香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい 親子の時間5

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あの日からバルクもミカも、そして幼いランですら。それぞれの人生を走り出している。血を分けた親子であるのに、番になった二人であるのに。人生で交わったのは一瞬の点で、あとは互いに交わらずに並走をしているかのようだ。
こんな家族の生き方でいいと割り切ったつもりだったのに、たまに言い知れぬ悲しみに襲われる。それが先ほど感じた寂しさの正体だと思った。

メルトに言われた通り、バルクは二階に静かに上がっていった。
廊下を通り、明るい水色で塗られた扉の前で立ち止まる。
ここはもともと、メルトの息子のメテオの部屋だ。この家に来た頃、ランはアスターとメルトが世話を買って出て二人の寝室に小さなベッドを置いていたのだが、いつしか息子のメテオが自分の部屋に連れ帰って世話をするようになっていたのだそうだ。

メテオのランへの執着ぶりはすさまじく、リリオンのかつての旧友で大学の教授までなった人物が開いた街の私塾で日中学んだ後は、すぐにランのもとに帰ってきて世話をするという溺愛ぶりだ。

年の近い漁師の子や市場の子、農園のオメガたちと遊ぶこともあるが、大人びた10歳はランと共にいることが一番楽しいのだという。祭りの最中もちょこまかするランにかかりきりであった。遊び疲れたランが眠そうにしていると徐々に逞しくなってきた腕で抱き上げ、揺ら揺らと優しく身体を揺すりながら寝かしつけていた。その仕草はとても手慣れたものだ。ランは幸せそうにメテオの腕の中で眠っていた。美しい少年が愛くるしい赤ん坊を抱き上げているさまはあまりに綺麗で、その様清く近寄りがたい雰囲気に入り込めない疎外感を感じた。それもバルクが寂しさを募らせる一因となったのかもしれない。

廊下の明かりをつけてしまったが、静かに扉を開いてすぐにしめる。枕元に置いてある小さな星の柄のランプシェードに照らされた二つの寝顔はとても安らかで愛らしかった。ランはジブリールが贈った軽くやわらかな赤ん坊用の純白の上掛けを、メテオは水色の大きな上掛けをそれぞれ別にかけている。上向きにすやすやと眠るランを見守るように、メテオは横向きになって眠っていた。

バルクは美しくラッピングされた包装紙をさがささせながら外して、中に入っていたクリーム色に朱赤のガラスのボタンの目が付いたうさぎのぬいぐるみを取り出し、そっとランの枕元に置こうとした。

その瞬間、眠っていたはずのメテオが突然跳ね起き、ランを守るように抱え上げ寝台の上にしゃがんで膝をつけてこちらを見上げてきた。

「うわっ」

みっともなくもバルクは声を上げて、思わずウサギを後ろへ向かって放り投げてしまった。

メテオはランプを反射させて琥珀色の目をぎらっと光らせながら、小さな凛々しい番犬の様にメテオを威嚇してきた。

「ランを取り戻しに来たの?」

その声は子供らしい透明感がありつつも、およそ抑揚にかけていた。
メルトによく似た彼の息子は、しかし彼とは違いどこか達観しているような、冷めた目をしてバルクを見つめ返してくる。

その目に射すくめられて、バルクは思わず正直な言葉を漏らしてしまった。

「取り戻したいっていったら?」
「許さない」

こんな子供から出るはずがないアルファの牽制フェロモン。それに似た気迫を小さな体からみなぎらせている。メテオは大きな瞳を見開いて懸命にランを我が腕の中からとられまいとした。
周囲の子供よりは一回り以上体格が大きいせいかもしれないが、大人びた表情はある種の凄みを生みだしている。
すると騒ぎに腕の中のランが急にむずがり、泣き出したのだ。
その声はとても大きくて、バルクは新生児のころですら彼のこんな大きな泣き声を聞いたことはなかった。いや、別れたころより1年近くたち、身体も大きくなってきた今のランだからこそだ。

