香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

カイ2

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未だに地方にはオメガに売春をさせる宿があり、戦中派といわれる軍でも実際に戦闘経験があるのを自慢しいしい話してくるような上の世代はそういう場所に出入りしていたのを誇らしげに話してくる。しかしカイたち若い世代にはどうにも相いれない。

『オメガの匂いは俺たちベータでもわかるけど、アルファのお前が嗅いだらもう病みつきなほどたまらなくいい香りに感じて、その中でも絶対この子だって思う様な、なんだ、あれだ。「野生の勘」ってやつが働くってさ。お前フェル族だし、勘とか凄そう。かの有名な師団長「ラグ・ドリ」はお前の叔父さんな? 南の楽園ハレヘのものすごい綺麗な男のオメガと運命の番だったのではっていわれているんだってさ』

 叔父が有名人である話はそれこそ聞き飽きすぎて嫌になるほだったが、この先輩もどうやら叔父の信奉者の一人だったようだ。
 通りでカイを見る目がやたらと熱心だと思った。そういうものたちはどこかカイの向こうに叔父の姿を透かし見ているらしい。カイはラグの若い頃をなぞったようによく似ているのだ。

 しかし皆は知らない。叔父にはかつて里に妻と子がいて、里長の一族にはヴィオと、ラグの息子がカイの従兄として同じ年に生まれていた。その年は祝い事が続いて里がとても賑やかに華やいだものだった。二人がアルファとオメガであったならば将来は番に、などという話も出ていたぐらいだ。
 年を越した二月に雪崩が起きたから、ラグが帰省した時の晩秋の宴が幼心に残るあの里での最後の楽しい思い出となった。それをこうして見ず知らずのものからラグには他所に運命の番がいたなどという風に言われてカイの心中は穏やかでいられなかった。

「運命なんて……。そんなものよりも自分が大切だと思う人を俺は守っていきたい」
「へえ、お前、里に好きな子でも残してきているのか? じゃあ今カイのことが好きだって言ってる子たちに諦めるように言わないとなあ」

(好きな子? 大切に思う子は好きな子ってことなのか?)

 カイにとって故郷にいるリアとヴィオが大切に思う子であるし、一族はアルファの番は昔から家長が決めることが習わしでもある。カイはアガを尊敬しているのでアガの判断に従いたいと思っていた。
 カイにとって父親の代わりとして蔭に日向に母と自分たち姉弟を助けてくれた伯父のアガの子どもたちである二人を大切に想うのは当たり前であったし、それをただ軽く好きな子と言われても心境的には腑に落ちなかったが。

 そんな意識が変わり始めたのはいつの頃だったか。
 ヴィオが急激に身長が伸び始める手前、12歳の頃夏に街で暮らしている里の出身の若者たちと共に帰省した時だった。

 ヴィオはカイが到着する直前に来ていたという珍しい中央からの客人にとても懐いていたらしく、カイたちが滞在中に入れ替えるように帰っていった彼らを思い塞いでいた。その晩もカイたちの宴席が設けられていたというのに部屋に閉じこもって出てこなかった。

 アガにもリアにも放っておけと言われたがカイは気になって様子を見に行ったのだ。

 ヴィオは布団の上で母親の形見の赤いショールを被った状態で眠っていた。目元はこすり赤くなって痛々しく、泣き疲れて眠ったのか正体もなくして腕はだらりと寝台から落ちている。その人に書いてもらったのかノートに几帳面で流麗な文字とヴィオのあどけない字が並んで書かれた手習いがしてあり、それを逆の手で大事そうに抱えている。
 頭だけ赤い布で花嫁のベールのように覆い、身体は風邪をひきそうなほどなにもかけずに臍さえ出して横たわっていたのでカイが近づいて布団をかけてやろうとヴィオの横に大きな身体を大きく屈めた。すると不意に甘い香りが漂ってきたのだ。

(これは……)

 はじめはよい香りのする高級な石鹸かと思った。寮の同室の先輩が彼女に上げたいからついてきて欲しいと無理無理連れていかれた煌びやかな店は全体がこんな感じの匂いがしていた。(カイもリアにちゃんとお土産を買ってあげたが)
 石鹸の香りに、小さなゆかしい花を思わせるようなひそやかで透明感のある香り。この香りをずっと嗅いで包まれていたくなって思わずヴィオの首筋に鼻先を近づけてしまった。ゆっくりと赤いショールをはいで、基地でも街でもついぞ見かけないほど里の女たちの蠱惑的で肉感的な姿形に劣らぬ美しい顔を露わにしてみる。
 睫毛は長く黒々としていて。鼻筋もしっかり通った骨格に、今はくしゃくしゃだが光に当たると黒からグレーのように光が透過するガラス質に輝く髪。自分を甘い声で呼んでくれるぽってりとした赤い唇。
 小さな頭の横に腕をたて、そのふんわりとした赤に惑わされ、吸い寄せられるように顔を近づけていったら、ヴィオが身じろぎしたので正気に返る。

「んっ……」

 あえかな吐息が色めいて聞こえて、カイは飛び上がるようにして身を起こすと、自分の口元に手を当ててまだ幼い従兄弟を見下ろした。

(俺は何をして……。相手はヴィオだぞ?)

 おしめさえかえてやった小さな男の子相手になにをしているんだと、自分で自分が恐ろしくなった。
 しかし改めてまじまじと泣きぬれ目元に朱がさしたのが気だるげで、少し艶っぽくすら見える痛ましい寝顔を盗み見た。

 その答えを探す中で頭に浮かんだのはあの先輩の言っていた言葉。

(『運命の、番?』)

 この子を自分の物にしたい。
 そんな直観的な衝動が沸き起こったのはそれが最初で。

 その時からカイは、ヴィオをただの従弟とだけは見られなくなっていた。












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