香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

さようなら1

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 流石にセラフィンの自宅を教えるわけにはいかず、軍の記念病院のレストランで給仕の職についていると告げるとカイは予想もつかぬ展開に再び驚いて息をのんでいた。
「まさか、初日にそのレストランでヴィオたちと食事をしたんです。思いつきもしなかった……。モルスさんも今はそこにお勤めだったんですね」

 悔し気なカイの気持ちも分からないでもない。結局一番近くといってもいい場所にヴィオは隠れていたのだから。彼の勤め先からは数駅離れているが、先ほどの警察署と記念病院は同じ管轄にある。

 同じ軍に籍を置くもの同士だが大きな組織であるため互いに今どこに所属しているのかなどは耳に入らないのだろう。

 明日の休み明けにヴィオが元気ならば職場に出てくるだろうとジルはカイにそう伝えることにした。

「とにかく無理をさせないでやってくれよ。慣れない生活で体調を崩しそうな雰囲気だった。一度里に連れ帰って、よく話をするんだ」

(まあ、先生と番になっていなければ、だけどな)

 そのあたりは人の悪いジルは教えてやることはやめておいた。頭に血が上ってこの若者が何をするか分からない……。などとなったら血の雨が降ってしまう。相手はフェル族の血気盛んな年頃の軍人アルファ。セラフィンが警官のジルと張るぐらいに強くても流石にかなうはずはないだろう。

「わかってます。とにかく一目ヴィオに会えたら、俺も少しは安心できる。ヴィオときちんとこれからについて話したいと思ってます。それから、二度と離しません」

 穏やかな口ぶりでカイはそういうと男らしい精悍な顔つきのままにこりと口元だけで笑った。しかし太く吊り上がった眉の下に耀くその目は、再び獲物に食らいつこうと狙う、溢れんばかりの欲の耀きに満ち満ちていた。

 ジルも今きっと同じような目をしてカイを見ているのだろう。
 アルファである自分たちが心の底から欲しいものを前にして、冷静でいられるはずなど、けしてないのだから。
 それが分かっていながら、ジルはヴィオを彼に引き渡そうとしている。

(死ぬほど後悔するかもしれない。いや、教えなかったら別の後悔をしそうだ。なら、俺は俺がやりたい方で後悔をしてやる)



 ヴィオの微熱はモルス邸に連れてこられた夜までだらだらと続いたが、翌日には調整しなおした抑制剤の効果がでてきて解熱した。しかし大事をとって翌日もモルス家にそのまま留め置かれることになり、セラウィンと出かける約束は無くなってしまったのだ。

「先生と動物園、行きたかったなあ」

 呟きながらヴィオは手早く身支度をする。セラフィンが沢山用意してくれた服の中でもどちらかといえば地味目のコーディネートだ。窓からの風を含んで広がる、少し大きめの上質な肌触りの白いシャツに、街で若者が着ていたような少しダボっとした明るい青のズボン。靴は歩きなれた自分の持ち物をそのままはいた。
 一昨日マダムに飾り立てられた少し窮屈なほど身体に沿った服よりも、若者らしいこの格好がヴィオの好みにあい、セラフィンが選んでくれたのだろうと嬉しく思った。

 ノック音が聞こえて応えると、侍女の一人がにっこりしながら挨拶をして部屋に入ってきた。体調を確認しに来てくれたようで、手にした盆には昨日一昨日とセラフィンに床の上で食べさせてもらっていたような消化のよさそうな粥が乗っていた。

「お食事をお持ちしましたけど。あら、ヴィオ様。お着換えされたのですか? 体調はもうよいのですか?」

「すっかり良いです。先生はもうお仕事に行かれたのですか?」

 大分ゆっくり寝かせてもらったようで、普段より早く出かけたセラフィンに会うことができなかったようだ。ヴィオは客間をお借りしているが、広い屋敷の中セラフィンの部屋がどこであるかは分からないままだった。

「はい。セラフィン様は本日は病院の方ではなく、軍の研究室の方にご出勤されています。ヴィオ様はゆっくりお休みされるようにと言付かっております」

「そうなのですか……」

 顔を見られずに残念に思った。セラフィンが今日出勤しているという研究室は多分病院の中でも守衛さんが立っていて一般外来の病棟側からは入れない位置だからいまいち場所はぴんとこない。ヴィオに親切にしてくれた受付の女性が座っている位置の逆側に、守衛が立っている入り口があったからあちらが軍関係者のみが入れる病棟なのだろうか。

(先生、今日は一般病棟の方にいないんだ……。昨日の夜もすぐに寝ちゃって話ができなかったし、里に戻る前に先生にもう一度会いたかったなあ。でも、あったら、きっと。決心が鈍る……、絶対、にぶる)

 若い侍女はそんなヴィオの中の葛藤になどまるで気が付かずにてきぱきとテーブルの上を整えていった。

「さあ、召し上がってくださいね。ヴィオ様のご出身の地域の食事はまだ料理長が研究中とのことで、こちらはジブリール様がお気に入りの美容と健康に特化した特製粥ですわ」

 見た目は特段白っぽくてとろりとしている以外は普通の食事に見えるが、中にはいろいろな植物のエキスが一緒に炊かれた米の粥。熱でぼーっとした時にセラフィンが優しい顔で食べさせてくれてからヴィオも気に入って匙を差し出されるがままに食べていた。口の中一杯に複雑に色々な薬効成分が広がる、粥の滋味は心身ともにしみいるようだった。

 木漏れ日が揺れる小さな机で粥を再びいただきながらもヴィオは考えていた。
 この二日、熱にうなされながらの夢の中には里の父や姉、カイが現れてヴィオは皆からずっと責め立てられていた。実際の家族はそんなことをいうはずはないという台詞も多々ありヴィオ自身が罪悪感から見ている夢なのかもしれないが、心に小さなさざ波がずっと立っているような落ち着かない気分は薬ですっきりと頭ができた今も続いている。

(先生がいくら優しくしてくれるからって、このままずっとお世話になり続けるのはやっぱり申し訳ない。一度、里に戻って父さんと話をした方がいいな)


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