時間自分が囚われたどろどろとした、いつまでも澄むことのない汚泥のような感情は雪いでも雪いでも拭いきれぬものでなかった。立ち直りに時間を要し、その後ソフィアリに対して償いきれぬ傷をつけてしまったのではないかという後悔の念にも苛まれた。

(カイ、俺はお前の気持ちが分かる。だからお前にけしてヴィオを傷つけさせない。ヴィオを傷つけてしまったら、後悔しても後悔したりない一生の傷を互いに背負うことになるんだ。今のお前には到底理解できないだろうから、だからここで、俺がお前からヴィオを引き離す)

 事態の終息を図るためには同じく抑制剤を服用していて前回セラフィンの家でもヴィオのフェロモンに惑わされることなく、常に冷静に対応することができたジルにヴィオの救助は任せることが最善だろう。何しろ警察官だから修羅場の立ち回りに適している。
 自分はなんとかカイを説得し頭を冷やさせ、同時に他のものたちへの対応もしようとセラフィンは考えた。

 がたいが大きくむさくるしい男ばかりがわらわらと群れた騒然としたこの場でもセラフィンの清冽とした存在感は群を抜いて目立っている。同じ性別なのにこうも違うかとこの騒ぎにおいても男たちはみな思うほどだ。美女と見まごう麗しさと育ちの良さから佇まいすら優雅に見える。そのあたりが男たちが居住まいをただしてすぐにセラフィンに道を譲ったゆえんなのかもしれない。

 彼らが開けてくれた空間にジャケットを脱ぎ捨てて駆け寄ってきたセラフィンと、後ろからすぐやってきたジルが硬いブーツの足音を響かせ飛び込んでくる。そんな二人の姿にその場にいたものたちからも驚きの声が上がった。

「モルス先生!」
「モルス先生だ!」

 軍医でもあり、5.6年前までは演習といったら怪我をすると担ぎ込まれるテントでセラフィンが治療にあたっていた時期があり、愛想はいまいちだがとにかく綺麗で腕のいい先生として顔見知りも多いのだ。中にはあまりに縫合痕が綺麗で丁寧だったからと怪我をしたらわざわざセラフィンを指名して手当てを願い出てきた信奉者もいたほどだ。
 それは新人の頃軍と警察との合同演習に参加していたジルも同じで、まだ中央に来て間もない新参者の部類のカイより、彼らの方がよほど知り合いが多いかもしれない。
 つまりここは、カイのテリトリーというよりも、中央における彼らの庭の一部だ。

 ジルとセラフィンは手早く目配せし合うと、ジルが腰のポケットに入れていた警官としての身分証を日に焼けた腕を振り上げ高々と掲げ、ロビーに響き渡る大声を高らかに上げた。

「警察だ! 発情しかかったオメガの保護要請を受けた! 君! そのままその子を抱えててくれ。今、そっちいくから」
「は、はい!」

 テンは大きく返事をすると童顔に似合わぬ筋肉の盛り上がった二の腕でヴィオを抱えなおし、足を大きく開いて踏ん張る様にバランスをとった。

 口八丁手八丁のジルが声高に宣言した内容は、よい具合に真実と嘘がまぜこぜとなったものだったが、現役警官と軍医の組み合わせにその場にいた人間の大方は一様に納得した雰囲気になった。

 これまで二人で各地を旅してきたが、大抵のトラブルは『明らかに品のいい貴族の男と中央の警察官』という二人の個性と資質を前面に押し出してはったりをかまして押し通してきたので、彼らは手慣れた様子でその場を自分たちの御しやすい様に回し始めた。
 するとまだヴィオの位置までは一歩及ばぬ辺りにいたカイは仇敵を見たかのような顔で二人を睨みつけてきた。徐々に漏れるカイの威圧的なフェロモンにヴィオは喘ぎながら顔を伏せ、男たちの中でも気の弱いものなどは項垂れ膝をつくものもあらわれた。

(怪我人を出さず、被害を最小限に抑えつつ、ここを離脱しないとな)

 そんな風に考えながらセラフィンはあえて涼しい表情を崩さない。そよ風でも浴びているかのようにあくまで涼し気に、自分はこの場所にヴィオを保護するためにやってきたという姿勢を崩さず、形の良い口元には僅かに微笑みさえ浮かべている。

 しかしカイを見据える目は違う。頭では冷静にカイをヴィオから引き離すことだけ考えればいいとわかっているが、同じオメガに執着するアルファとしてのセラフィンの本能から来る激情が青い炎を宿したように皓々とした光を宿し、ヴィオをここまで追い詰めたカイを決して許さないという意志を漲らせていた。
 セラフィンが漲らせる気迫と誇り高いアルファのフェロモンの一味違う威圧感に流石のジルも僅かに怯みつつ敢然と立ち向かうセラフィンの後姿に惚れ惚れとした。

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