香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい25

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礼拝堂は山の道沿いからは少し中に入る濃い緑に覆われた森の中にある。海の女神の教会であるがなぜか昔からここに建てられているのだ。
前日壊された海の崖沿いの祠に女神像があり、そちらの方向を向いているからとも言い伝えられている。夕刻も近くなってきたが、祭礼のリハーサルを終えて再び礼拝堂には多くの人が集まっていた。今日はこれから司祭様をねぎらっての食事会が開かれる。木々の間に紐が渡され、ランタンには明かりがはやくも明かりが灯っている。

「ファサ! 司祭様はどこ?! あと誰でもいいから怪我の手当てのできる道具持ってきて。それからラグを呼んできて」

矢継ぎ早に怒鳴りながら走りこんできたのは貝殻亭の看板娘であるリリィだった。後ろからは荷車を引き、帽子をふっとばし髪が逆立つほどの速さでソフィアリの友人のトマスが駆け込んできた。礼拝堂の前にある小さな庭にテーブルを担ぎ出したり椅子を並べたりしていた面々はその大声に驚いて皆振り向く。

食事会のための食べ物を差し入れに来たパン屋の若夫婦は驚いてリリィに駆け寄ってきた。息子のリアムが大声を出してほかの子供たちと駆け回っているから母親はリリィに負けぬ大声で一喝した。

「リアムちょっと静かにして。みんなをつれてあっちで遊んでらっしゃい。リリィどうしたの? 大声なんて出して」

パン屋の妻のファサはリリィの友人だ。優しく愛らしい見かけをしたオメガだが、実際はきっぷのいい姉御肌だ。持っていたパンの束をすでに両手がふさがっている夫に無理やり持たせるとリリィの前に進み出た。

「怪我人がいるのよ。なにか手当のできるものとお医者様連れてきて」
「まかせといて」

いうが早いか球が坂から転がるように飛び出していった妻を、後からテーブルにバスケットいっぱいの食べ物を置いたリノが追いかけていく。

「司祭様。こっち! こっちです」

司祭は建物の中から外でリリィの声を聞きつけた若者に手を引かれて駆け足でやってきた。

「どうしたのですか?」
「司祭様! この子。見おぼえない?」

トマスが荷台から抱き上げた痩せた少年に、皆が群がるようにわらわらと囲みに来た。

「怪我をしているのか? ひどいな、こりゃ」
「だから、早く手当てしてあげたいの。誰か! この子、どこの子かしらない?」
「お水持ってきたらか飲ませて上げて!」

その言葉に少年が苦し気に呻きながら目を開けた。口元に女がコップをやると、ひび割れた唇で吸い付くようにむさぼり飲む。その顔を見て瞠目しながら司祭は彼の額に張り付き目元を半ば覆った髪をかきあげてやった。

「お前は向かいの島の子だね。見覚えがある…… 1年は前だが父親の葬儀の時に見た顔だ。どうしてこんな怪我を……」

司祭は痛まし気に彼を見ながら片手で祈りの印を切っている。

「島の子……」
「島ってこの沖にいある点在してる群島ですよね?」
トマスが確認するとリリィは頷いて少年のよく見ると爪がはがれて血だらけの手のひらを、顔をしかめながら別の女が持ってきた手拭きで拭ってやった。

「そう。うちの店のあたりからもみえているのが一番手前で、そこからサレヘの沖までいくつもあるわ」

集まってきた人々に促されて礼拝堂に入った。すでに街の人々が礼拝堂の長椅子を二つくっつけ、簡易的な寝台を作ってテーブルクロスを幾重にも敷き詰めた寝床をつくっていてくれる。その上に彼がトマスを丁重に寝かしてやる。

「大分衰弱しているな…… おい、とりあえずこれ飲め」

子供たち用の甘い果物のシロップ入りの水を商店街の雑貨店の店主から手渡され、傍らにいたトマスが彼の口元に運んでやる。
脚のひどい傷を女たちがたらいに汲まれた綺麗な水で拭っていく。痛みで呻く少年の手は傷に触らぬように優しくリリィが握ってやった。

少年は泣いていた。痛みと皆の優しさに触れほっとしたのと、心の中の罪悪感でいっぱいになり、涙が止まらなくなっていたのだ。

「話せるのなら、どうしてあそこにいたのか教えてくれないか?」
ぎゅっと痛みをこらえる様に瞑った目を開き、少年は嗚咽交じりに語り出した。



日が落ちる直前に、アスターの農園にいたラグも誰かが呼びに行き駆けつけてきた。にわかに風が強く吹き始め、雲が垂れ込め始めた。涼しいというよりも鋭いそれは皆のむき出しの二の腕を震わせ、心細さを生む冷たさだった。

