香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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再会編

青紫の小瓶1

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頭の上から鮮やかな色の花々が振りまかれた。そんな幻想に囚われるような幸福感溢れる香り。

(この香りだ!)

 女が瞳を半月のように細め、嘲け嗤いで振りまいた、青紫色の神秘的な香水瓶の中身。それがこの部屋に漂っている香りの源だとわかった。

「暗示……? どうして、早く先生を起こして!」

 女は寝台に座ったまま、涙をこぼしながらセラフィンを気遣うヴィオの顎を、真っ赤な爪の付いた足先で持ち上げて自分の方に顔を向けさせた。

「昔ね、貴方みたいな男の子を知っていたわ。その子もフェル族だったの。とってもいい子だったのよ。優しくて、思いやりがあって、争うことが大嫌いで。……少し昔話をしようかしら。こっちにいらっしゃい」

 女は黒いドレスの間からぼれんばかりの乳房を見せつけながら屈み、ヴィオを自分の隣に座らせようとしたが、ヴィオはセラフィンを抱きかかえたまま首を横に振ってぎゅっと目からまた透明で大粒の涙をぽろぽろとこぼした。

「ご主人様が大切なワンちゃんみたいね。いいわ。そのまま聞きなさい。
貴方みたいに若い子はわからないでしょうけど。昔ね、この国がまだ戦争をしていた時。フェル族の若者も沢山軍に入って最前線にいったのよ」

「し、知ってます。僕の叔父たちも軍人でした」

「フェル族には軍人も多いわね。テグニ国と違って、この国の人は線が細くて華奢な人が多いから、フェル族が職業軍人になって守っていたという歴史があるから。その子もね、従軍してた。知ってる? フェル族の中でも戦闘には適していないシドリ派っていう一族の出身だった。前線で天候や気候を読むのが得てだったから従軍していたの。戦うことは大嫌いでね。雲を眺めたり草花が大好きな……。笑顔が本当に暖かくて可愛らしい子だったわ」

 その人物の話をはじめたら、途端に彼女の色のない頬が紅を刺し、ベラを取り巻く雰囲気が柔らかく変わっていくのがありありとわかった。

(その子は、この人の大切な人だった。そうに違いない)

「戦争はずいぶん前に終わったって聞きました。僕は記憶もありません。その人は今はどうされているんですか?」

「死んだわ。殺されたようなものね」

「殺された……」

 平然と話した彼女よりもヴィオの方がむしろ痛ましげな顔をしたことに、ベラは少しだけ微笑み、満足したように続きを話し始める。

「戦闘員ではなかったのに、フェル族っていうだけで興奮剤を服用させられて前線に送られたのよ。昔はね? 軍の中でフェル族の獣性を引き出そうとして興奮剤を知らずに使われて前線に送るような人権侵害がまかり通っていたのよ。今でもこの国の軍は認めちゃいないけど……。でもその子はもともと繊細で穏やかなシドリ派。自我を保てなくなって錯乱して、味方を自分の意思でなく傷つけた後、それを苦に崖から身を投げた」

 肝心な時に言葉に詰まってうまく紡いでいかれない。ヴィオは悲しみがこみ上げてきてまた新しい涙を零した。
 ヴィオの一族は獣性のコントロールに比較的優れたドリ派。叔父は国の英雄とまで言われるほど昇りつめた人間だとも聞いていた。みな無事に里に帰ってきたし、寧ろなくなったのは里の方だった。だから彼女が話したことが本当であるならば、そんなに哀しいことが昔は行われていたということがショックだったのだ。

「その人は、貴方の大切な人だった?」

「そう。私の全てを満たしてくれた人だったわ」

「どうして僕にそんな話をしてくれたんですか……」

「さあ、昔話はここでおしまいよ? 可愛い坊や。貴方はフェル族の中でも何派かしら……。ふふ。いいわ、あててあげる。ドリでしょ?」

 なんでもお見通しの女が再び恐ろしくなってヴィオはまだ目を醒まさないセラフィンの身体をさすりながら強く抱きしめた。

「ドリでもきっと、貴方ほど綺麗な瞳の子はなかなかいないわね。私ねえ、今は家業の宝石商をしているのよ。だから宝石みたいな瞳に本当に目がないの。セラフィンはサファイアみたいでしょ? あなたはアメジストって簡単に片づけられるような目じゃないわね。金色の墨を流したような、不思議な色合い」

「先生のこと、宝石の名前で呼んでたのはそのせい?」

 確かにセラフィンの瞳は青玉と呼ぶにふさわしい端麗さで、ヴィオは見つめられると空の青をうつしたよりまだ青い瞳に全てを捧げたくなるほどうっとりしてしまう。

「貴方の無垢さとここまで話を聞いてくれた辛抱強さに免じて教えてあげる。セラフィンと私はね。ずっとずっと若い頃、外国にいた時に、私と関係をもっていたのよ」

 彼女は大分打ち解けてきたようにこともなげにそんな話をするが、セラフィンの心を寄せるヴィオは、やはり恋人だったのだと胸がぎゅっとしめつけられて、苦しくてたまらない。

「じゃあもうこんなことしないで。先生とちゃんと向かい合って。だって昔は先生のことが好きだったんでしょ?」

「正確には、セラフィンが私をね。……いいえ、違うかしら? 私を代わりにして抱いていたのだから、セラフィンが真に求めていたのは、これね」

 ベラは再び手のうちにもっていたオレンジ色に光るランプに昏い輝きを反射させる香水瓶を持ち上げて、再び弧を描くようにヴィオたちの頭上に振りかけた。

「この香水は……」
「セラフィンが真に愛した人の香り」

(先生が、真に愛した人……)

 その告白こそがヴィオの心をさらに揺さぶり、狼狽したままセラフィンの顔を覗き込むが、端正な彫像のような顔には大分顔色が戻ってきたが以前意識がないままだ。

「それよりも、ヴィオ? 貴方のその香り。どんどん強くなるわね?」
「え……」

 まさか他人から指摘されるほどフェロモンが漏れているとはヴィオは涙の残る瞳を見開いた。ベラは寝台から立ち上がるとヴィオの二の腕を掴んだ。

「何を!……」
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