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貴方のダンスが見てみたい15
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「どうしてラグと二人が一緒なの?」
重い鉄の門をくぐると興奮冷めやらぬ顔でソフィアリがラグを見上げる。彼にしては早口ではなしているのが微笑ましい。
「偶然アスターの店の前であったんだ」
「おかえりなさい」
ソフィアリの瞳は、ひたっとラグの深いグリーンの瞳を見据えたまま二人は引き合うように抱きしめあった。そしてごく自然なしぐさでキスを交わす二人に、当然同級生二人組は目を見開き口を開きっぱなしなるほど驚いた顔をしてトマスは口元に手をやった。話したい事聞きたいことは沢山あったのに、口をついて出たのはこれだった。
「ソフィアリ、……君番を作ったの?」
長い髪を一つにくくり首元が大きく空いた服をきていたソフィアリの項には、痛々しいまでの大きな噛み痕。母親以外の首の噛み痕をここまで生々しく直視したのは初めてだった。そう……とても大きな。
傍らの男がつけたに違いないと思ったのはソフィアリからあの香水の匂いはせず、代わりに全身にラグの牽制フェロモンがまとわりついていたからだ。
ソフィアリは記憶の中の彼よりとても大人びていた。
背丈もトマスやブラントほどではないが、決して小さくなく見劣りすることない美丈夫になっていた。性別を知らなければもしかしたら、いまでもアルファなのではと以前と変わらずに思ったかもしれない。
しかしそれよりも見惚れるほどに、彼は本当にしなやかに麗しくなっていた。
あの頃も美しいとは思っていたが闊達な明るさや年齢からくるあどけなさが勝っていたし、同性の同級生だと言う薄い幕がかかった状態で見ていたのでそれほどではなかった。
オメガと知った後初めて出会う彼は、香水を彷彿とさせる危ういほどの色香を振りまいていた。
「え? ラグ言っていなかったの? 俺こっちに来てわりとすぐにラグの番になったんだ」
「どうして……」
流石にショックを受けたブラントはソフィアリ肩を掴んで自分の方に強引に振り向かせる。彼らしくない乱暴な仕草にはらはらしながら、トマスは彼とラグとを固唾を飲んで見比べた。
「オメガの判定を受けたから無理やり学校を辞めさせられて、遠い街に追いやられたって聞いたから俺は!」
「誰が、なんだって?」
ソフィアリはすぐに普段通りの勝気ではっきりとした物言いの学生時代の彼に戻ったよな、そんな眉もきりっとした顔つきになった。
完全に臨戦態勢にはいったソフィアリに、そうだこいつはこういうところもあったとトマスはすぐに思い出す。おかしいと思ったことはその場ではっきりと訂正しないと気が済まない性分でもあるのだ。
「誰がそんなことを言ったんだ。トマスお前か?」
「いや、違うから。あいつだよ。セラフィンだよ。セラフィンがそういったんだ」
途端にソフィアリは喉の奥でひゅっと息を吸い込んだのち、蒼褪め悲し気な顔をして胸元を押さえながら足元をふらつかせた。
ただならぬ様子に二人は焦り、ブラントは彼の肩を引き寄せ抱きしめようと動いた。
しかしラグが何事もないかのようにそんな彼の身体全てをブラントから取り上げ、子どもでも抱き上げるかのように軽々と両腕で抱き上げた。
「ラグ…… 大丈夫だから」
「いや、まだ本調子ではないんだろう。とにかく屋敷の中に入るぞ。時間はたっぷりある。よくよく話をすることだな」
リリオンの屋敷は今もリリオンと年老いた家令、二人の身の回りの世話をしてくれる顔見知りの使用人たちが暮らしている。
リリオンが床に就くことが増えてからは侍女頭だった女性が他の侍女たちの力を借りながらリリオンとすっかり足腰の弱った家令のカレルの世話に追われていた。なので客への対応などは新しく入った侍女が任されていた。
彼女はオメガの農園で孤児として育った番のいるオメガのため、ソフィアリやラグとも親しいのだ。
彼女に応接室を整えてもらい、四人でソファにゆったりと腰を掛けた。
「ソフィアリ様、ご無理をされてはいけませんよ」
目ざとくソフィアリの不調を見抜いた姉のような侍女から暖かな飲み物を受け取り、ソフィアリは首を振ってみなを見まわした。
