香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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再会編

再会

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 知らない街で日が暮れていくというのがこれほど心細く感じるとはヴィオは思ってもみなかった。ひんやりした夕刻の風が強く吹き付けてきて、薄手のシャツ一枚しか羽織っていないヴィオはぶるっと身を震わせた。

(参ったなあ。着替えは二着だけだし、上着はロクなの持ってないからこっちで買えばいいって姉さんに言われて持ってきてなかったんだよな)

 余所行きの服なんて持っておらず、里では洗いざらしのシャツにせいぜい色が違うぐらいでデザインの変わらぬ簡素なズボンを三着着まわしていた。ヴィオは服装などまるで無頓着でいまま暮らしてきたのだ。しかしこれだけはと持ってきた母の形見の古ぼけた赤い、何かの動物の毛で織られた軽く暖かいショールを取り出して、首から巻き付けた。

 通用口の前の道にベンチはないが、道を隔てた反対側はすぐに公園になっている。大きな長い花壇越しに遊歩道が公園側にも整備されていて、そこにベンチが置かれている。通用口からは離れてしまうが、ヴィオは視力がとても良いし、ここからなら駆けていけばすぐに先生に追いつくことが可能だと思ったのだ。

 日が暮れて街灯に白々と照らされた通用口からは病院の関係者と思しき人々がどんどん帰宅の途についていく。その中には先ほどヴィオに親切にしてくれた女性の姿も見えた。
 彼女は流石に公園側にいるヴィオには気が付かず、足早に駅の方に向かって歩いて行った。

(日が暮れちゃった……)

 時間を持て余して通用口から続く道を駅の方に歩く分には先生が出てきても見落とすことはないと駅前の大きな通りにでる道の端まで歩いて行った。公園の入り口にもなっているこの通用口が面している大きな道をかけていって、そこに街灯の隣に立っている時計を見つけた。
 時計を持っていないヴィオには今の時刻が何時か分からずにいたから、中央の便利さに感心してとてもありがたかった。

 本来ならば今頃もうリアやカイと一緒に夕食をとる店に向かっている頃なのだろうか。
 時間を意識したら急にお腹がすいてきてしまった。ぐーぐーとなる腹に耐えかねて、リュックの中から取り出したのは叔母特製のもっちりした豆の粉を蒸したものに砂糖を練りこみ木の葉に包んだ郷土菓子だ。それを両手でもって大事に食べた。当分この味ともお別れだと思ったら、今まで散々食べてきたのに感傷的な気持ちになる。

 食べ終わってふと目線を上げると、また出入口から人が数人出てきたところだった。慌ててリュックを担いで立ち上がる。ヴィオは人が出てくるたびに座ったり立ったりをこれまでも繰り返して非常に忙しい。

(あれ、あの人さっきからずっといる)

 ヴィオが公園側から出入口を見守っているように、逆に病院側の庭のほうから立ったまま通用口をみている男がいることに気が付いた。

 時計を見て帰ってくる前には気が付かなかったが、ヴィオと同じく誰かを待っているのだろうか。それにしてから帽子を目深にかぶり、暗がりに溶け込むような色の服と風袋が怪しい。

(まあ、怪しいって言ったら僕だってそうだ。こんな大きなリュック背負った田舎者がずっとここに座り込んでたら十分怪しいよね)

 それから完全に日が暮れて、こんな都会でもそれなりに星が瞬いたころ。
 公園のヴィオがいる方はすっかり真っ暗になってしまって、涼しいを通り越して寒くなって両手で二の腕を抱きしめてさすっていた時、ついにその時が訪れたのだ。

(先生! 先生だ!)

 久しぶりに見るその長身でもすらりとスタイルの良い立ち姿は記憶の中と寸分変わらなかった。長い黒髪は鎖骨辺りまでの長さに切りそろえられ、夏物の白いさらっとした生地のジャケットにネイビーのパンツ。
 怜悧な美貌も健在で、やや眉を顰めた表情も美しい。

 同色の光沢がここからでもわかる革の鞄を下げていて、少し歩いて立ち止まると腕を持ち上げ腕時計を確認しているようだ。
 ヴィオは一瞬惚けたようになってしまったが、慌ててリュックを背負いなおすと、悪いとは思いながら長い脚で一直線に花壇を飛び越えて駆け寄っていった。

 しかしヴィオと同じように先生に後ろから駆け寄る影が動く。先生は一瞬ヴィオの方を見てかちり、と目が合う。しかしその隙をつかれたのだ。

 体当りしてきた黒い影に先生は右手に持っていた鞄を奪われ、一瞬バランスを崩しかける。

(嘘でしょ! あの男だ!)

 先生が男を追って駆け出すより先に男とは逆側から前に躍り出たヴィオは、男の前に素早く立ちふさがると何の躊躇もせずに、左足で踏み切りながら右足を一閃させて駆け込んできた男の後頭部目掛けて振り下ろした。

 赤いショールが宙に舞い、ヴィオは後ろにくくっていた長い髪を振り乱しながら軽いステップで着地すると、蹴り飛ばされて倒れていく男の動きをしっかり読み切り、すぐに男の背に飛び乗って鞄を持った腕を後ろにねじ上げつつ、逆の手で頭を地面に押し付けて身動きを封じた。

 一瞬の出来事に、日頃冷静なセラフィンすら言葉を失うが、思ったよりも体格のいい男が暴れ始めたので、自分も慌ててヴィオの加勢にはいった。

「君、すまないが病院に戻って誰かを呼んできてくれないか? 守衛をよこしてもらってくれ。君……!」

 顔を上げたヴィオを見てセラフィンは驚いたように目を見張り、何かに気が付いたようだが、今はそれどころではなくなっていた。

「わかりました。先生一人で大丈夫ですか?」

 と言っている傍からセラフィンは男の喉元をぐいぐいと締め上げている。大丈夫そうだろうと考えてヴィオは通用口に向かって走り出していた。




















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