香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい23

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「昨日思ったよりもみんなが沢山飲んだから、お祭り用のお酒のストックが足りなくなりそうなのよ。いつもはこっちの蔵のものはもしもの時以外使わないことにしているんだけど。ごめんね」

起きたのが昼を回っていたため、トマスは朝食後に目につく人皆に謝ってあるきながら貝殻亭につくと、まずは店の清掃を買って出た。ブラントはトマスが大丈夫とわかった朝にはホテルに戻っていったらしいので会っていないが、忙しく働いて今はリリィと蔵に向かっている。それがなかなか困難な道のりだった。
草が生い茂っている崖の上。大昔からある自然の小さな洞窟は涼しいため保存食や酒の貯蔵庫として使われている。
リリィが務めている店は、孤児となったリリィを娘の様にかわいがってくれているオーナー夫婦の持ち物でハレヘでは一番古い食堂だ。
今は年を取ったオーナー夫婦は引退してゆったり暮らしている。雇われオーナーのリューイやリリィなど街で育った幼馴染同士である若者たちに代替わりをして皆で仲良く店をやっているのだ。
その店の貯蔵庫には酒がまだ残っていたはずとトマスはリリィと酒を取りに行く役目を買って出たのだ。
崖の下から行く方が近いのかもしれないが、酒をもって上り下りは流石に危ないので草がぼうぼうの道を虫に食われながら、鎌で草が酷いところは刈りながら歩くことを選択した。荷車は先の道に置き去りにして、取り合えず草を分け入るように歩く。

「すぐに茂っちゃうのよ。ここも草刈りに来ないと駄目ね……」
「俺は学校が始まるまで、当分ここにいられるのでやりに来ますよ。草刈り」
「呑気なものね。中央の学生さんは」

朝ご飯を面白いほどもりもりと平らげたトマスはすっかり酒も抜けたのか元気そのものだ。酒は強い方ではないのかもしれないが、抜けるのが早く元気なのは流石若者だ。
トマスは昨日街の人々によく顔を知られて心配され、みなが次々に貝殻亭に世話を焼きにやってきた。虫よけにハーブを塗りたくられ、首からは手ぬぐい、頭はストローハット、農作業用のズボンを借りて手には鎌。すっかり田舎の若者みたいな姿でにこにこしている。

「ここは本当に静かでいいところですね。俺もこういうところで暮らしたいな。多分俺、中央の生活はあまり向いていない気がするんです。家が銀行なんてやっているから家族もみんな硬い仕事をしているし、俺もてっきり自分もそうだと思っていたけど、ここにきて分かった。俺は本当はこの街の人たちみたいな自然を感じたり、みんなで笑いあったり、そういうあったかい生活がしたいのかなって」

「よしなさいよ。中央で暮らしたくても暮らせない人がこの国のほとんどよ。中央で何不自由なく暮らせることに、もっとありがたみをもつといいわ」

田舎暮らしもしたことのないくせにとリリィは甘いことをいうトマスを嗜めるが、内心中央で生まれ育った若者からこの街が褒められ悪い気はしなかった。

「まあ、そうなんですけど」

もう洞窟もすぐ近くだというところで急にリリィが歩みを止めた。

「どうしたんですか?」
「いやだ…… どうしよう。ほら見て」

洞窟の入り口には杭を打ち付け、扉が取り付けられていたのだ。顔見知りばかりが住むのどかな田舎のため、わざわざ盗っていく者などいないと扉に鍵はしていない。閂が外され下に落ち、扉が外側が少し開いていた。