「いいんだ。少し疲れただけ。皆が来てくれてうれしいからいいんだ。大叔父上の所にも皆でご挨拶にいくからお加減を伺っておいて」
「かしこまりました」
隣に腰を掛けたラグが気づかわし気に番の頬に手を寄せたが、ソフィアリはにこりと少しはかなげに笑うと『大丈夫だから』とつぶやいて見せた。
「ソフィアリ。まずはすまなかった。都合も考えずに押しかけてきてしまって。てっきり何かの謎かけだと思って、お前のことを探し出してやるって気持ちになっていたんだ。ブラントから俺もソフィアリは嫌々学校を辞めさせられたって聞いてたから。その……オメガだったから」
ブラントはすっかり意気消沈してしまって、それを気遣ったトマスは逆にその場の沈黙を破るようにべらべらと饒舌になってしまう。
「ソフィアリは理由があってここに来たが、家族に追いやられたわけではない。ソフィアリは」
「いいよ、ラグ。俺から話すから」
寡黙なラグがソフィアリの代わりに訥々と語ろうとしたので、ソフィアリは番の優しさを感じながらそこから勇気をもらって語り出す。番の暖かな手のひらを回され抱きしめてくるのを右肩に感じながら。
「長い話になるけれど、ここまで俺を探しに来てくれた君たちに敬意を表して話をしたい。聞いてくれるか?」
それからソフィアリはとても私的でとても苦しく、そしてとても希望に満ち溢れた彼と番とこの街のこれからについて、そのすべてを話してくれた。
ソフィアリは簡潔に感情的にならずに淡々と話していったが、トマスは聞けば聞くほど反省していた。
確かに思い当たることがあった。ソフィアリが消える直前の数週間。
ソフィアリが弟のセラフィンと距離を取っている時期があった。明星や彼のことを構う女子生徒、勿論トマスやブラントたちとも一緒にいてくれてうれしかったから覚えている。ついにあの嫉妬深い弟から兄弟離れができたのだと思ったからだ。
そもそも仲の悪かったセラフィンの言い分を信じて、ソフィアリからの話を聞かずに鵜呑みにしていたのもよくなかった。
ソフィアリとの友情に殉ずるならばその覚悟を見せて、無礼な奴と謗られる玉砕覚悟でモルス家に行けばよかったのだ。
同じ気持ちだったのかはたまた思うところがあるのか、ブラントは端正な顔を憂い気にゆがめながら、でも瞳はそらさずにソフィアリの話をよく聞いていた。
「じゃあ、お前はセラフィンから逃げるために、そちらの軍人だった方と一緒にこの地にきたってことだね?」
ソフィアリは眉根を寄せて苦し気な表情を見せながら頷く。
「情けなくも、中央から逃げ出したってことだ」
それは学生時代の友人に対して、青年らしい見栄があっての発言だったのだろう。彼らしくない言い方に男たちはそれぞれ反応を見せた。
「そんなことはないだろ。ここで領主になるって決めて、ちゃんと希望を持ってきたってことだろ?」
「それは後付けの理由だろ? きっかけはセラから逃げたことには変わらない」
ラグは弟とのことをソフィアリがそのように捉えていたのだと、その時初めて本人の口からきいた。
「そんなことはない。領主になると選択したのはお前だ。他にも沢山あった選択肢の中から選び出してここで生きていこうと決めたのはお前自身の選択だ。それ以上でもそれ以下でもない」
厳しい声をかけたのはソフィアリを溺愛しているようにしかみえなかったラグだった。その言葉にソフィアリは大きく頷くと彼らしい少しはにかんだような笑みを浮かべ、雑に髪が乱れるほど頭をばりばりとかきむしった。結んでいるため頭の上の方がぼこぼこになったが気にしたそぶりも見せない。
「そうだな。俺が選んだ。戦略的撤退だな」
そこまで黙って聞いていたブラントが静かに口を開いた。彼の様子はソフィアリが消えて煩悶していたころの姿に似て、再び巡り合ったソフィアリをまた失う痛みに心は震えているようだった。それをみてソフィアリとの甘い再会を夢見ていたトマスも胸がきゅっと痛くなったのだ。
「ソフィアリ。中央に残って、誰かと番うことは考えなかったのか? 中央で番を持てば大好きだった勉強も続けられたはずだ。アルファは、明星の中にも何人もいた。俺もだ。貴族出身のお前ならば、いやお前だから、番いたい人間も沢山いたはずなのに。どうして……」
ソフィアリの番が鋭いまなざしで彼らの会話の終着点を見守っている。少しぞくぞくするような静かながら熱い視線だ。
