フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

文字の大きさ
上 下
31 / 52
リナリアを胸に抱いて

しおりを挟む
 春の終わり、薔薇が最も鮮やかで美しい季節だった。雷はその日も学校をさぼり、初夏に向かう風の爽やかな庭を何となく歩いていた。
 明治時代以後、震災や戦火を逃れた建物は、本館以外にもいくつか点在する。何となく敷地の端に向かうのは、雷のお気に入りの場所があるからだった。
 本館を過ぎ、木立に囲まれてひっそりと佇む館。
 先々代の当主が、妾であったオメガの女性のために作った別館、そこには小さな西洋風の庭がある。本館は人が住みやすいように手を加えられ続けてきたが、そこだけはいかにも時代の浪漫を感じる建物で、今は都の重要文化財の一つに数えられている。通常中には入れない。だが庭は住人である雷には出入り自由だ。
 当時の当主はアルファの夫人との間に跡取りを設けた後は、愛する番を囲ってその館に入り浸っていたらしい。

「あははっ」

 ふいに軽やかな笑い声が聞こえてきた。雷は思わず木立の隣で足を止めた。今日は別館の特別公開日ではないし、普段は管理担当の者しか足を踏み入れぬ場所だ。
 白い薔薇が零れて咲くアーチ。その下に設えられたベンチに兄が誰かと腰掛けていた。
 向こうはまだ木立の中にいる雷の姿に気づけていない。

(珍しいな……)

 兄は常にエネルギッシュで、王者の如く立ちまわっていたが、それは内面の繊細さを隠すためのポーズだと雷は鋭く見抜いていた。だから彼は人の視線にひどく敏感でとても神経質だ。そんな兄だが、少しも周りを気にしていない。さらに驚くべきは彼の表情だった。
 兄は父親似の端整な顔立ちをしていて、父同様いつも眉間に皺を寄せているような顰め面をしていることが多かった。
 だが今、制服姿の少年の肩を抱き寄せ、見たこともないような蕩ける笑顔でその相手を見つめていた。

(兄さんの恋人。どんな顔をしているんだろう)

 この角度では顔立ちを伺い知れない。ただ大柄な兄と比べたらほっそりと頼りなげな体つきだと分かる。兄に薄い肩を抱かれ、寄り添いながら時折アーチに手を伸ばし、ホロホロと零れる白薔薇の花びらを触り、悪戯しているようだった。
 制服の白シャツから覗く腕はほっそりとたおやかに白い。色素の薄い髪と相まって身体から光が零れているような透明感があった。兄は悪戯なその手を掴んで薔薇の花びらごと指を絡めて握っている。
 兄が彼に顔を寄せていく。とくんっと雷の胸が強く撃たれた。

(キスしてる……)

 長い長い、執拗な口づけ。兄の彼への執愛が痛いほど伝わる。少年が苦しげにふるっと小さく身震いして、掌をついて兄の胸を押し返そうとする。だが兄はお構い無しに少年の背に腕を回し、より強く彼を胸に押し付けるように抱き寄せた。

「朔、さく……」

 抱かれた少年が涼やかな声を上げる。感極まったように恋人を呼ぶ声のたとえようのない甘さに、雷は目が眩む思いがした。

(なんて声なんだ)

 かつて自分の周りで、このように優美な声で名前を呼んでくれる人はいただろうか。
 ちりちりと胸が痛む。それがどうしてなのか、雷には分からない。兄は満たされた笑顔を浮かべて、再び彼に唇を寄せて行った。

「透、愛してる」
「っ!」

 臆面なく愛を囁く兄。幸せそうな二人の姿に、雷の胸に言い知れぬざわざわとした感情が過っていく。
 薔薇の花びらが二人を祝福するように、はらはらと舞い落ちる。
 けして許されぬはずの二人なのに、その光景はあまりにも美しかった。
 雷の目頭が熱くなる。これほど心を揺さぶられる光景を見たのは生まれて初めてだった。胸に手をやる。そこに炎の矢を受けたように、雷は苦し気に眉を寄せ木立の後ろに背をやり隠れた。そして一呼吸おいてからその場から文字通り逃げ出したのだ。
 息を弾ませ、走る。

(なんだ、あれは……。昔の当主みたいに、本妻とは別に恋人を囲いたいって、そういうことなのか? 時代錯誤だ。相手は納得しているのか……。あんな、あんな風に……、名前を……) 

 色々なことを次々と思い浮かべてその光景を忘れようとした。しかし忘れようとしたけれど、そのことばかり考えてしまう。
 雷の人生で初めて、心に浮かんでしまったある強い願いを、どうしても消し去ることが出来なくなってしまった。

(僕も、あんな風に、想いの丈をこめて名前を呼びたい。呼ばれたい。あんな風に、愛されたい。愛してみたい) 

 
                      
                        
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

処理中です...