香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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再会編

過去の疵1

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 ジルの知っているセラフィンは留学から戻った時期からだ。それ以前の出来事はけしてよい思い出ばかりではなかったらしく、むしろセラフィンに人との距離をより取らせるきっかけになっていたようだ。

「ずっと知りたくても聞けなかった。あんたに嫌われたくなかったんだ。でもいいだろ? そろそろ昔の話を教えてくれても」

 あまり過去について話したがらないセラフィンの気持ちを汲んで、ジルは深い心の内側に分け入ることを二の足を踏み続けてきた。
 過去がどうあれ、今ジルと過ごすことを選んでくれているセラフィンを大事にしたかったからだ。
 
 続きを催促するように抱きしめる腕に力を込めると、セラフィンは観念してふうっと少し色めいた溜息をつく。そして互いに顔を合わせぬ体勢で熱く屈強なジルの腕に抱かれたまま、ついにゆっくりと語り出した。

「若い頃、家族に追放同然で送り込まれた留学先であの人にあった。あの頃俺は自暴自棄になってて……。平気で人を傷つけたし、何もかも面白くなくて、つまらない悪さもした。自分から危ないことに面白がって首を突っ込んで……罰があたった。世間知らずで怖いものなしが祟って質の悪い奴らに捕まって……。その時救ってくれた、恩人。俺の初めてのひとだ」

(先生の初めてを奪った女。なおさら妬ける)

 そしてジルがわりと嫉妬深く独占欲が強いと知っているからあえて口にしてこなかったのだろうかとも思った。つまりこれは留学中の恋愛絡みの話と言えた。

「結局……。あの人とはどうしても相いれない部分があって俺が捨てられたようなものだな。俺も帰国してだいぶ立つし、今さらあっちから連絡をしてくるとは思わなかった。……こんな話してもつまらないだろ。今まで誰にも話してない」

 まだジルが出会う前のセラフィンは、番にしたいとまで思い詰めた双子の兄への恋情を周囲から断ち切られ、荒れに荒れた時期があった。帰国後はそれも落ち着いて今度は味気ない日々に飽いて、人生を憂い冷めきった時期に出会ったのがジルだとそれは昔、強かに酔った時に話してくれた。

『まあ、お前と出会えてよかったよ。退屈して色々考え事しては塞ぐ時間が減った。フェル族の研究も純粋に楽しんでやろうと思う気にもなれた』

 酒に酔ったとはいえそんな風に言い、ジルにしか見せないような寛いだ雰囲気の中、稀有な美貌を惜しみなく使って微笑まれたから、ジルはこの不器用な青年をなおさら放っておけなくなった。

(甘やかして優しくしてたら、そのうちあんたを今みたいに俺の腕の中に閉じ込められるのじゃないかって、そんな期待をたまにくすぐってくるんだ。あんたは狡いな)

 ずるいずるいと思いつつも、セラフィンが心を許した隙に付け入ろうと何年も狙っているそんな自分自身のずるさも自覚していた。

「あんたを振る人間がこの世にいるなんて思わなかったな」
「知ってるだろ? 俺は失恋しかしたことがない」

 そんな自虐的な言葉に、ジルは首を伸ばしてセラフィンの滑らかな頬に口づけ、いっそ切ないほど掠れた甘い声で囁いた。

「知ってたよ。先生は不器用なんだ。愛情を伝えるのが下手。あんたのそういう寂しいけど可愛げがあるとこ、俺は好きだけどな。俺にしとけばいいのに」

 セラフィンはジルが抱きしめてくる硬い腕を強く握り、少し後ろを振りむくと僅かだけその胸に横顔をつけ瞳を閉じた。その仕草にジルは彼なりの自分への精いっぱいの愛情と信頼を感じる。セラフィンはそのままの姿勢でジルに身体を委ねた。

「……あの女は自分が気にいった男に望んだ役割をさせたいだけで、それだけが目的ならそのうち飽きるだろう。昔も俺の他にも大勢、宝石を身に着けるみたいに男をはべらしてた。あの女は一番大事な宝物を失ってからはずっと、そうして生きてた。俺と同じで代替品で寂しさを埋めてたんだろ」

 互いに互いをそんな風に思っているのなら、確かに拗れ切った男女の関係であったのかもしれない。ジルはそう納得するよりほかなかった。

「でも今近づいてきた狙いは多分別のところにあると思う。実はまともに彼女と話をしてないんだ。本を読んで出版社に手紙をくれて一度俺と会いたいって申し入れがあったのを俺が無視し続けてたんだ。いい別れ方をしたわけじゃないから億劫で……。あの晩の記憶はあいまいだけど、お前とすれ違った時は多分、彼女が業を煮やして直接家に乗りこんできた時だろう。朧気に、覚えてる。それでも俺が彼女と関わりあうのを拒んだから、拗れた」

(昔から拗らすのが得意だったんだな。俺も十分拗らせられてる)

 ジルが多感な時期に心を奪われたのは双子の兄の方の麗しい肖像だったが、それと瓜二つの美貌を持ちながら性別はアルファで、手に入りそうで入らず、ジルの方から離れたら確実に接点を失うとわかっている物事への執着を亡くしたセラフィン。ジルが求め続けることでしか関わりあえない。ジルは苦し気に背後からセラフィンの項に唇を這わせた後、額を押しけた。
 セラフィンはされるがまま、けだるけに首をかたむける。

「嫌がらせに昔彼女にかけられた暗示がまだ生きているか試されたんだ。色々記憶が曖昧なのはそのせいだ」 

 やや投げやりな口ぶりで言い捨て、セラフィンはまた大きくため息をついた。

「暗示? 記憶がなくなるほどの? そんなこと可能なのか?」

「信じがたいだろうな。彼女は……。ベラは戦時中はテグニ国の諜報員だったらしい。得意技は催眠や暗示。テグニ国とは友好国だが、一応他国のそういう仕事をしていたことのある人。俺の家もその気になれば分けなく探し出せた。恐ろしい人だろ? 今は一応宝石商をしていると名乗ってきたけど。それも本当かどうか……」

「セラ、あの女に……何をされたんだ?」

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