「あの時、オメガって判定されたとき。俺は父や兄たちみたいにアルファだと思って育った自己認識があったから、冗談じゃない、悪夢だ!って本気で思っていた。いきなり友達だと思っていた奴らとか知らない誰かと番わされるなんて絶対にごめんだと思ったんだ。だいたい、あの頃俺が憧れていたのってみんな女の子だよ? みんな綺麗で優しかったし」
それもそうだとトマスは納得した。飛び級でソフィアリとセラフィンがトマスの学年に来た時の女の子たちの反応ったら凄かったのだから。
「ああ、ミアもルビーもお前に夢中だったしな」
トマスの合いの手にソフィアリは喜んで笑い頷く。二人は特にソフィアリを可愛がっていた。ダンスを踊った後はきゃあきゃあ喜んで、トマスは明るくて美しい二人のどちらとも踊ってみたかったからすごく羨ましかった。
「二人とも手紙をくれた。香水、喜んでいたよ。ここの街に来たのだって、ちゃんと生涯携われる仕事を持って一人でも番もつくらずにちゃんと生きていこうって思ったからだ。後からオメガの発情期はその……。とても一人で越せるものじゃないって思い知ったからそれは俺の考え方の甘さだったんだけど」
「じゃあ、どうして番を作ったんだ?」
(咎めるような口調になるのを許してやってほしい。こいつは本当にお前のことが好きだったんだよ。オメガだってわかる前からブラントがソフィアリに惹かれていたのは誰の目から見ても明らかだっただろ? お前だけがわからなかっただけだよ、ソフィアリ)
優しいトマスは、ここまでソフィアリを追ってきたブラントの純情に免じて無礼を許してほしいと思った。すがるような目でラグを見ると、ラグは何となく察しているのか目だけでトマスに頷いてきた。
ソフィアリは大きな目元を細めて大輪の花の様に艶然と微笑んだ。
「それはね。ラグに出会ったからだよ。番になってもいいって思える人に会ったからだ。ブラント。お前もいつか出会えるよ。番になってもいいって思える相手に」
簡潔にきっぱりと、男らしく。ソフィアリはそうブラントの恋心にとどめを刺しながらも爽やかに番を上目遣いに見上げてにっこりした。その顔はもう頬に薄紅がさし、生き生きと美しい普段の彼に戻っていた。
トマスも同時にとどめを刺されながら、ぐうの音も出ない。そしてなんとなく納得していた。
貴族でもない、中央で育ったわけでもない。身近にいたわけでもない。年だって離れている。
この軍人上がりの人物は自分たちの目から見たらまるで違う世界の住人だ。中央の同年代の男の中では、ソフィアリは自分自身、結構いい線いっていると思っていたはずだ。
見た目もいい。体格も恵まれている。頭も切れるし、女の子にもモテていた。そのスペックでも圧倒的に自分が持っていないものを持ちうる大人の男に、がつんと殴られたように引き寄せられる気持ちもよく分かった。
現にさっきラグに会った時、トマス自身も文句なくラグを格好いいと思ったし、その存在感に衝撃を受けたのだから。
ラグは番の率直な愛の告白じみた言葉に、胸の中に大きな熱いものがこみ上げてきていた。感動とか、嫉妬心のくすぶりとか、愛おしさとか。すべてがごちゃ混ぜの複雑な、そして青臭い感情だった。戦場で思い起こすことなど当然ない感情。里にいたごくごく若い頃に一瞬感じたかもしれない感情。
それを若い青年たちに悟られないように押し殺していた。押し殺していたが虹彩に金の環がぶわっと広がることは流石に抑えきれなかった。
この世のすべての喜びが詰まったような。そんな感情。心を殺したまま生きることをやめて心の穴をソフィアリに埋めてもらうことを自分自身に赦して、心の底からよかったと感じた。
「わかったよ。ソフィアリ。番ができて、良かったな」
ブラントはその高い自尊心からそう答えたがわずかに震える語尾をトマスは感じてギュッと一瞬だけ目を瞑った。こんなところをみてしまってごめんなっという気持ちと、いつかお前にも素敵な番が現れますようにって本気で願う気持ちと。
そしてあのソフィアリがこんなにも蕩けるような笑顔を向ける相手ができたことにも心からの拍手を送っていた。
今聞いた話から別れと苦しみを乗り越えることに大きな努力を要していたことは想像に難くないからだ。
もしもトマスが今日急にお前はオメガだったと言われたら……。
(兄貴に俺の番になれって迫られて? 学校を追われて? 絶対無理!!)