「ラン、泣かないで。大丈夫だから」

打って変わって蕩けるように甘く優し気な声を出したメテオは、幸せそうな顔で涙の雫がつかまっているランの柔らかな睫毛に口づける。ランが小さな白い手を伸ばしてぎゅうぎゅうメテオの髪の毛を引っ張りが気にしない。

そのまま寝台に立ち上がり、傍に立っていたメテオの視線近くでゆらゆらとランを揺らしながら寝台の上を歩き回ると、ランはまた小さな口元をむぐむぐと動かしながらそのミカに似た美しい色合いの目を閉じ再び眠りの淵に落ちていった。

その間、バルクは何の手助けもできずにただ茫然と彼らの様子を見守ることしかできなかったのだ。

「びっくりさせてごめんなさい。でも俺はランを誰からも守りたい。いつも傍にいたい。ランのことが大好きなんだ」

「俺だってそう思っているんだけどな」

眉を下げてバルクは困ったような顔でアスターが野薔薇の刺繡を施したスリッパを脱いで寝台の上にどかっと座った。

なんでこんなにもメテオは無条件にランを好きなのかと考えるが、ランがもしかしたらオメガで、メテオがアルファであったら説明がつく。

子どもの頃からも信じられないほど惹かれあっていて目が合った瞬間に囚われあうような関係性を持つアルファとオメガを「運命の番」という言葉で表現することがあるからだ。

でも違うかもしれない。だってランはこんなにも……

「ランが可愛いから一緒にいたいのか?」

「そうだよ。いままであった人の中で、ランが一番可愛い。ランをみてるとそれだけで幸せな気持ちなんだ。俺はいままでなにをしてても、そんな気持ちになったことなんてなかったから。ランは特別」

意外な告白はメルトからきいたことがあった話と通じていた。メルト同様賢くどんなことでもすぐさまこなせるメテオは、幼いころからどこか冷めたところのある少年に育った。何かに夢中になった息子の姿をランがくるまで両親ですら見たことがなかったと言っていた。

「俺にもランを抱っこさせてくれないか。俺も今、幸せな気持ちになりたいんだ」

メテオは睫毛を伏せて逡巡したのち、ミルクのような甘い匂いをしたランの頭のてっぺんにキスをして、ゆっくりと大事そうにバルクにランを差し出した。

「いいよ。でも、すぐに返してね。俺が抱っこして大分たたないと、ランまた起きちゃうよ」

バルクはなんだか泣きたい気持ちになってしまった。息子のランの日々の営みがその言葉に集約されていた気がしたからだ。ランはメテオに見守られて、深い眠りにつくまで大事に抱きしめられて一日を終える。そしてまた朝からメテオに抱きしめられて一階に降りて家族とおはようのあいさつをご機嫌よくするのかもしれない。

抱き上げた胸の中のランは子供特有の甘い匂いと、昨年よりも重くなった柔らかな身体と、そしてやはり華奢な造りの愛らしい貌をしている。
大切に育てられている、この家の一員であるともはやよくわかった。

もちろん実の親が育てることができたらそれがいいのかもしれない。でも学生に復帰したばかりのミカがいない間はバルクもこの子をずっとみてあげられるわけでもない。またミカから学びを取り上げて家の中に閉じ込めることもつらい選択であるし、貴族の子が使用人に育てられることは当然かもしれないが、せっかくこの土地ですくすくと育っているランをまたあの中央に連れ出すのが果たして正解なのか。それもわからない。戦後ますます気ぜわしさのましたあの都で、治安も悪く自由に外でも遊べるわけでもない。屋敷の庭で部屋で使用人たちと共に過ごすことがせいぜいだろう。暖かで自然豊かなハレヘで愛情を一身に注がれ、夜には大切な人の腕の中で眠りにつける今と同じ価値を与えられるのだろうか。
ランのために中央の家族が考えに考えた結果が今のランの平穏な生活なのではないか。
それを自分の一時の感傷を癒すためだけに滅茶苦茶にするのか。