「なんだ急に、雨でも降るのか……」

突然立ち込めてきた暗い雲に天候の変化に敏感な漁師たちは口々にそう言いあいながら礼拝堂をでて様子を伺いに行く。この地域ではこの時期雨が降ること自体少なめなのでみな顔は険し気だ。

トマスは炎症を抑える薬を処方されて眠る少年の手を、リリィがしていたように握っていやっていた。細くて骨ばった、中央のトマスの周りでは決してみないような細さ。しっかり食べられているのかも怪しいような身体でトマスは胸がいっぱいになった。

「この子にきいた話をまとめますと、嫌がらせにきた男たちは、ソフィアリに恨みを持つものと繋がっているようです。今ソフィアリたちが進めている港同士の連携がはじまると、群島の漁業者は締め出されるだろうから、ソフィアリを排除しないとお前たちは生活できないぞって脅されたらしくて。ソフィリを怪我でもさせて脅かせば領主を辞めるだろうから、嫌がらせをしに来るために何度か島から小舟を出させられたらしいです。島の人間で船頭役を押し付けあって、親がいないから立場が弱いこの子ともう一人の家族のいない男が押し付けられたと」

リリィはパン屋の妻が持ってきてくれた上掛けを少年に掛けてやる。その温かさに少年の眉間のしわが少し緩んだ。

「女神様ごめんなさいって、謝ってたわね。女神像を壊すのの片棒を担がされたからだったのね」

「わかった。彼のおかげでこの件に関する凡その把握ができた」
痛まし気に少年を見下ろしたラグの瞳は静かだが怒りに徐々に金色の光を帯び鋭い眼光がぎらぎらとし始めた。

トマスは彼の気の毒な環境にすぐに同情した。本当に痛ましくて、胸が詰まる。小さな妹がいるから島を追い出されたら生きていかれない。でも嫌がらせなどやりたくない。
だが男たちに脅され女神像に紐をかけて引き倒すとき無理やり一緒に引っ張らされた。少年は女神像を壊す男たちを止められず、後悔して泣いていた。

『あの男たちが、祭礼をしている中に花火を放りこんで爆発されて、死なない程度にソフィアリ様に大やけどを負わせようとしていると会話からわかって……。少し嫌がらせをしたり、ちょっと怪我させて脅すだけとか島の者には言っていたのに、一生治らないような怪我をあんなに若くて綺麗な人にさせようとしているって考えたら、壊れた女神様のことが目に浮かんで…… たまらなくなって』

今朝屋敷の窓ガラスを割ったのち、男たちが前もって崖の下の他の祠に花火の入った袋隠そうとするのを奪って逃げ出し、追いつかれてもみ合っている間に、袋ごと崖から滑落して大けがをしたらしい。火薬は海へ落ちていき、幸い少年は途中の木にひっかかり途中で止まった。男たちも少年を探すことはなく人目につく前にもう一人の男と島に戻っていった。そのあとはトマスたちに見つけられるまであそこに隠れていたらしい。怪我もひどく衰弱し、しかしこれからの妹や自分のことを思うと恐ろしくてとても出てくる心地にはなれなかったようだ。

『俺は罰でもなんでもうけます。でも妹のことは助けてやってください。お願いします』

少年は身体中大けがをしながら、這いつくばるようにして寝台に伏せ、皆に向かって泣きながら懇願していた。

「ラグさん、悪い子じゃないと思う。助けてあげてほしい」

トマスは座りながらじっと真っすぐにラグの目を見上げて強い声で頼み込んできた。

「わかった。妹を探してこの子と共に農園で身柄を預かろう。すぐに迎えをやる」

ラグの言葉にトマスは少年の頭を撫ぜてやりぽろっと涙をこぼした。
ラグは礼拝堂に集まってきた街の者たちに向き直る。

「こちらからこの少年の島にあたりをつけて敵を叩きにいくこともできるが、俺も島すべての地理を把握し切れてはいない。万が一入れ違いになっては大変だ。こちら側で迎え撃とう。祭礼を目指し、明日また男たちが来る前に港だけでなく入り江すべてを見張るんだ。女性や子供は農園に避難か、もしくは家で鍵をかけて待機。向こうはこちら側の動きに気が付いていないはずだ。漁師は海から商店街の人は入り江の定点ごと立ち、死角をできるだけ減らして見張ろう。見つけ次第簡易の発煙筒で合図を送れば、俺がすぐ捕獲しにいく。皆は見張るだけだ。いいか。絶対に怪我をしないようにしてくれ。男たちが事前に発見できず拘束が困難であれば祭礼は延期することも考える。よいですね? 司祭様」