容姿端麗で銀行でばりばり働き、頭取に最年少でなるであろうと言われている自慢の兄だが絶対に無理だ。すごい。ソフィアリは強い。俺には無理だ。そう思ってより尊敬の目でソフィアリと彼を支えた番の寄り添う姿に感動した。
「さあ、もう俺の話はいいよ。学校のこととか、みんなが今どうしているかとか話してくれ。あ、ちなみに残りの明星もみんなお祭りの当日までには来てくれると思うよ。サト商会に手紙が届いてたから、今日やっと確認できた。電信もきてたらしいよ」
トマスはまた自分の短絡的な行動に顔が真っ赤になった。そりゃそうだ。書いてあった商会の住所に手紙でも電信でも…… なんでもできただろうが。
ちなみにとても優秀なブラントだが、恋は盲目。焦るあまりこいつもポンコツになるのかと仲間として少し可愛く思った。
重い鉄の門をくぐると興奮冷めやらぬ顔でソフィアリがラグを見上げる。彼にしては早口ではなしているのが微笑ましい。
「偶然アスターの店の前であったんだ」
「おかえりなさい」
ソフィアリの瞳は、ひたっとラグの深いグリーンの瞳を見据えたまま二人は引き合うように抱きしめあった。そしてごく自然なしぐさでキスを交わす二人に、当然同級生二人組は目を見開き口を開きっぱなしなるほど驚いた顔をしてトマスは口元に手をやった。話したい事聞きたいことは沢山あったのに、口をついて出たのはこれだった。
「ソフィアリ、……君番を作ったの?」
長い髪を一つにくくり首元が大きく空いた服をきていたソフィアリの項には、痛々しいまでの大きな噛み痕。母親以外の首の噛み痕をここまで生々しく直視したのは初めてだった。そう……とても大きな。
傍らの男がつけたに違いないと思ったのはソフィアリからあの香水の匂いはせず、代わりに全身にラグの牽制フェロモンがまとわりついていたからだ。
ソフィアリは記憶の中の彼よりとても大人びていた。
背丈もトマスやブラントほどではないが、決して小さくなく見劣りすることない美丈夫になっていた。性別を知らなければもしかしたら、いまでもアルファなのではと以前と変わらずに思ったかもしれない。
しかしそれよりも見惚れるほどに、彼は本当にしなやかに麗しくなっていた。
あの頃も美しいとは思っていたが闊達な明るさや年齢からくるあどけなさが勝っていたし、同性の同級生だと言う薄い幕がかかった状態で見ていたのでそれほどではなかった。
オメガと知った後初めて出会う彼は、香水を彷彿とさせる危ういほどの色香を振りまいていた。
「え? ラグ言っていなかったの? 俺こっちに来てわりとすぐにラグの番になったんだ」
「どうして……」
流石にショックを受けたブラントはソフィアリ肩を掴んで自分の方に強引に振り向かせる。彼らしくない乱暴な仕草にはらはらしながら、トマスは彼とラグとを固唾を飲んで見比べた。
「オメガの判定を受けたから無理やり学校を辞めさせられて、遠い街に追いやられたって聞いたから俺は!」
「誰が、なんだって?」
ソフィアリはすぐに普段通りの勝気ではっきりとした物言いの学生時代の彼に戻ったよな、そんな眉もきりっとした顔つきになった。
完全に臨戦態勢にはいったソフィアリに、そうだこいつはこういうところもあったとトマスはすぐに思い出す。おかしいと思ったことはその場ではっきりと訂正しないと気が済まない性分でもあるのだ。
「誰がそんなことを言ったんだ。トマスお前か?」
「いや、違うから。あいつだよ。セラフィンだよ。セラフィンがそういったんだ」
途端にソフィアリは喉の奥でひゅっと息を吸い込んだのち、蒼褪め悲し気な顔をして胸元を押さえながら足元をふらつかせた。
