香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい30

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少しずつ山の稜線を染めながら、日が傾いてきた。
この祭礼のため貝殻亭のほど近く、桟橋前で道幅の広い石畳の道上に祭り用の特設会場がつくられた。
ソフィアリは海の女神に扮して穏やかな海を背に、特設された木製の舞台の上に乗せられた椅子に堂々と鎮座している。

バルクが再び連れてきた新聞社のものがどこかにいるらしいのだがソフィアリの位置からはよくわからない。ソフィアリが祭礼の準備中にラグとバルクも街に戻ってきたというのを小耳にはさんだのだが、その頃は祭りに先立った礼拝前でソフィアリは聖水を飲み、司祭と共に山の礼拝堂で祈りを捧げる直前だったので二人には会えていない。

中央で舞台演劇の衣装も手掛けたことがあるというルイードだが、ソフィアリの衣装をより完璧なものにしようと今回色々と私物や小道具を持ち込んでくれていた。
びりびりに裂けてしてしまったシフォン生地を重ねた上下はパンツではなく踝まで覆い隠す長いドレスを、ソフィアリの傷だらけの足は露出することなく白い革靴に変更された。
腰には小さくとも一つ一つが煌く青や白のビーズが沢山縫い付けられた豪華なサッシュベルトが巻かれスカートの丈を調整している。一度衣装をダメにしてしまったので、手持ちの衣装で一番よさそうなものを見繕ってソフィアリの丈に調整しようとしたのだが、ソフィアリが長身だったことと、結局こだわりが過ぎて中に着る衣装もほとんど作り直してしまったルイードだ。
司祭様から頂いていたメダイが島の中でどこかに行ってしまったので、女神教会から送りなおしてもらったものを再び胸に着け、頭は青いリボンで半分は編み上げられ、さらにより艶やかあでやかに見せるため半分は艶々と櫛削られて垂らされた。頭のてっぺんにはサンゴを模した形のガラスでできた冠を被せられている。これもルイードの持ち込んだものだ。
化粧を綺麗に施されゆったりと椅子に座る姿は黙っていれば神秘的な女神そのものにしかみえない。

乙女役の少女たちが6人ほどラベンダーを片手に掲げた状態で女神に向かい舞を披露する。街の皆が見物する中、静かに笛と太鼓のリズムだけで舞い踊り、ゆっくりと暮れていく赤々とした夕日を浴びながら、ラベンダーの束をソフィアリの前にある青銅の古めかしい壺に捧げていれていく。そしてソフィアリに向かいドレスのすそをつまみ上げて礼を捧げた乙女たちが待つ中、椅子と台から降りてきたソフィアリが元々入れてあったラベンダーの束と合わせて刈り取った束を両手に抱きしめる様に持ち上げた。

少しずつ暗くなってきた舞台を、袖から篝火やランタン、街灯が灯されて明るく浮かび上がらせている。

ソフィアリは司祭が待つ小舟に向けて長い上着の裾を引きずるようにして桟橋を歩く。そして漁師の男たちに介助されながら船に乗り込む。

すでに一番星が輝く夕暮れの海にゼルベが祭礼用の船で漕ぎ出して、少しだけ沖にでるとラベンダーの束を乗せた小さな小舟をソフィアリが海面に下ろした。
その上に乾燥してあるラベンダーに火をつけて置き、司祭がそっと小舟を押す。

チリチリと燃えながら小舟はゆっくり沖の方の闇夜にいぶりながら遠ざかっていった。

ソフィアリは祈りの形に手を握ると、海の女神にまずは感謝の気持ちを捧げるとともに、街の安全と夫がいつでも健やかに過ごせるようにと強く強く祈った。

「ソフィアリ様、舞台の方に戻りましょう」

司祭が穏やかな顔で微笑んだので、ソフィアリは一連の祭礼の終わりが近いことにほっと胸をなでおろした。

すっかり日が暮れてきた。舞台の上は明るいが桟橋は暗いので松明を手にセインたちがソフィアリたちの船が付くのを待っていてくれた。

彼らに先導され、乙女の一人に裾を持ち上げてもらいながらソフィアリは少しだけ足が痛むのをこらえながら歩く。

祭礼自体は身体に負担はかからないと思っていたのだが、数日寝込んでいたため体力が落ちている。そして身体が火照るように熱い。ああ、ついにヒートがくる直前だと思って気を引き締めなおした。

舞台に戻ると、町中の老若男女が集まって彼の帰りを穏やかな笑顔で待っていてくれた。
司祭様が祭礼の無事の終了を寿ぎの言葉と共に告げたのち、ソフィアリは司祭に促され皆に向かって挨拶をする。舞台の方がより明るいので後ろの方まで人々の顔が見えないが、手前側には沢山の見たことのある街の人々の顔が穏やかな笑顔でソフィアリを見つめ返してきた。ラグやバルク、そしてブラントやトマスたちは近くにいてくれているのだろうか。
ソフィアリは胸を張って最後の挨拶をするために前に進み出た。