ラグは迷いなく指示を出し、その場にいた漁師や商店街の代表、そして司祭もみな大きくうなずいた。

「もちろんです。女神様もみなの安全を尊ばれるでしょう」

「リリオン様の屋敷にいるソフィアリと店にいるアスターに使いを。あとどこにいるのか…… バルクも探して呼んでほしい」

その時突然礼拝堂の扉が開き、冷たい突風が内部を吹き抜け、中に吊るして飾り付けていた貝殻のモビールがからからと大きな音を立てて舞い踊った。

「おい! ソフィアリみなかったか?!」

蜜色の巻き毛がぼさぼさになった色男が血相を変えて礼拝堂に転がり込んできたのだ。

「バルク、いいところにきた。おい? どうしたんだ?」

彼はらしくないほどぼろぼろの体で青ざめた顔をして礼拝堂の椅子に手をかけてうなだれた。

「大変だ。ソフィアリが、多分ブラントと、俺のせいだ…… そんなに思い詰めていたとは…… まさか駆け落ち? 無理やり?」

ぶつぶつと呟き、まるで話を聞かないバルクに、トマスは目を白黒させている。バルクがここに来ていたとは話には聞いていたが、今初めて数年ぶりにしっかり顔をみた。
学生時代の寄らばけり倒す、というようなとんがった感じはなくなったが、代わりに落ち着かない雰囲気でなにやら騒いでいてすっかり人が変わって見える。

「何がどうしたんだ。落ち着け。お前らしくない」

突然緊迫した空気をかき回されて、周りの者たちも不審顔で二人の様子を見守る。

「すまん、ラグ。ソフィアリがブラントとのことでもやもや悩んでいる風だったから、祭礼前にすっきりさせようと思って屋敷の下の入り江で話でもして来いって俺がお膳立てしたんだ。後で俺が様子を見に行く約束だったんだが、アスターさんの店に寄ったら遅くなってしまって、待ち合わせ場所についたら二人ともいなくなってた。屋敷を探してもいないからここにきているのかと…… ブラントってあれだな? 百貨店の息子だよな。まさかソフィアリを連れ去るとかそんな大それたことできないよな? そもそも出ていく足があるのか?」

トマスとラグは顔を見合わせ、そして皆が口々にざわざわと騒ぎ始めた。

「入り江…… 海からか」

「ラグ! すまない! 俺が余計なことをしたばかりに」

「こうはしておれんな。作戦を変える。バルク、お前はサレヘの港に先回りしろ。トマス、お前も一緒に行け。必要ならばすぐにランバート公とサレヘ領主に電信を打つんだ。ソフィアリが誘拐されてそちらの港に行く可能性があると。港を封鎖させるんだ」

トマスは弾かれたように立ち上がるとバルクに向かって歩み寄る。

「ええ! ブラントが誘拐したとお前も思うのか?」
「バルクさん、ブラントのことはとりあえず一旦おいておいてください。ソフィアリと街に嫌がらせをしていた連中に二人とも船でさらわれたかもしれないんです」

察しよくそう告げるとラグも大きくうなずいた。

「ソフィアリに嫌がらせ? 聞いていないぞ!」

兄弟よく似た目をむいて、バルクはラグに詰め寄るが、逆にラグは街の男たちを引き連れて出入り口に向かう。

「お前と顔を合わせる暇がなくて伝えられていなかったがそうだ。今言ったことをすぐやるんだ。今すぐだ。いいな」

はい! 師団長といいたくなる迫力に、みな雄たけびを上げながら付き従う。
思ったよりも剣呑な状況にバルクもすぐに意識を切り替えた。

「後輩、白亜館に車と運転手が待機している。白亜館から中央の実家経由でサレへ領主とランバート辺境伯に電信を打ったら、すぐ出発だ。いいな」

「わかりました」

「トマス。気を付けて」

リリィが飛びつくようにトマスの頬にキスを送ると、彼は凛々しい顔で会釈をしてバルクの後を追いかけていった。



























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