ただならぬ様子に二人は焦り、ブラントは彼の肩を引き寄せ抱きしめようと動いた。
しかしラグが何事もないかのようにそんな彼の身体全てをブラントから取り上げ、子どもでも抱き上げるかのように軽々と両腕で抱き上げた。
「ラグ…… 大丈夫だから」
「いや、まだ本調子ではないんだろう。とにかく屋敷の中に入るぞ。時間はたっぷりある。よくよく話をすることだな」
リリオンの屋敷は今もリリオンと年老いた家令、二人の身の回りの世話をしてくれる顔見知りの使用人たちが暮らしている。
リリオンが床に就くことが増えてからは侍女頭だった女性が他の侍女たちの力を借りながらリリオンとすっかり足腰の弱った家令のカレルの世話に追われていた。なので客への対応などは新しく入った侍女が任されていた。
彼女はオメガの農園で孤児として育った番のいるオメガのため、ソフィアリやラグとも親しいのだ。
彼女に応接室を整えてもらい、四人でソファにゆったりと腰を掛けた。
「ソフィアリ様、ご無理をされてはいけませんよ」
目ざとくソフィアリの不調を見抜いた姉のような侍女から暖かな飲み物を受け取り、ソフィアリは首を振ってみなを見まわした。
「いいんだ。少し疲れただけ。皆が来てくれてうれしいからいいんだ。大叔父上の所にも皆でご挨拶にいくからお加減を伺っておいて」
「かしこまりました」
隣に腰を掛けたラグが気づかわし気に番の頬に手を寄せたが、ソフィアリはにこりと少しはかなげに笑うと『大丈夫だから』とつぶやいて見せた。
「ソフィアリ。まずはすまなかった。都合も考えずに押しかけてきてしまって。てっきり何かの謎かけだと思って、お前のことを探し出してやるって気持ちになっていたんだ。ブラントから俺もソフィアリは嫌々学校を辞めさせられたって聞いてたから。その……オメガだったから」
ブラントはすっかり意気消沈してしまって、それを気遣ったトマスは逆にその場の沈黙を破るようにべらべらと饒舌になってしまう。
「ソフィアリは理由があってここに来たが、家族に追いやられたわけではない。ソフィアリは」
「いいよ、ラグ。俺から話すから」
寡黙なラグがソフィアリの代わりに訥々と語ろうとしたので、ソフィアリは番の優しさを感じながらそこから勇気をもらって語り出す。番の暖かな手のひらを回され抱きしめてくるのを右肩に感じながら。
「長い話になるけれど、ここまで俺を探しに来てくれた君たちに敬意を表して話をしたい。聞いてくれるか?」
それからソフィアリはとても私的でとても苦しく、そしてとても希望に満ち溢れた彼と番とこの街のこれからについて、そのすべてを話してくれた。
ソフィアリは簡潔に感情的にならずに淡々と話していったが、トマスは聞けば聞くほど反省していた。
確かに思い当たることがあった。ソフィアリが消える直前の数週間。
ソフィアリが弟のセラフィンと距離を取っている時期があった。明星や彼のことを構う女子生徒、勿論トマスやブラントたちとも一緒にいてくれてうれしかったから覚えている。ついにあの嫉妬深い弟から兄弟離れができたのだと思ったからだ。
そもそも仲の悪かったセラフィンの言い分を信じて、ソフィアリからの話を聞かずに鵜呑みにしていたのもよくなかった。
ソフィアリとの友情に殉ずるならばその覚悟を見せて、無礼な奴と謗られる玉砕覚悟でモルス家に行けばよかったのだ。
同じ気持ちだったのかはたまた思うところがあるのか、ブラントは端正な顔を憂い気にゆがめながら、でも瞳はそらさずにソフィアリの話をよく聞いていた。
「じゃあ、お前はセラフィンから逃げるために、そちらの軍人だった方と一緒にこの地にきたってことだね?」
