香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

後見人

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「ヴィオはこのまま俺の元で入学までゆっくり準備すればいい」

 母親の前でそう宣言したセラフィンにヴィオは驚いて彼をまじまじと見上げた。セラフィンは目元を緩め、心なしか嬉しそうな笑みを口元にも浮かべている。涼しいそよ風に髪を弄ばれたセラフィンは耳にかけてからさらにヴィオに向かって艶やかに笑いかける。どちらかといえば日頃冷たげに見えるほどの美貌なのに、そんな笑顔はとても可愛いと年下のヴィオでもそう思った。

 でもこのままセラフィンの傍にいられるのは嬉しかったが話が急に進んでしまうと途端に不安も増してきたのだ。 

「先生のご厚意に甘えてばかりはいられないのですが……」

(宙ぶらりんな立場の僕が、これからもずっと先生のお世話をうけ続けていいのか正直わからない)

 そんなヴィオの憂い顔をうけてジブリールは金色の細い眉を僅かに顰めると一口口をつけたカップを静かにおいた。

「ヴィオはオメガだったのよね? 残念ながら中央は今でも番のいないオメガが一人で暮らすには危険すぎるわ。戦後貴方が生まれたころなんてそれはもう治安が悪くて、何年もかけて昼間は大体の街では独り歩きできるほどにはなったのよ。それに残念だけど中央はとても物価が高いから、ヴィオが少し働いたぐらいでは借りられるようなお部屋はないわ。借りるとしたら中央からかなり郊外に出るか……、あまり治安が良くない場所なるわね。世間知らずの貴方が、一人でも暮らせると思っている間は、とても一人になどできません」

 淑やかで優美な貴婦人と思っていたジブリールは滑らかで穏やかな口調だが、思いのほか強硬に言い切った。ヴィオはセラフィンよりもさらに包み隠さぬジブリールの言葉と、数日前に病院の先生から聞かされた望まぬ番にならないための首輪や抑制剤など色々聞かされたオメガの心得が蘇る。ヴィオはそのまま二の句が継げなくなった。

(セラのところにいた方が安全と思わせようといってはみたけれど怯えさせてしまったわね)

 ジブリールは自分のせいとはいえ青ざめたヴィオを可哀そうに思ってお茶のお代わりを勧めながら取り繕い始めた。

「ヴィオ? 誤解しないでね。私もオメガだったから、今でこそ発情期がないからベータと変わらぬ生活ができてますけれど、抑制剤すらなかった若い頃は、番のいないオメガは一人で外を出歩くことすらままならなかったのよ。必ず家にものを連れていきましたよ。一人で暮らす若いオメガは望まぬ番にされたり、慣れぬ薬の副作用で身体を壊したり。いらぬ苦労をしながらでは学校で学ぶことすらままならないでしょう」

「それはセラフィン先生からもうかがいました」

 しょぼんとしたヴィオをセラフィンが明らかにはらはらした顔をしながら励まそうと思ったのか、彼にしては声を張り上げる。

「だから俺の元から学校にも通わせる、俺がヴィオの後見人になる」

「後見人?」

 ジブリールが『そこは番でしょう?!』とセラフィンを煽るように挑発的な眼差しをくれたが、ヴィオ自身に直接に求愛をしていないのにこんな昼日中、母や祖母のようなマリアを前に『愛している、ゆくゆくは俺の番になって欲しいと思っている』とまでムードも何もなくいうことは流石にできず、セラフィンは後見人などと言葉を濁した。
 ヴィオのことを大切に思っているからこそ、ちゃんと手順を踏んで婚約して番になりたいと、いつでも邪道を貫いてきたセラフィンは今度こそ正道を貫こうと思っていたのだ。
 しかし寂し気なヴィオの顔はまだ憂いたままで、恋愛小説が愛読書のジブリールはやきもきしすぎて心象風景の中ではきりきりと歯を噛みしめていた。

(もう、なんでか煮え切らない子ね。これだけ大事にしようとしている相手なのになんで『俺が番になってヴィオを守る』、ばーんって! 恰好よく一言がいえないのかしらね)

 長男のイオルも、次男のバルクも突然番を作って親に報告してきたのでまだ先に連れてきたセラフィンは紳士的と言えたが、ジブリールには逆に物足りなく不満に思った。

(やっぱりオメガたるもの、番になって欲しいと強く望んで守ってくれる殿方と番いたいものよね。まだまだ若い可愛いヴィオだから、なにも年の離れた何考えているのかいまいちわからないセラフィンと番にならなくてもいいのかしら?)

 そんな風に我が子をこき下ろしながら、呑気に思ってジブリールは今度は矛先を変えてきた。

「でも一つだけ確認が。里に残してきた貴方のご家族のことです」

 ヴィオにはセラフィンに話をしていなかった事がある。そのことに言及されるのかとびくっと肩を震わせた。
 隣に座っていたセラフィンもヴィオの表情が変わったことは流石に見逃さなかった。

「ヴィオ?」

「なにか話したいことがあるならばなんでもお話してもよいのよ?」

 ジブリールが穏やかだが有無を言わせぬ雰囲気で続きを促し、ヴィオは流石に罪悪感から黙っていることができなくなった。

「あの……、僕」

 先日ヴィオが中央に突然来た理由についてセラフィンは中央で進学を果たすために自活の道を探るためだと聞いていた。その一方で妻の忘れ形見を大切に思っているアガが成人したての息子を突然中央に送り込むとも思えなかった。

 だがヴィオと共に暮らす日々は想像がつかないほどの多幸感をもたらすセラフィンの人生の中でも光り輝く出来事で、それ以上の追及をセラフィンはわざとすることはなかった。
 葛藤がなかったわけではないが、ずっと遠く離れて見守ってきた彼のあたたかな身体がいつでも手に届く距離にいる、この幸福を手放したくなかったのだ。昏くほろ苦く、しかし甘く後を引く眩惑の夜を経て、その気持ちはより強くなった。

 ヴィオは項垂れるとテーブルクロスに隠れた部分で両手をギュッと握りしめて下を向いたが、沈黙が流れていく中やがて決心したように顔を上げた。 

「中央には従兄弟と姉と共にきました。バース検査をするためです。そのまま僕がここに残ることを知っていたのは姉だけです」
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