香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

セラフィンの思い3

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「ああ、伝言ってあれだ。俺も小耳に挟んだぞ。ジルが『もしも先生が訪ねてくるようなら、自宅にいるから来てくれ』って言ってたぞ。先生また飲みに行こうな?」

 そういってセラフィンに下手くそなウィンクをよこすが、彼はすぐさま横から後ろから女性たちからどつきまわされた。

「ちょっと! 先輩がどうして言っちゃうのよ!」
「私が最初にここに来たんだからジルさんと食事に行くんだから!」
「ずるいわ!」
「わかりました。ありがとうございます」

 これ以上彼らに構っている暇などなく、どんどんと時間が過ぎていく。ジルが何か事情を知っているのではないかという疑念が、ぽとりと落ちてきた黒いシミのようにみるみると広がっていく。
 考えてみるとそもそもヴィオがセラフィンのもとにいることを知っている人間自体が少ないのだ。セラフィンの家族、ベラ、そしてジル。

(ジルなら里のものに連絡を取ってヴィオを連れ戻しに来てもらうことも可能だ。でもなぜ? そんな必要があるのか?)

 再び大通りに飛び出して行きかう人々を避けながらタクシーを何とかととめると車に乗り込んだ。今度はジルの住む駅、つまりは自分の自宅から程遠くない駅まで逆戻りだ。

 一刻も早くヴィオのもとにたどり着きたかった。そのためには何か事情を知っていそうなジルを掴まえることが先決と考えながらも、心は落ち着かず、みっともなくも車の中でガタガタと脚を踏み鳴らしてしまう。こんなにも駆り立てられるような気持になったことは、もしかしたら兄を追い求めた時以来かもしれない。

(いや……、あの時だって、俺はここまで無様に追いすがっただろうか? ソフィーの居場所をもっと粘ってバルク兄さんに聞くことだってできた。ランバートのおじい様に直談判して聞きに行くことだって、中央を飛び出してランバートの領地一つ一つをしらみつぶしにソフィーを探すことだってできたはずだ。でもそうはしなかった。心のどこかで、ソフィーと俺はいつかはそれぞれの道に別れなければいけないとわかっていたからじゃないか。今回だって本質は同じだ。ヴィオはドリの里に戻った方が幸せに生きられるかもしれない。あの里も、若い世代を頼りにしているだろう。同族の番はフェル族にとって相性抜群の相手だ。だけど、俺は......)

 今回ばかりはどうしても諦めたくなかった。ヴィオと心が通じ合ったと感じた時に彼から受け取った。あの暖かくももどかしく、陶然となるほど愛おしい、そんな宝物のような気持ちをまだ自分からもヴィオに伝えていない。そしてヴィオが自分のことをどう思っているのかも、正面切って確認もしていない。
 これがただの年上の男の恥ずかしい空回りの勘違いだったとしても、それならそれでいい。その時は涙を呑んでヴィオの幸せを祝福しよう。でももしも、ヴィオもセラフィンの気持ちに応えてくれる気持ちが少しでもあるのならば。そこに縋ってみたい。

 いつも何事とも距離を置き、涼しい顔で大抵のことがこなせるため、努力することもなければ、時には虚無を抱えすべてが詰まらなく思えて自暴自棄になり、全てを投げ出してしまいたくなる心地にもなった。

 でも結局そんな時でもそれなりに自分を保って美しく取り繕い、格好の悪い様は見せないようにしてきた。そんな姿はなんに対しても本気になり切れなかった中途半端なセラフィンのこれまでの生き方を象徴しているだろう。

 しかし今のセラフィンはどうであろうか。白衣の下に来ていた黒いシャツ一枚で汗だくになり、掴んでいた鞄のポケットは開いたまま、髪もぐしゃぐしゃ。
 はたから見たらそれでも見目麗しく見えているだろうが、初々しい恋情にまるで自分のペースを保てず、振り回されて胸の動悸を止められず。車のシートにだらしなく寄りかかって目を瞑る。

(ああ。人を本気で愛するってことは、どれだけ無様で愚かで恥ずかしくて。今までの自分を全て粉々にしてしまうほどの人生観の大変化だ。こんなみっともないことったらないな。それでも、俺は。あの子の番になりたい。どうしてもなりたい。ヴィオ、優しくて愛らしい君に、もう一度君に触れさせてほしい。この腕に君を取り戻せたなら、今度こそ誠実に。生涯の愛を君に誓おう)
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