香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

カイ1

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 カイが故郷を離れたのは春は遠い雪のちらつく日で、まだ成人前だった。

 彼が幼い頃、里の半分以上が雪崩に覆われ壊滅するという悲劇が起きた。カイの父親も幼い従兄弟も、優しかった叔母たちも。多くの人が犠牲になり、もう人々は立ちあがることはできないのではないかと思った。

 伯父のアガや残った里の人々と暮らした場所は、元の山里とは比べようがないほど味気ないただ住む家を建てたからどうぞといった感じの場所で、全てを失った大人たちはみな暗い表情で少年だったカイの気が塞ぐことが多かった。
 一番年長の従兄たちはアガと対立し早々に里を出ていき、仲良しだった友達も多くは家族と共に里を離れていった。里は里としての機能を失い、ただの集落としてぽつんとそこにあるだけのものとなっていった。

 カイは里長の一族であったし、生まれてから一度も里以外で暮らしたことのない母や姉が他所の土地に行けるはずもなく、どうにかこの場所で身を立て生き抜いていくことを模索していた。
 そんなカイの心の支えだったのは、雪崩があったころはまだほんの赤子だったころころと愛らしいヴィオの存在だった。

 女たちの間に紛れカイの母にべったりだった当時人見知りをしていたリアとは違って、ヴィオはカイが抱っこしても泣かなかったから度々御守りに駆り出された。ヴィオは母親を亡くしていたから、アガの妹やカイの母が子育てを手伝っていたのだ。畑仕事をしながらおんぶもしていたし、歩けるようになってからはカイの後ろをよちよちついて歩いてきて本当にかわいかった。
 道端の菫と同じ色の瞳をきらきらさせてながら、稚い指先に虫を摘まんで口に入れそうになった時は焦ったし、目を離したすきに大きな道路沿いに歩いて行ってしまって肝を冷やしたこともあった。面倒に思った時もあったが、その無垢な笑顔をみるとなにより寂しい里の暮らしの中で心が慰められた。

『カイお兄ちゃん』と甘えた幼い声で呼ばれることが嬉しくて、優しくミルクのような甘い匂いのする丸い頬をしたヴィオ抱っこしてする日向の昼寝は本当に心地よかったものだ。今でも暖かな記憶として、疲れた時に蘇る。

 地元では学のない自分が仕事に恵まれることはなく、それならばと多くの一族、古くは叔父たちが在籍していた軍の一番近い基地で頼み込み、雑用をやらせてもらうことから入った。のちに恵まれた体格と真面目な仕事ぶりが認められて正式に入隊が許された。里のものたちには国の英雄とまで呼ばれた叔父に瓜二つのカイはきっと軍に居場所を見つけられるだろうと言われ続けてきたが、実際ありがたいことに彼の後を追うことで道が開けたのだ。基地で休み時間には図書室に通って猛勉強をした。それを知った優しい基地の所長が気を利かせて学のある文官たちをカイに勉強をつけてくれたおかげで元々素地の良かったカイは見る見る内に頭角を表し、心身ともに成長していけたのだ。

 街の基地にいられるときは里から通っていたが、地方の基地に移ることになったと告げた晩、ヴィオは泣いて泣いてカイの膝から降りようとしなかった。

 その柔らかな身体を抱きしめていると、本当に心が凪いで穏やかになれ、同時に離れがたい気持ちが沸いてカイは涙がこぼれそうになるのを必死で耐えていた。


『おい、お前アルファなんだろ?「運命の番」っているのか?』

 それは東の基地にいた時だったか。同僚にそんな風に声をかけられた。その頃のカイはアルファということが周りに知れ渡っていて一目置かれるようになっていたが、もともと基地にいた先輩たちはみな気安くそんな風に声をかけてきてくれたのがわりとありがたかったのでよく覚えている。

『運命の番って何ですか?』
『お前アルファなのにしらないのか? よく聞くだろう? アルファとオメガの間には併せ貝みたいにぴたっと閉じあう様な自分にピッタリ合った惹かれあう一対がいるんだって』

 閉鎖された里の中で育ったカイはその後軍で悪友たちからも色々な入れ知恵はされてきたものの、カイは基本的にはストイックに生きてきたのであまり雑談に身を投じることもなかったのだ。だがその先輩が話してきた話は興味深かった。

『どうしたらわかるんですか? その運命というのが』

 軍に入ってからは任務に支障が出ないように時と場合によっては抑制剤を服用することも多く、また当然オメガには近づかないようにしていたのでカイにはまるでぴんとこなかった。

『ほら、あれだ。俺も嗅いだことあるけどオメガってすごくいい匂いがするだろう? 俺達には香水程度に香ってまあ、そのちょっといい気分になるけど』
『嗅いだことがあるんですか? 俺はないです』
『まあな。まあその、ああでも仕事中にだからな。やましいことはないぞ。そういう店とか言ったわけじゃない』

 
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