「バルクさん、哀しいの?」

「え?」

ぽたっと涙がこぼれてランの白く瑞々しい果実のような頬に落ちているのをみて、自分が泣いているのだとバルクは気が付いた。泣くときはいつでも自分の想いなどお構いなしで制御できたものでなく、バルクがこうなるのはたいてい番や子に対してだけだった。

骨格がしっかりとしたしかし滑らかな長い指でメテオがその雫をランにしてやった時と同じような優しさをもって拭ってくれた。
そしてメテオはランしてあげるような気づかわし気な声を出して小首をかしげた。美の女神が愛し造形を作ったような綺麗な顔が、困ったような、しかし何か思案をしているような。そんな風に眉をゆがめて上目遣いにバルクを見上げてきた。

「バルクさんもランとどうしても一緒にいたいの? それってさ。俺とおんなじだよね。俺もランとどうしても一緒にいたい。だからどうしたらいいか一緒に考えようよ。父さんたちに相談して、俺も中央にランと一緒にいったりできるか聞いてみる。俺はランと一緒なら、この街を離れてもいいんだ。いっぱい考えるから。だから泣かないで」

こんな小さな子供ですら、最善を考えてもがき悩み、自分で答えを出そうとしているのだ。バルクは胸が詰まった。胸が詰まって、ぬくもりが伝わる軽く、しかし重たい命をゆっくりとメテオに返してやった。

「いや。大丈夫だよ。もう少し大きくなるまで待とう。ランがもっと勉強をしたければ勉強をしに中央に来るか、外国にいるおじさんのところにきてもらうかもしれない。だけど今はこのままでいい。メテオ。ランのお世話をいつもありがとう」

「いいんだ。ランは、俺の大事な子なんだ」

そう言ってはにかむと、メテオは眠い目をこすり出した。ランを落としてはいけないとバルクも支えにはいったが、メテオは慣れた様子でランをまた寝台にゆっくり降ろして横たえてやると、フワフワの雲のような上掛けをかけて、自分も上掛けを引き寄せて、もぞもぞとその横に潜り込む。

「バルクさん、絶対だよ。大きくなるまで待って。その時ランが嫌がったら、絶対に連れて行かないで、ぜったい……」

眠さの限界だったのか、メテオはまた小さなランの手を柔く握りながら寝息を立て始めた。

「やれやれ、強敵登場だな」

バルクは涙の痕が残った顔を両手でぐいぐいと拭うと、なんだか憑き物でも落ちたかのようなさっぱりした気分になった。床に落としていたランとミカに雰囲気の似たうさぎのぬいぐるみを拾い上げ、枕元に今度こそすえてやる。
その時になってやっと戸口のところを見ると、話声と物音に気が付いた妻のアスターが心配そうな顔をして二人を見守ってくれていたのだ。その後ろからは長身のメルトまでひょっこり顔を出している。本当にこの二人は面倒見が良すぎる。

「ふふ。その子はメルトに見た目はそっくりだけれど。この人と見定めた人から気持ちをけして変えない、あきらめが悪いところは私にそっくりだわ。ごめんなさいね。バルク」
「私は世界を旅してまわったが、アスターほど粘り強いものはどこにもいなかった。メテオはそれに似たらしい」

それを聞いてバルクは大仰に芝居めいた仕草で肩をすくめて微笑んだ。

「それでは先に俺の寿命の方が付きそうだ」

三人はその日、その場で約束を交わした。

今はまだランをアスター家の養子にも、ソフィアリのところの養子にもしない。もう少し大きくなった時、本人が住みたがる家に住まわせる。

そして将来ランが望んだら彼が選んだものを与えられるようにする。
それが中央での生活でも、ハレヘの街での生活でも、海外への留学でも、快く大人はその手助けをすると。

眠っていたはずのメテオは実は耳をそばだててその話を聞いていた。
そして自分がランに一番に選ばれる男になろうと胸の奥に小さな炎を灯したのだ。そしてそれを絶やすことなく番になったその日までランをたえず守り続けたのだった。






















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