「誰かが運びにきてくれているとか? 風とか? まさか動物?」

「ここの場所を知っている人間なんてそういないから…… 」

「リリィさんは後ろにいてください。俺が様子をみてきますから」

鎌をかざすようにトマスは恐る恐る扉に近寄る。10センチほど開かれた扉は自然に開いてしまったようにも見える。しかしさすがに閂を閉め忘れることなどないだろう。

「なんでしょう? やっぱり開いてますね!」

扉を大きく開いたのと、中から人が飛び出してきたのはほぼ同時だった。
トマスは鎌をもったままその人影に思い切りよくぶつかってこられて咄嗟に
鎌を投げ捨ててしまう。

「きゃあ! なに?!」

それはよく日に焼けたまだ少年の域をでないような細い後ろ姿だった。このあたりではよく見かける後ろで一つにくくった暗い色の髪を揺らして、走り去ろうとするが様子がおかしい。片脚や肩をかばうようにしている。見ると脛の方に赤黒くこびりついた血が見えた。
トマスはスポーツでならした脚力を使ってすぐに踵を返すと、ものの数秒で彼に追いつき、飛びつくようにして抑え込んでしまった。
少年は呻きながら暴れて、トマスの腕から逃れようとするのだ。

「放せ! 放してくれ」
「おい! 君! 怪我しているのか? ここでなにをしていたんだ。リリィさん、この子ハレヘの子ですか?」

リリィはもみ合う二人から適度に距離を開けて顔を覗き込もうと近づく。
少年はよく見ると足だけでなくむき出しの腕や肩のあたりも傷だらけだった。
いいところ14.15ぐらいだろうか。幼さが残る顔だちを見てもまさに街のそこらへんにいそうな雰囲気の普通の子だった。

「どこかでは見たことがあるような気がするけど…… ちょっとわからないわ。ちょっとあなた。どこの子なの? 何して怪我したの?」

しかしその身体から少しずつ力が抜けていき、少年は目をつぶるともはや開くことができないほどぐったりして苦し気な息を呼吸を繰り返す。汗と泥まみれの顔からには苦悶の表情が浮かんでいた。

「すごく身体が熱い…… 傷が化膿しかけて熱をだしているのかもしれない。俺が背負うのでリリィさん、お酒持てるだけ持ってきてくれますか? 荷台に乗せて街に運びましょう」

「わかったわ」

リリィは持ってきた袋に素早く酒瓶を持てるだけかき集めて入れると、軽々と少年を背負う頼もしいトマスの後ろをついて荷車まで戻ってきた。小さな荷車なので酒瓶を寝かして敷き詰め、そこに少年を腰かけさせて乗せる。落ちないようにリリィが彼の肩に手を載せながらガタガタした坂道をゆっくり下っていく。

「ついたらすぐに手当てしてあげるからね。頑張るんだよ」

その間もトマスは少年に声をかけ続けた。こんな大怪我をして動けなくてあの場所で休んでいたのだろうか。妹と同じくらいの年頃で、とても放っておけない。それにしてもなぜ二人を見て逃げようとしたのか、何か事情があるにしろ、まずは怪我の手当てが優先だろう。
そんなトマスの優しさにリリィは胸がじわりと温かくなっていたが、それは意識が少し朦朧としかけている少年も同じだった。じわじわと目から涙があふれ、泥を溶かすように雫が流れ落ちていった。

「ごめんなさい…… 女神様、ごめんなさい」
「何を……」

小さくうわ言の様に彼が呟いているのをリリィは聞きとがめたが、口には出さず後で確認をしようと心にとめる。

(ごめんなさい、女神様なんて……)

この子はきっとこのところ続いている異変になにか関係している。リリィはそう直観した。この長閑な街ではたいした事件は起こらない。関係があるにきまっている。そして記憶を辿りなんとかこの顔をどこかで見たことがないかを思いめぐらせた。

(そうだわ。きっと司祭様ならばこのあたりの子供のことを、ずっと沢山知っているに違いないわ)

「この子、貝殻亭じゃなくて、ここから近いし礼拝堂の方に連れていきましょ
う。多分まだ沢山人も集まっているから助けてくれる手も多いし、司祭様もいらっしゃるから」

女神さまに謝りたいならそのまま懺悔させて色々聞き出そうとリリィは考え、懸命に荷車を引くトマスに元気に声をかけ返した。

「トマス、重たいけど頑張って。一緒に来てくれて、本当によかった。頼もしいわ」

リリィの素直な激励の言葉に俄然やる気を出したトマスは、意気揚々と坂を下って行った。






















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