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リナリアを胸に抱いて
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兄に呼びかける時ほどの蕩ける甘さはではないけれど、感じよく朗らかな音色の声だ。心に一陣の風が吹いたように、とても清々しく感じられた。
「待っててね。今仕上げるから」
透は大きな白い皿にきつね色に焼けたパンケーキを三枚ずつのせると、上からぱたぱたと粉砂糖をふるい、手慣れた手つきでオレンジやキウイなど果物をカットして置いていった。
思えば自分が食べるものを、こうして目の前で作り上げてもらったことはない。
とくとくと自然に心臓が高鳴った。
仕上げにとろりと蜂蜜をのせると、透の薄い桜色の唇がにまっと笑った形になるのが可愛らしかった。
「透、さん。美味しそうだね」
名前を呼んでみたくなって、声に出しただけで特別な気持ちが沸き起こってきた。透は目を合わせると、くすっと微笑んでキッチンに置かれていた皿を指さした。
「うん。そっちのお皿持ってきてくれる? 一人じゃ寂しかったし、心細かったから、君がいてくれて嬉しいよ」
君がいてくれて、嬉しい。
その何気ない一言で胸が躍る。
(この人の雰囲気、何か不思議だ。一緒にいると、あったかいような、くすぐったいような気持ちになる。……なんだろう、この感覚)
「本当はね、自分でも家に帰った方がいいってわかってるんだ。今頃、僕の叔父さん、カンカンだろうし。でも朔に黙って帰るのは、あいつに悪い。僕、朔が帰るまで待ってるって出がけに約束したんだ。あいつ、あれで繊細なところがあるから、僕が勝手に帰ったら寂しがるか、がっかりすると思う。まさか何日も待つとは思わなかったけど……」
(兄さんの、難しい性格、分かってるんだな)
本来無条件で父や母から受けられるはずの愛情が、自分たち兄弟には圧倒的に不足していると分かっている。そのせいで心の中に成長が乏しい部分があるということも。
雷も頭では分かっている。時々無性に誰かから奪ってでも自分にだけ気持ちを向けさせたいと思う激情が沸き起こる。薔薇の花の下、二人が一緒にいた時、確かに強く激しいその衝動を感じていた。
(兄さんはこの人に、自分にだけ関心を持って貰いたくて、ここに閉じ込めようとしてる)
皿を置いて振り返ったら透は少し潤んだ目元をごしごしとこすっていた。
ずっと年上なのに、彼があまりにも哀れで頼りなく見えて、雷は放っておけぬ気持ちになった。雷は彼の腕を取ると、音を立てて椅子を引いた。
「座って」
「雷くん?」
驚いた声を上げた透は、片手で目元を覆い、滲む涙を見せまいとしている。雷はそれを見て見ぬふりをしつつ、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをグラスに注いで手渡した。
「飲んで」
透は素直に受け取るとコップに口をつけ、こくりと一口飲むと「ありがとう」と小さく呟いた。
「優しいんだね、雷くん」
正面から眉を下げた柔らかな表情で微笑まれた。
(なんだこの人、泣いたり笑ったり、忙しすぎだろ)
「待っててね。今仕上げるから」
透は大きな白い皿にきつね色に焼けたパンケーキを三枚ずつのせると、上からぱたぱたと粉砂糖をふるい、手慣れた手つきでオレンジやキウイなど果物をカットして置いていった。
思えば自分が食べるものを、こうして目の前で作り上げてもらったことはない。
とくとくと自然に心臓が高鳴った。
仕上げにとろりと蜂蜜をのせると、透の薄い桜色の唇がにまっと笑った形になるのが可愛らしかった。
「透、さん。美味しそうだね」
名前を呼んでみたくなって、声に出しただけで特別な気持ちが沸き起こってきた。透は目を合わせると、くすっと微笑んでキッチンに置かれていた皿を指さした。
「うん。そっちのお皿持ってきてくれる? 一人じゃ寂しかったし、心細かったから、君がいてくれて嬉しいよ」
君がいてくれて、嬉しい。
その何気ない一言で胸が躍る。
(この人の雰囲気、何か不思議だ。一緒にいると、あったかいような、くすぐったいような気持ちになる。……なんだろう、この感覚)
「本当はね、自分でも家に帰った方がいいってわかってるんだ。今頃、僕の叔父さん、カンカンだろうし。でも朔に黙って帰るのは、あいつに悪い。僕、朔が帰るまで待ってるって出がけに約束したんだ。あいつ、あれで繊細なところがあるから、僕が勝手に帰ったら寂しがるか、がっかりすると思う。まさか何日も待つとは思わなかったけど……」
(兄さんの、難しい性格、分かってるんだな)
本来無条件で父や母から受けられるはずの愛情が、自分たち兄弟には圧倒的に不足していると分かっている。そのせいで心の中に成長が乏しい部分があるということも。
雷も頭では分かっている。時々無性に誰かから奪ってでも自分にだけ気持ちを向けさせたいと思う激情が沸き起こる。薔薇の花の下、二人が一緒にいた時、確かに強く激しいその衝動を感じていた。
(兄さんはこの人に、自分にだけ関心を持って貰いたくて、ここに閉じ込めようとしてる)
皿を置いて振り返ったら透は少し潤んだ目元をごしごしとこすっていた。
ずっと年上なのに、彼があまりにも哀れで頼りなく見えて、雷は放っておけぬ気持ちになった。雷は彼の腕を取ると、音を立てて椅子を引いた。
「座って」
「雷くん?」
驚いた声を上げた透は、片手で目元を覆い、滲む涙を見せまいとしている。雷はそれを見て見ぬふりをしつつ、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをグラスに注いで手渡した。
「飲んで」
透は素直に受け取るとコップに口をつけ、こくりと一口飲むと「ありがとう」と小さく呟いた。
「優しいんだね、雷くん」
正面から眉を下げた柔らかな表情で微笑まれた。
(なんだこの人、泣いたり笑ったり、忙しすぎだろ)
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