香りの献身 Ωの香水

鳩愛

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略奪編

首輪1

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 昼にはまだ少し早い時間のため、レストラン内の客はまばらだったが、給仕係の先輩を含めて色々な人たちが二人の様子をちらちらと、というよりは穴が開くほどに眺めて興奮したように何やら話し合っている。
特にヴィオの傍らで美男同士の熱い抱擁を目撃した先輩は弾けるような声を立てた。

「聞いたわよ、ヴィオ。こんな素敵な婚約者の方がいらしたなんてね。ヴィオってオメガだったのね?」
「え……」

激しく抱きしめられて、カイの逞しく厚い胸板からようやく顔を起こしたが、勝手に『婚約者』などと周りに触れ回られては黙っていられない。

(婚約者ってなに? 父さんとカイ兄さんが勝手に決めたの? リア姉さんとの話はどうなったの?)

「カイ兄さん!」
「ヴィオが大変お世話になりました」

色々な事が頭の中に渦巻き混乱しながらも、ヴィオは私服姿のカイの腕の中で咎める声を上げて睨みつける。しかしカイは先輩の方を向いたまま一見穏やかな微笑を浮かべていた。先輩はそんなカイをうっとりと見上げてくる。バックヤードからも二人を祝福するように黄色い声援が上がっていたが、ヴィオは戸惑いから泣きそうな顔になった。
ヴィオにとってカイは強靭な肉体も男らしくも整った面差しも憧れでしかないずっと自慢の従兄弟だった。ヴィオもかつてはそんな風に羨望の眼差しでカイを見つめていたかもしれないが、今は全くそんな気持ちを彼に対して呑気に抱けなかった。

ここでは誰にも第二の性については話していなかったのに、皆に知られてしまったということにもヴィオはショックを受け、カイの腕からもがくようにして身を離そうとした。
カイは終始表情を崩さないが、ヴィオが握られた手首を振り払おうとしたがそれを許さず執拗に離さない。むしろ骨が砕けるかと思うほど力を込め直してきたのでヴィオは恐ろしくなって身じろぎを止めた。カイはまるで別人かと思うほど強引で、いつでも見守ってくれた優しい兄の突然の豹変にヴィオは心が付いていけない。しかし彼をこんな風に駆り立てたのが自分の嘘なのかもしれないと思うと恐ろしくたまらなかった。

(カイ兄さん、僕がオメガだって気が付いてる? リア姉さんが話をしたのかな。……すごく怒ってる。こんなカイ兄さんを見たの、初めてで怖いよ)

バックヤードを振り返ると支配人とその横にはヴィオを面接してくれたマネージャーが少し悲しげな顔でヴィオを見ていて、先輩の女性たちは興奮気味にニコニコしながら手を振ってきた。

「里を飛び出したきり、帰ってこなかったので心配をしていたところです。皆さんにもご迷惑をおかけしました。またお詫びは後日伺います」

自分が座っていた席のカップ皿の下に代金を置くと、そう言い残してヴィオを半ば引きずるようにしてレストランの入り口をくぐり、二階にあるレストランから一気にロビーまで美しい緋色の絨毯の引かれた大階段を駆け下りる。

「兄さん、手を放して。痛いよ」

小山のように筋肉が盛り上がった肩から背中を眺めながら声をかけるが、カイはその歩みを緩める気配はない。

「離したらお前、またどこかにいなくなるだろう?」
「いなくならないよ。僕、里に戻ろうって思ってたんだから」
「そうなのか?」

僅かに気持ちが上向いたように聞こえる声を出し、カイが急に立ち止まったのでヴィオは顔からカイの背に体当りしてしまった。ぶつけた顔を子猫のようにこすったあと意を決したように顔を上げる。

「中央にまた来るために、父さんとこれからのことを話し合いたい。そのために僕は一度里に帰るんだ」

『中央』という単語を拾い、再びカイの深緑色の瞳に不穏な熱がこもり、ゆっくりと振り返る。ヴィオは兄と対決するように金の環を広げながら目を見開いて二人は互いに睨みあった。

「伯父さんと話? その前に俺にも話があるよな?」

「それは……」

カイは先ほどまでは周りの手前見せていた静かな表情のまま、だが彼の瞳にも金色の環が大きく広がる。そんなカイに竦みながらも、そもそも彼を騙したのは自分の方なのだから怒りを買ったのは仕方ないだろうと言い聞かせて腹に力を入れた。

カイはきっとヴィオがオメガだと知っていながら、こんなふうに意地悪く聞いてくるのだろう。ヴィオの行いをけして許していないからだ。ヴィオは大きく息を吸うとついに自ら告白をはじめようとした。

するとカイが繋いでいた手首を強引に引っ張って再びヴィオを腕の中に抱き込み、汗ばんだ項をするりと撫ぜた。そのまま顔を首筋に近づけるようにして熱い息がかかるほどの間近に顔を傾ける。

「なあに、やめて」
「お前の香りが……。薄いな」
「……抑制剤を飲んでるから」

観念したようなその呟きにカイはうっそりと笑い、いっそ慰めるような仕草でヴィオの後頭部を撫ぜた。幼い頃撫ぜられていたような柔らかな手つきに少しだけ安心したのか、睫毛をふるふると震わせながらカイに子どもの頃のように無防備な瞳を向ける。
その無垢でありながら前に会った時よりも少しだけ色香の滲む表情に魅せられながら、カイはゆっくりと上着のポケットに手を伸ばした。中から掴み上げたそれを後ろからするりとヴィオの首筋に巻き付ける。かちゃり、と音が鳴り、ヴィオはびくっと身を震わせた。

「やあっ」
「ああ、本当にぴったりだ」

カイの苦々しく呟く声が耳をうち、首に巻き付いた柔らかい革の感触にヴィオは目を見開いてはくはくと喘鳴して、兄を上目遣いに睨みつけた。

「なにしたの! とって! とってよ」

喘ぎ興奮してもがき、喉元を指先でばりばりとかきむしるヴィオの両手を軽々と片手でかしめて止めながら、カイは耳元で低く囁いた。

「医療用の、オメガの項保護用の首輪だ。後日引き渡しということで処方されてたんだよ。これはリアには太い。ヴィオ、やっぱりお前がオメガだったんだな」

悲鳴はなんとか飲み込んだ。しかし興奮したことにより、またあの眩暈に襲われてヴィオは精神的なショックと息苦しさから混乱し、カイから逃れるようにのけぞりたおれていった。

「どうしたの? ヴィオ君?」

受付から顔見知りの女性が駆け寄ってこようとしたが、もちろんカイは素早く傾ぐヴィオを抱き留めて軽々とその腕の中に抱き上げた。

「さあ、里に帰る前に。どうしてあんな嘘をついたのか、俺の部屋でゆっくり聞かせてもらうからな? 」

瞳を潤ませながら力なく小さく嫌々と首を振る幼げな仕草に愛おしさが溢れて、カイはヴィオの零れ落ちて頬を伝う涙に口づけを落とす。

「どっちにしろ首輪の鍵は部屋にある。お前はついて来るしかないだろう? なあ? 俺のオメガ」

ついにヴィオが我が腕に戻ったことに対する充足感と、それ以上を今すぐに求めたくなる滾る思いに晒されつつ寮までの帰路を急いだ。
















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