香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

運命の番1

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 眠っていたのか起きていたのかよく分からない。今何時なのかも。
 窓の外の日差しはゆっくりと傾き、窓枠の十字が部屋の中に黒い影を落とす。

「起きたのか? ヴィオ」

 低いがよく響き、甘くも感じる穏やかな声。
 小さな頃、この声が聞こえてくると嬉しくてたまらず。ヴィオはすぐに満面の笑顔になり、無条件で声の主に転げるように駆けよっていった。

 なのになぜ、今は涙がこぼれるのだろうか。

 同じ室内で椅子に腰かえてヴィオの様子を眺めていたカイは彼の目覚めの気配に敏感に気が付くと、私服の白いシャツ姿に藍色のズボン姿で枕元にやってきた。寝台にぼんやりと横たわったまま返事をせぬ従兄弟の肩口まで柔らかい純白の夏掛けをかけてやった。
 そして寝台の横に跪づくと最愛の青年の瞳から零れ落ちた涙を優しく拭う。

「ここに来る間に意識を失ったんだ。すまない。乱暴なことをしてしまった」
「ここに、来る前?」

(カイ兄さんがいるのに? ここは、ドリの里ではないのだろうか)

 とたんに蘇ってきた記憶に、ヴィオは足にバネのついた土産物人形のように起き上がると、首を掻きむしりながら高い悲鳴を上げた。

「あああ!!!」
「ヴィオ、首輪は外した。すまない……。大丈夫だから」

 カイの広い胸に抱きしめられていてももうヴィオは安らぐことはできないのだ。荒い息をつくヴィオの様子に、カイは自分がしでかしてしまった過ちに気がつき戸惑った。
(ヴィオは意志も強く若く強靭な、フェル族の男なのだからと。こちらも気を緩めず多少乱暴に扱ってしまった。やはり繊細な部分を併せ持つオメガなのだな……。なのに俺は怒りに我を忘れてしまってヴィオにあんなことを)

 ヴィオはカイに首輪をつけられた時、打ちのめされたような顔をしたのち、貧血を起こしたのかぐったりと意識を失い昏倒してしまった。
 その時点で病院へ引き返してバースの専門医に診てもらうことも可能だったというのに、カイはそうしなかった。本当ならばヴィオが世話になったセラフィン・モルス医師に挨拶と礼をして帰るべきなのだが……。
 ヴィオが彼に傾倒していると里から出る時にヴィオを心配して訪ねてきた教師のレイから聞いていたので、なんとなくもうヴィオを彼に会わせたくなかったのだ。
 そのまま逃れるようにして寮の中でも一番広い方に該当する一人部屋に家族ということでヴィオを連れ帰ったのだ。

 カイは昔から体温が高く、幼い頃彼に抱きしめられて眠ると心地よかった。そんな兄の腕の中、しかし心を閉ざしたヴィオはかぶりを振って彼から身を離そうとする。
 そんな様子にカイは胸を痛めつつも、記憶の中よりずっと成長したヴィオのしなやかな身体を腕の中に囲うように強く抱きしめ、彼の肩口に顔をうずめた。
 兄が初めてヴィオに甘えるようなそぶりをみせたのでヴィオはため息をつくと彼の硬い髪をぐしゃりと撫ぜた。

「カイ兄さん、離して。ベータだって嘘をついてリア姉さんと結果を入れ替えたことは謝るけど、だけどもう僕のことは放っておいて。一人で里に帰るから。兄さんはついてこなくていいよ」

 カイはすぐに顔を起こしてヴィオの愛らしい顔を機嫌を取るように覗き込む。

「嘘をついた件はもういい。お前がこうして戻ってきてくれさえすればそれでいいんだ。ヴィオ、顔色が悪い。明日には俺が里に連れて帰ってやるから今はここで休むんだ」

 体調が悪くなったことについてはヴィオは自分に責はないと思っている。嫌がるヴィオに首輪をつけた屈辱的な行いをヴィオはけして忘れていなかった。

「カイ兄さんのせいだよ! 抑制剤が効いていたし、僕元気だったのに。兄さんがあんなことするから」

 再び憤りに頬を紅潮させて、カイを全身で拒否して胸を強く押し返して距離を取ろうとするヴィオの肩は小刻みに揺れていた。興奮から上ずった声、長い睫毛の先はまた僅かにしめっている。
 あんなこと、とは首輪を無理やり付けた事だろう。意識をなくした後に本当はスペアキーを持っていたからすぐさま外してやったが、首には搔きむしった時についた痛々しい跡が残った。血が滲んでいたのを手当てして今は柔らかな包帯がゆるく巻かれている。ヴィオはカイから抗議する様に目をそらし、両手は夏掛けを掴み上げ悔し気に握りしめていた。

 傾く太陽に照らされたヴィオは神々しいまでに美しいがどこかよそよそしく。離れた心を取り戻せるか、カイは今まで感じた事がないような焦りを感じた。

「それは本当にすまなかったと思ってる。だが今から中央を出発してももう、地元の駅からのバスが終わってしまうだろう。だから今日はここに泊まるんだ」

「泊るって……。兄さんの部屋に?」

「他にどこにお前の行く宛があるっていうんだ」

 その言葉に傷ついたような顔をして押し黙ったヴィオは、泣きぬれ赤くなった目元をまたごしごしと擦る。

「やめるんだ。傷がつくから」

 はしっとその骨ばっていてもどこか柔らかいその手を握って取るとヴィオの純美は瞳が哀し気に潤み揺れていた。だんだんと薄暗くなっていく部屋の中。冷たくなった風が部屋に吹き込みヴィオの長い髪を揺らす。

「兄さん?」

 風と共に僅かだがヴィオの石鹸のような淡い香りがカイの鼻先に漂ってきた。カイは眩しいものを見るかのように目をすがめると、その艶めく香りに誘われるまま右手をヴィオの細腰に回し、左手の指先を絡めてダンスをするように引き寄せる。そしてそのまま驚くヴィオの顔に高い頬をゆっくりと寄せていった。

「え、兄さっ」

 むぐっと二の句を告げぬほど、大きな硬く厚みのある自らの唇でヴィオのぽってりと弾力のある赤い唇を覆うように塞ぐ。

 驚いて開いた形のままだったヴィオの唇を割り開き、縮こまっていたヴィオの舌を探し当てると荒々しく舐った。

「ンっ!!」

 
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