香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

愛するということ1

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「……本当に、お前になら、いいって思っていた時期もあったんだ」

 弱弱しい声を出しセラフィンはジルの方に横向きに寝転ぶと、添い寝するように身体を寄せてジルの向日葵のように明るい瞳を覗き込む。手の平の間からずらしてみた彼の顔は困っているような、悲しんでいるような。日頃冗談ばかり言う陽気な彼の弱った姿は貴重であるが、胸が痛みあまり見たい姿ではない。

 ジルはゆっくりとセラフィンの頬に手を伸ばして、たまに甘えてすり寄ってきた時のように大切に包む。いつも通りの自分の部屋、たまには共に酒に酔ったま寝転んだ寝台の上。セラフィンがいつも通りのジルを信頼しきった穏やかで甘い眼差しを向けてくることにまた心が掻きむしられる。いっそ嫌われたり軽蔑された目で見られた方がよほどましな気がした。

 過去形で語られるその言葉にジルはどう答えていいのかわからなかった。分からないが多分これは不器用なセラフィンからの精一杯のジルへの告白の答えだと感じ、胸に熱くこみあげてくるものがある。また涙が滲みかけて、覗き込む男の顔を目を閉じ視界から消して思索したのだ。

 あの晩、ベラは香水の入ったアンプルを差し出しながら、いわゆるライバルであるジルにこう切り出したのだ。

『セラはね、アタシに拾われる前に男たちによってたかって犯されかかってたから、男から突っかかられたり暴力振るわれたり、性的に何かされるの本当は苦手なのよ。わが身をなげうって抱かれるなんてことは、恐怖でしかないでしょうね。本当はいつでもそれを隠して身体を鍛えてフェロモンで牽制している。でも貴方には潔癖なセラが部屋へ踏み込むことを許してるなら、それなりに心を動かされてたってことじゃない? 試せばいいわ。心を許したことがある人でないと、容易くかからない暗示よ。暗示がかかるならそれはどこか貴方に気持ちがあるってことだわね。大昔の迷惑な恋人にも非情になり切れない、あの子はそういう情の強いところのある子なのよ。たまんないでしょ?』
『知ってたさ。そういう愛情深いところが俺も好きなんだ』

 ベラ自身、時を経てもまだ自分の暗示にかかったセラフィンに再び火をつけられたのかもしれないと、ジルはその時得心した。セラフィンはそういう、一度心に触れた人に対してどこまでも寛容で、振れなば落ちんような、仄かに匂い立つ艶がある。
 それが無意識に人の欲を煽るのだから、本当にタチが悪いのだ。

(だから俺はずっと、セラの中毒だ。抜け出せないんだ)

『暗示はね、もうじき永遠にかからなくなると思うわ。試すなら早くしなさいね。あの子が本当に欲しいと思える人に出会えた時、番を得たならば自然と解けて消えるのよ』

 そういうと手ごわい女狐も何故か少し寂しげだが優しい顔をして笑った。
 その部分だけはセラフィンを愛した者同士、分かり合えるところだったし、セラフィンへの想いを面と向かって誰かに告げられたことすらなかったので口にすることで彼への長年の思慕が少し昇華された気すらした。


「ジル、ごめんな。お前の気持ちを知っていて手放せなかったのは俺のエゴだ。お前との関係が心地よくて浸っていたかったから、手酷く振ってやることもできなかった」

 一度ジルの熱い掌に頬を預けてからセラフィンは顔を離して小さく頭を下げる。
「すまない」

 ジルは甘い目元と女性を虜にしている垂れ目を切なげに細めながら、膝を抱えてうつむいた。

「それってさ。ある意味愛の告白だな、セラは俺のこと好きだから、俺を手酷くは振れない。でも俺のものにはならない。キッツイわ」

 顔を上げると気づかわし気に覗き込んできたセラフィンの目にも少しだけ涙の被膜が張り揺れていた。玲瓏とした美貌を持ちながら日々表情に乏しかった彼の、稀有な水晶のように煌く涙を絞り出せたことだけでも僥倖なのかもしれない。
 蒼い目から零れ落ちた雫をかさついた唇で拭うとそのまま白い額に口づけて一度だけ彼を強く腕の中に抱きしめた。

(諦めんのは……、まあいつでもできるだろ……)

 諦めが悪くて積極的なのが取り柄のジルは、そのまま優しくセラフィンの貝殻のように柔らかな耳たぶに口づける。

「俺はこのままで……。いいぜ。番がいてもいなくても、考えてみたらアルファ同士は別に困らない。これからも勝手にあんたを想っていくことだってできる」
「ジル! それは……」
「そこは付け入らせてくれよ……。断ち切りたくないんだ。あんたとの縁を」

 少年の日、デパートで鮮烈な出会いをした紫の香水のポスター。
 その後に奇跡的に出会えた瓜二つの男。
 共に支えあい、刺激を与えあい、沢山旅した日々。

 それらが、ジルとセラフィンの青春の全てだ。

 胸の中に散りばめられた輝く記憶の断片たち。
 そんなものを全ていきなり手放すことはジルにもできなかった。
 乱れても滑らかな黒髪と頭を撫ぜながら、ため息をつきつつ、酒もすっかり抜けて頭もすっきりしてきたジルはいつも通り気楽に考えることにした。

(ま、人妻への恋も燃えるっていうし、人の夫も色っぽくていいかもな)

「ヴィオの居場所の心当たりを知りたいんだろ?」

 こくり、と頷くセラフィンの表情には再びジルへの厚い信頼が戻り複雑な気分になったが、ジルは気持ちを切り替えて自分が蒔いた種を刈り取ることにした。

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