ソフィアリは眉根を寄せて苦し気な表情を見せながら頷く。
「情けなくも、中央から逃げ出したってことだ」
それは学生時代の友人に対して、青年らしい見栄があっての発言だったのだろう。彼らしくない言い方に男たちはそれぞれ反応を見せた。
「そんなことはないだろ。ここで領主になるって決めて、ちゃんと希望を持ってきたってことだろ?」
「それは後付けの理由だろ? きっかけはセラから逃げたことには変わらない」
ラグは弟とのことをソフィアリがそのように捉えていたのだと、その時初めて本人の口からきいた。
「そんなことはない。領主になると選択したのはお前だ。他にも沢山あった選択肢の中から選び出してここで生きていこうと決めたのはお前自身の選択だ。それ以上でもそれ以下でもない」
厳しい声をかけたのはソフィアリを溺愛しているようにしかみえなかったラグだった。その言葉にソフィアリは大きく頷くと彼らしい少しはにかんだような笑みを浮かべ、雑に髪が乱れるほど頭をばりばりとかきむしった。結んでいるため頭の上の方がぼこぼこになったが気にしたそぶりも見せない。
「そうだな。俺が選んだ。戦略的撤退だな」
そこまで黙って聞いていたブラントが静かに口を開いた。彼の様子はソフィアリが消えて煩悶していたころの姿に似て、再び巡り合ったソフィアリをまた失う痛みに心は震えているようだった。それをみてソフィアリとの甘い再会を夢見ていたトマスも胸がきゅっと痛くなったのだ。
「ソフィアリ。中央に残って、誰かと番うことは考えなかったのか? 中央で番を持てば大好きだった勉強も続けられたはずだ。アルファは、明星の中にも何人もいた。俺もだ。貴族出身のお前ならば、いやお前だから、番いたい人間も沢山いたはずなのに。どうして……」
ソフィアリの番が鋭いまなざしで彼らの会話の終着点を見守っている。少しぞくぞくするような静かながら熱い視線だ。
「あの時、オメガって判定されたとき。俺は父や兄たちみたいにアルファだと思って育った自己認識があったから、冗談じゃない、悪夢だ!って本気で思っていた。いきなり友達だと思っていた奴らとか知らない誰かと番わされるなんて絶対にごめんだと思ったんだ。だいたい、あの頃俺が憧れていたのってみんな女の子だよ? みんな綺麗で優しかったし」
それもそうだとトマスは納得した。飛び級でソフィアリとセラフィンがトマスの学年に来た時の女の子たちの反応ったら凄かったのだから。
「ああ、ミアもルビーもお前に夢中だったしな」
トマスの合いの手にソフィアリは喜んで笑い頷く。二人は特にソフィアリを可愛がっていた。ダンスを踊った後はきゃあきゃあ喜んで、トマスは明るくて美しい二人のどちらとも踊ってみたかったからすごく羨ましかった。
「二人とも手紙をくれた。香水、喜んでいたよ。ここの街に来たのだって、ちゃんと生涯携われる仕事を持って一人でも番もつくらずにちゃんと生きていこうって思ったからだ。後からオメガの発情期はその……。とても一人で越せるものじゃないって思い知ったからそれは俺の考え方の甘さだったんだけど」
「じゃあ、どうして番を作ったんだ?」
(咎めるような口調になるのを許してやってほしい。こいつは本当にお前のことが好きだったんだよ。オメガだってわかる前からブラントがソフィアリに惹かれていたのは誰の目から見ても明らかだっただろ? お前だけがわからなかっただけだよ、ソフィアリ)
優しいトマスは、ここまでソフィアリを追ってきたブラントの純情に免じて無礼を許してほしいと思った。すがるような目でラグを見ると、ラグは何となく察しているのか目だけでトマスに頷いてきた。
