香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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再会編

思慕

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ジルが職場の同僚と仕事帰りに寄ることが多い。お酒を嗜むことがメインの食事処。

 頬を薔薇色に上気させ、全身の力が抜けたようにふにゃんふにゃんのヴィオは、隣に座った大柄なジルに身体を持たれかからせて幸せそうに微笑んでいる。

 中央の食事は初めて食べるもの、見たこともないものばかりでどれもとても美味しく、ジルが進めてくれた甘いお酒はとても口当たりが良くするすると入る。一族の特徴から酒はそれほど弱くないはずのヴィオだが、長旅の疲れ、慣れぬ診察、先生を待ち続けての緊張と冷え、そしてぎりぎりまで本人なりにすり減らした神経と多くのことが重なって、二人と話をする間もなく本当にあっという間に酔いつぶれてしまった。

 おかげでセラフィンとジルは、どうしてヴィオがリュック一つを背負った姿で急にここに現れたかも確認できぬまま、本人は半分夢うつつの世界に入ってしまったわけだ。

 ジルは自分の肩に当たるフワフワと癖のあるヴィオの髪や首筋から漂う甘い香りに、久しぶりに胸がきゅんとうずく心地を味わっていた。

「はあ~ 可愛いなあ。こんないい匂いさせた子がこんなべろんべろんになったら、お兄さんたまらなくなっちゃうな。なあ? 先生?」

 向かいに座ったセラフィンは形良い片眉を吊り上げながら酒をぐびりと飲み干した。

「何が言いたい?」
「先生だって気が付いてるんでしょ? この香り。ヴィオのバース性がなにかって」

 セラフィンもジルも、番のいない若いアルファだ。酒を飲んで体温が上がったヴィオから立ち昇る馨しい香りには勿論すぐに気が付き、万が一に備えて食事の部屋も個室に変えてもらっていた。

 ジルはヴィオの左肩を抱いていた手を持ち上げて、自分の肩に寄りかかるヴィの髪をかき上げて瑞々しい首筋を晒した。指でするりとくすぐると、ヴィオはむずがるように甘い吐息を漏らす。

「ふにゃふにゃになっちゃって。あー。可愛い。こんな知らない街で酒飲まされて、悪い人に捕まっちゃったらどうする気だったのかねぇ? なまじ腕が立つだけに警戒心が薄い、駄目だねえ、ヴィオちゃん」

 今度は引き締まってもまだ柔い頬を撫ぜ触り弄ぶ悪戯な手を、セラフィンは向かい側からぺちんと払った。

「べたべたと触るな」

「怖い顔で睨まないでくださいよ。ヴィオは先生の恋人でもなんでもないでしょ? てか、誰のものでもない真っさらだね。項に噛み痕はないし、医療用の首輪もしてない。これは本人が自分の性別をわかっていないってことかな」

 ヴィオがオメガと判じられたばかりであるとは露知らないし、まさか世間知らずの若いオメガが首輪もしないで中央の街中をうろうろしているなどと、世間の常識的に考えたら信じがたいことなのだ。

「お前のどこが枯れ切ってるんだ。来るものは絶対拒まないって噂されてるんだってな。去る者も追わないらしいが。お前が特定の相手を作らないから署の周辺の若い女性が皆、他の署員になびいてくれぬと、さっき愚痴られたぞ」

「なにそれ? 誰に聞いたんですか? まさかさっき署で? 明日絞めるんで相手の名前教えてください」

 軽口を叩きヴィオを髪を撫ぜながら、ジルは自分も今宵は最後にしようと注文していた葡萄酒を飲み干してからセラフィンに本題を確認すべく急襲をかけた。

「先生、俺に話があったんですよね?」

 今日はゆっくり話ができるとは思えなかったが、逆にこのペースが崩れた今だからこそ、本音が聞けるのではないかと考えたのだ。

 しかしセラフィンは僅かに目を見開いたが、すぐに反らしてヴィオの方を見つめる。

「……次の機会でいい。ヴィオ、そろそろ今晩泊まるところに送っていくぞ。車を呼ぶから場所を教えるんだ」

 セラフィンがテーブルを回りこんで、通路側に座っていたヴィオの方に手をかけて優しく揺り起こす。

 眠そうなヴィオはゆっくりと長い睫毛を瞬かせて夢を見てるような表情をしてうっとりとセラフィンを見上げた。そして満面の笑みを浮かべると、子どもの頃のように両腕を夢にまで見た愛しい相手に向けて伸ばしてきた。

「どうした? もうここに来られるほど、大人になったんじゃないのか?」

そう応じながらもセラフィンの声は甘く優しい。抱き上げジルに手伝わせて背に負ぶったヴィオは、身長こそ伸びたが身体はまだまだ細くて軽かった。すりすりとセラフィンの背に頬を摺り寄せてこれまた幸せそうだ。

「泊るところ……ありません」
「え? ヴィオ、どういうことだ? 寝るな! 起きるんだ」

 再び眠りにつこうとするヴィオにジルも慌てて揺り動かすが眠気に負けてずりずりと身体がかしいでいく。セラフィンは無言でそれを背負いなおした。

「こんな状態で、下手なところに泊まらせるわけにはいかない。俺が自宅に連れて帰る」

 人と距離を取りたがる慎重な性格のセラフィンが、番のいないオメガを即断即決で家に招き入れると決めた。しかしジルは意地悪く自分も腕を伸ばしてヴィオをセラフィンから受け取りなおそうとする。

「先生のところは女がくるから駄目だろ? 俺がうちに連れていく。警察官の家なんてこれ以上安全なところはないでしょ?」

 その様々な嫉妬が滲む当てこすりにセラフィンは目を剥いたが、ジルも呼応するように低く唸った。

「事実だろ? 黒髪の色っぽい女が好みだよな、先生? この子じゃまだ役不足だ」
「黙れ」
「あんたが俺にちゃんと話をしないからこうして拗れてるんだ。いい加減事情を話してくれよ……。俺はそんなに頼りないのか? それともあんなに一緒にいても、俺はやっぱりあんたの何にもなれなかったってことか?」

 セラフィンが押し黙り、背負ったヴィオの瞼もふるふると震えている。ジルはこれ以上ここで追及するのことをやめた。

「可愛いヴィオ。この感じじゃ抑制剤も飲んでないだろう。今晩もし急に発情したら、俺もついに番持ちかな?」

 再び始まる応酬に、セラフィンは背中のヴィオを奪われまいと、ジルと正面を切って向かい合った。

「そんなことは許されない。この子はまだ子供みたいなものだ」
「ふーん? そんなこといってさ。俺を恋敵みたいな顔で睨みつけてる。先生こそ明日には番持ちになってるかもよ?」

 本当に一人のオメガを争う恋敵にでもなった心地だ。
 互いの瞳が交錯し、暫し激しく睨みあう。

 その緊迫したやり取りを崩したのはヴィオの甘美なつぶやきと、頬を伝って流れた涙だった。

「……先生、ずっと、あいたかった」

 答えが決まったとばかりにセラフィンは青い瞳を細めると、ジルに向けて座席にあった鞄を顎でしゃくった。

「ヴィオの鞄、車までお前が運んできてくれ」

 ジルはトウモロコシのような色の髪をくしゃくしゃとかきあげると、大仰に息を吐いて鞄を持ち上げた。











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