「みなさん。まずは今年の海の女神様への祭礼の開催が私事にて遅れてしまったこと。そしてご心配をおかけしましたことを深くお詫びします」

みな首を振って頷いたり、無事でよかった!などと叫んでくれるものだからソフィアリは目じりに涙がにじみ熱くなってきた。

「私は長年みなさまから慕われ、愛されてきた大叔父リリオンの跡を継ぎ、ハレヘ・キドゥ両街の領主となりました。まだまだ若輩の身で、この街のこともよく理解しきれていないかもしれません。すぐには皆さんの期待に応えられないかもしれない。でも番であるラグ・ドリと共にこの地に骨をうずめ、この地を共に盛り立てていくことに生涯を捧げる所存です」

一番手前にいたミリヤ婆さんが大きな拍手をし出したので、話の途中であるのに全体にその輪が広がってしまった。それが鎮まるまでソフィアリは背筋を伸ばし皆を見回すようにしながら静かに待つ。たおやかにたたずむその姿は皆の脳裏に海の女神が人の姿をしてこの地に使わされたのではないのかと思うにふさわしい麗しさであった。
しかし口にする言葉は雄々しく強い。この街の新しいリーダーとして皆を引っ張っていく覚悟に満ちていた。
みなに気持ちを伝えたくて、ソフィアリは素直な気持ちをゆっくりと口にしていった。

「皆さんに力を貸していただくことばかりだと思います。漁師の皆さん、商店街の皆さん、俺を助けに来てくれてありがとう。お父さん、お母さんたち、祭りの準備をありがとう。お姉さんたち、今日俺を綺麗にしてくれたね。ありがとう。お兄さんたち、一緒に街を守ってくれてありがとう。子供たち、元気に毎日遊んでくれる声に、俺はいつだって励まされている。みんなが大きくなるころ、この街が国の中で一番素敵な場所だって思える場所に、俺はしたい」

小さな子供たちも親に抱き上げられながら顔中が口になったような大きな笑顔をして手を振る。大人も子供もみなソフィアリに笑顔を向ける。胸が震えてきて、涙がさらに湧き起こる。ソフィアリは一度口を引き絞ってそれに耐えた。
しかし大きな目からやはりこらえ切れなかった大粒の涙をぽろっと落としながら告げる。ラグの姿は見えなかったがこれだけは皆の前で言っておきたかったのだ。

「俺の番、ラグ。いつもありがとう。世界で一番愛している。死ぬ時も、生きる時も、絶対に一緒だ。絶対に離れない」

大歓声が起こってみな抱き合うようにして騒ぎながらソフィアリの名前を呼んで彼の前途を称えてくれた。

すると力強くとても明るい声が人垣の向こうから聞こえてきたのだ。

「さあ!! みんな道を開けるんだ! 天の火の神様が海の女神様を迎えに来たぞ!!!」

大きな松明が人垣の向こうから二つすごい勢いで歩いてこちらに向かってくる。声の主はトマスだった。松明を手に掲げ先導してくる。

「え! ラグ?」

その後ろから歩いてきたのは紛れもなくソフィアリの番、ラグその人だった。
しかし見たこともないような装束を着ている。
何に例えられるかといえばそれは軍服としかい言いようがない。階級が高い軍人が着るような洗練されたデザインの軍服で、しかし多分本物ではない。きっと舞台の衣装のようなものだ。少しだけ光沢のある全身黒の制服に、立派な織の黒いマントの内側は炎のような緋色。まさに海の女神の恋人である、天の火の神のような大人の男の色気が滴る雄々しい姿だ。

その胸にはいくつもの本物の勲章が輝いていた。それはソフィアリも見せてもらったことがある。ラグが実際に戦歴で得た勲章だった。ソフィアリの元までやってきたラグの篝火に煌く深い緑の瞳と目が合うと、あまりに素敵すぎてソフィアリは顔を真っ赤にして心臓がばくばくと鳴りやまなくなった。

「どうしたの? その恰好!!!」

突然の出来事にソフィアリが驚いて慌てていると、突然左側の舞台前に控えてきたルイードが飛び出してきて、二人の服装をものすごい勢いで整えていく。

「今よ。撮ってちょうだい!」

目を白黒させていると、新聞社の男たちがさらに奥から走り出てきて二人に向かって爆発するような音を立ててフラッシュをバシバシとたいて写真を撮り始めた。

「え、なんなの? これ」
「ソフィアリ! 美しく嫣然と女神のごとく微笑みなさい!!!」

アスターが妻と共に人垣の向こうから指示を出す。何がなんやらわからないまま、ポーズを取らされ、夫に向かい合わされたり、寄り添わされたりと意味が分からない。
ラグまでこんな茶番に付き合っていることにソフィアリはびっくりしてしまった。
「新聞社がこの祭礼と、今回の事件と、それからルイードの舞台衣装のことで特集を組むらしい。その取材だ」

