香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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略奪編

ジブリール・モルス1

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 その日、やんごとなき貴婦人であるジブリール・モルスは朝からそわそわしていた。

 というのも15歳の時から留学し、帰国後10年近く近所に住んでいるというのに生家にまるで寄りつかない末の息子が本当に久しぶりに帰ってくるというのだから。

 手紙のやり取りはするものの、今は便利な電話があるのに声を聞かせてはくれない。もっぱら話はマリア伝いに伝言されるばかりであったのに。

(きっときっと、何か大切な話を直接したいんだわ。そうに違いないわ)

 前回セラフィンが自ら生家を訪ねてきたのは今から5年前。その時は兄バルクと父ラファエロに頼まれてソフィアリの番であるラグの故郷の里を訪れ、その近況を報告しに来た。そしてジブリールに彼女が支援している団体を通じて学校を作ることができないかソフィアリは自らそう申し出てきたのだった。
 それはジブリールにとって意外過ぎる展開で、もちろん他の家族も誰もが驚いていた。
 セラフィン話によればドリの里は思った以上に壊滅的な被害を受けており、もはや里としての機能は失われているということ。国からの支援は人々の間で分散しており、うまく役立てられておらず里を再興したいものとよその土地で一からやり直すものの中で対立が生まれて中途半端な復興を果たしたこと。また地域社会の中で彼らは孤立してしまったため、子どもたちは満足に学校にも通えていないと。
 ジブリールはその話に胸を痛めていた。もしも里に彼が戻れていたら。社会的にマイノリティまた精神的な支柱として里の人々を求心できたであろう国の英雄にしてその里の出身であるラグ・ドリ。しかし彼は息子のソフィアリを支え守る番としてけしてハレヘの街を離れることはできない。つまりは彼をいわば『引き抜いた』モルス家にもそれ相応の責任もあるとセラフィンはいいつのり、それは確かに一理あると父もバルクも考えていたようだ。

『もちろん、俺にできることならばなんでも協力したいと思っている」

 セラフィンが複雑な感情を抱えていたはずの『ドリの里』のため、ここまで言わしめる程の何かがあの里にあったのだろうが。しかしそれにしても急な彼の変化に家族は皆不思議に思ったものだった。

 その話し合い以来再びぱたりと実家に寄りつかなかったセラフィンが、どうやら大切な客人を連れて帰ってくるらしい。
 夫のラファエロの耳にもその一報ははいっていたが、彼は抜けられぬ用事があり、できるだけセラフィンとその客人を夜まで屋敷に留めるようにとクギを刺しつつ後ろ髪をひかれながら出かけていったのだ。

「せっかくだから、中庭でゆっくりおしゃべりがしたいわ」

 そんなジブリールの思い付きで白や黄色の夏薔薇に囲まれた中庭の東屋は美しいティールームに仕立てられた。お気に入りのティーセットを運ばせて、備え付けられたつるりとした白い大理石のテーブルに明るいレモン色のテーブルクロスを引き、夏薔薇にミツバチが飛んだ柄のお気に入りのプレートを使い、そこにはカラフルな可愛らしい菓子が盛り合わせられる。

「気に入ってくれるかしら。セラフィンが連れてくる子。きっと若い子よね? 甘いお菓子は好きかしら」

 中央の夏は涼しい。そよそよと吹く風が適度に自然の情景を残しつつも季節の花々が美しい中庭に立ち、ジブリールはやや天に顔を向けたまま瞳を閉じた。
 双子の息子は子どもの頃この庭が大好きだった。今でも瞼を瞑ればそこに、彼らがじゃれあいながら駆け回る姿がありありと思い出せる。

 そわそわと席についたりまた立ちあがってまた庭から東屋にもどり、そしてまた立ちあがって庭の入り口の方を眺めたり。

 かつての侍女頭でありつつ、現在も息子のセラフィンの様子をうかがってきてくれるマリアが、そんな女主人の様子に苦笑した。

「ジブリール様、いい加減落ち着いて下さいませ」

 この屋敷の女主人であり、高名な慈善家であるジブリールであるが、ジブリールが嫁いだ時にはすでに侍女頭だった高齢のマリアにしてみたら、突然攫われるようにしてラファエロと番になり、この屋敷で夜ごとホームシックでしくしく泣いていたのを慰めた少女の頃のままの印象なのだ。いくつになっても彼女にどうしても甘くなってしまう。

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