ソフィアリは大きな目元を細めて大輪の花の様に艶然と微笑んだ。
「それはね。ラグに出会ったからだよ。番になってもいいって思える人に会ったからだ。ブラント。お前もいつか出会えるよ。番になってもいいって思える相手に」
簡潔にきっぱりと、男らしく。ソフィアリはそうブラントの恋心にとどめを刺しながらも爽やかに番を上目遣いに見上げてにっこりした。その顔はもう頬に薄紅がさし、生き生きと美しい普段の彼に戻っていた。
トマスも同時にとどめを刺されながら、ぐうの音も出ない。そしてなんとなく納得していた。
貴族でもない、中央で育ったわけでもない。身近にいたわけでもない。年だって離れている。
この軍人上がりの人物は自分たちの目から見たらまるで違う世界の住人だ。中央の同年代の男の中では、ソフィアリは自分自身、結構いい線いっていると思っていたはずだ。
見た目もいい。体格も恵まれている。頭も切れるし、女の子にもモテていた。そのスペックでも圧倒的に自分が持っていないものを持ちうる大人の男に、がつんと殴られたように引き寄せられる気持ちもよく分かった。
現にさっきラグに会った時、トマス自身も文句なくラグを格好いいと思ったし、その存在感に衝撃を受けたのだから。
ラグは番の率直な愛の告白じみた言葉に、胸の中に大きな熱いものがこみ上げてきていた。感動とか、嫉妬心のくすぶりとか、愛おしさとか。すべてがごちゃ混ぜの複雑な、そして青臭い感情だった。戦場で思い起こすことなど当然ない感情。里にいたごくごく若い頃に一瞬感じたかもしれない感情。
それを若い青年たちに悟られないように押し殺していた。押し殺していたが虹彩に金の環がぶわっと広がることは流石に抑えきれなかった。
この世のすべての喜びが詰まったような。そんな感情。心を殺したまま生きることをやめて心の穴をソフィアリに埋めてもらうことを自分自身に赦して、心の底からよかったと感じた。
「わかったよ。ソフィアリ。番ができて、良かったな」
ブラントはその高い自尊心からそう答えたがわずかに震える語尾をトマスは感じてギュッと一瞬だけ目を瞑った。こんなところをみてしまってごめんなっという気持ちと、いつかお前にも素敵な番が現れますようにって本気で願う気持ちと。
そしてあのソフィアリがこんなにも蕩けるような笑顔を向ける相手ができたことにも心からの拍手を送っていた。
今聞いた話から別れと苦しみを乗り越えることに大きな努力を要していたことは想像に難くないからだ。
もしもトマスが今日急にお前はオメガだったと言われたら……。
(兄貴に俺の番になれって迫られて? 学校を追われて? 絶対無理!!)
容姿端麗で銀行でばりばり働き、頭取に最年少でなるであろうと言われている自慢の兄だが絶対に無理だ。すごい。ソフィアリは強い。俺には無理だ。そう思ってより尊敬の目でソフィアリと彼を支えた番の寄り添う姿に感動した。
「さあ、もう俺の話はいいよ。学校のこととか、みんなが今どうしているかとか話してくれ。あ、ちなみに残りの明星もみんなお祭りの当日までには来てくれると思うよ。サト商会に手紙が届いてたから、今日やっと確認できた。電信もきてたらしいよ」
トマスはまた自分の短絡的な行動に顔が真っ赤になった。そりゃそうだ。書いてあった商会の住所に手紙でも電信でも…… なんでもできただろうが。
ちなみにとても優秀なブラントだが、恋は盲目。焦るあまりこいつもポンコツになるのかと仲間として少し可愛く思った。
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