ラグが手短に教えてくれたがびっくりしすぎてソフィアリはただ番の腕をつかんで立っているのがやっとの体だった。
写真の撮影が終わると、トマスは茶目っ気のある笑顔を向けながら、袖に控えているブラントとバルクに腕を振って指示を出す。

すると音楽が広場のスピーカーを通して鳴り始めた。あまり質の良くない音はガチャガチャとしているが、そこに生の笛や太鼓、そして弦楽器の音が乗せられていく。その曲は、あのダンスを踊った曲。

目の前のラグがマントをばさりと後ろに翻し、芝居がかった仕草でソフィアリに一礼し、大きな手を優雅に差し伸べてきた。

「俺と踊ろう。ソフィアリ」

きゃああああ! と周囲は割れんばかりの拍手と絶叫が響き渡る。

ソフィアリが魅入られたように手を取ると、ラグはしっかりと彼の腰を引き寄せ力強い一歩を踏み出した。

ラグのリードは驚くほど巧みで、ダンスの名手とまではいかないものの足運びに全く迷いはない。ソフィアリの胸は早鐘を打ったままで、瞳は星が煌くようにきらきらと潤んで番をうっとりと見上げている。その表情を見てラグも満足げに微笑んだ。

「どうして? どうして? ラグ踊れたの?」

興奮に息を弾ませながらソフィアリはラグの動きに身を任せる。心地よい。どんどん引っ張ってくれる。強く抱かれる腕、全身から愛されている、大切にされていると伝わる動き。幸せすぎて、ソフィアリはくらくらしてきた。
ラグもソフィアリの興奮と呼応するように身体からどんどん高まり香り立つフェロモンに煽られながら、やや苦し気に微笑むものだからまたその色気に充てられソフィアリはドキドキが止まらない。

「なに、武道もダンスも動きを見て盗んで自分のものにするところは少しも変わらない。しゃくだが、お前たちのダンスを見て覚えた。あれは本当にとても美しかった。とても、しゃくだったがな」

二回も「しゃくだ」と悔し気に繰り返すものだからソフィアリは舌をかまないように気を付けながらくすくすと笑った。

「すごく嬉しい。俺、ラグのダンス、見てみたかったんだ。一緒に踊れるなんて夢みたいだ」

真っ白な女神のドレスの裾をつまみ優美に揺らすソフィアリとマントを勢いよく翻しながら踊るラグ。息の合った力強い二人のダンスは、絵画か舞台の演出のように華麗で街のみんなの熱烈な歓声を浴び続けた。

広場を二周すると、ラグはソフィアリの腰を軽々と片腕で抱き上げてそのままゆっくりとくるくる回る。黒髪とドレスの裾が花咲くように広がって篝火に浮かび上がると夢幻の美しさだ。まだ音楽は続いていたが、顔を近づけて愛おし気に口づけを交し合った。ソフィアリも腕をラグの太い首に絡めて熱烈に口づけに応えるものだからみなの興奮は最高潮に達する。
顔を離すとソフィアリは少し物足りなげな顔をして唇を尖らせた。

「まだ踊りたい」

顔を近づけて甘い声でねだりながらもう一度軽くキスをすると、ラグの目が咎めるように細められる。

「ダメだ。俺の目が誤魔化せると思ったのか? お前まだ相当身体中痛むだろう。良くなったらまた一緒に踊ればいい。ソフィアリ。他の男とは一生踊るなといったが、俺とはいつだって、好きなだけ踊ろう」

「うん。また俺と踊って、ラグ」

ぎゅっとソフィアリを掲げる様に抱き上げたまま、ラグは朗々と響く声を出し高らかにこう宣言した。

「さあ、俺たち二人はこれから番の時間だ。皆はこの後も祭りを楽しんでくれ。ランバート公がソフィアリの見舞いに沢山の酒を持たせてくれた。酒場でふるまって貰い、いくらでも浴びる程飲んでくれ」

大喝采の中、ラグはソフィアリの女神の上着を脱がせてルイードに投げて返した。そうして女神役をしっかりやり遂げたソフィアリを自分だけの番に取り戻す。愛くるしく微笑んでラグの首元にしがみつく熱い身体を攫うようにして颯爽と屋敷に帰っていった。

「さあ俺たちも踊ろう! みんな踊ろう!」

トマスがリリィの手を取って広場に飛び出して踊り始める。もちろんみな好き勝手な動きで踊り、騒がしいことこの上ないが皆とても幸せそうだった。

踊る人、はやす人、歌う人、飲む人。
誰もの顔が晴れ晴れと美しい夜。素晴らしい夜。

その日は遅くまでハレヘの街は人々の笑い声が絶えなかった。



















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