フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

文字の大きさ
上 下
34 / 52
リナリアを胸に抱いて

しおりを挟む
 兄に呼びかける時ほどの蕩ける甘さはではないけれど、感じよく朗らかな音色の声だ。心に一陣の風が吹いたように、とても清々しく感じられた。

「待っててね。今仕上げるから」

 透は大きな白い皿にきつね色に焼けたパンケーキを三枚ずつのせると、上からぱたぱたと粉砂糖をふるい、手慣れた手つきでオレンジやキウイなど果物をカットして置いていった。
 思えば自分が食べるものを、こうして目の前で作り上げてもらったことはない。
 とくとくと自然に心臓が高鳴った。
 仕上げにとろりと蜂蜜をのせると、透の薄い桜色の唇がにまっと笑った形になるのが可愛らしかった。

「透、さん。美味しそうだね」

 名前を呼んでみたくなって、声に出しただけで特別な気持ちが沸き起こってきた。透は目を合わせると、くすっと微笑んでキッチンに置かれていた皿を指さした。

「うん。そっちのお皿持ってきてくれる? 一人じゃ寂しかったし、心細かったから、君がいてくれて嬉しいよ」

 君がいてくれて、嬉しい。
 その何気ない一言で胸が躍る。

(この人の雰囲気、何か不思議だ。一緒にいると、あったかいような、くすぐったいような気持ちになる。……なんだろう、この感覚)

「本当はね、自分でも家に帰った方がいいってわかってるんだ。今頃、僕の叔父さん、カンカンだろうし。でも朔に黙って帰るのは、あいつに悪い。僕、朔が帰るまで待ってるって出がけに約束したんだ。あいつ、あれで繊細なところがあるから、僕が勝手に帰ったら寂しがるか、がっかりすると思う。まさか何日も待つとは思わなかったけど……」

(兄さんの、難しい性格、分かってるんだな)

 本来無条件で父や母から受けられるはずの愛情が、自分たち兄弟には圧倒的に不足していると分かっている。そのせいで心の中に成長が乏しい部分があるということも。
 雷も頭では分かっている。時々無性に誰かから奪ってでも自分にだけ気持ちを向けさせたいと思う激情が沸き起こる。薔薇の花の下、二人が一緒にいた時、確かに強く激しいその衝動を感じていた。

(兄さんはこの人に、自分にだけ関心を持って貰いたくて、ここに閉じ込めようとしてる)

 皿を置いて振り返ったら透は少し潤んだ目元をごしごしとこすっていた。
 ずっと年上なのに、彼があまりにも哀れで頼りなく見えて、雷は放っておけぬ気持ちになった。雷は彼の腕を取ると、音を立てて椅子を引いた。

「座って」
「雷くん?」

 驚いた声を上げた透は、片手で目元を覆い、滲む涙を見せまいとしている。雷はそれを見て見ぬふりをしつつ、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをグラスに注いで手渡した。

「飲んで」

 透は素直に受け取るとコップに口をつけ、こくりと一口飲むと「ありがとう」と小さく呟いた。

「優しいんだね、雷くん」

 正面から眉を下げた柔らかな表情で微笑まれた。

(なんだこの人、泣いたり笑ったり、忙しすぎだろ)

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...