フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

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フリージアを嫌わないで

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 ふいに寝室の戸が開く音がした。
 首を巡らすと扉の前には脱いだコートを腕にかけ、コンビニのビニール袋を手にした伏見が朝日を浴びながら微笑んでいる。昨晩の姿とはまるで違う、あまりに爽やかな男前ぶりにまた目が眩みそうだ。
 自分だけがしどけなく夜を引きずっていて、恥ずかしさで頬が熱くなる。

「朝食を買いに行ってました。角のパン屋さんやってなかったから駅前まで……。身体は平気ですか?」
「平気だけど、それより、これ!」

 大事なことを思い出したとばかりに、透は花束を手に飛び起きようとしたが下半身に力が入らない。同時に首の辺りに違和感とぴりっとする痛みを感じて顔を顰める。

「いたっ」
「ごめん。俺が何度も噛みついてしまったから」

 指先で痛みの元を恐る恐る探り当てると、すでにガーゼが当てられ手当てがなされているようだ。情けない顔をしていたのだろうか、慌てた様子で伏見がベッドサイドへ駆け寄ってきた。

「貴方が本当に俺のものになってくれたんだなあって思ったら嬉しくてしょうがなかった。貴方に俺の証を沢山つけたくて夢中になってしまって、とても手加減できなかったんだ。ごめんなさい」

 また今朝はいつも通り礼儀正しい伏見だが、透に向ける表情は夜の名残りを残して甘い。まるで初めて朝を共に迎えた恋人同士のような雰囲気に、とくとくと胸が鳴る。

「伏見君、ねえ、これ」

 再びベッドから起き上がろうとして手をついたが、端に手をつきすぎて透はぐらりと下に落ちそうになった。

「あぶない」

 所々赤い花の咲いた真っ白な裸体を、伏見はレジ袋を取り落しながら慌てて抱き止めてきた。

「無理しないで。いや、ごめん。俺が無理をさせたから。今日は一日中ずっとベッドにいて。俺が何でもするから、なんでもわがまま言って」

 蜂蜜のように甘い台詞と温かな腕の中、花の香りは寧ろ彼から強く漂ってきて、戸惑う透は瞳を潤ませて伏見に縋りつく。

「それより、伏見君。この花束、どうして? なんで……」

 指さした先にあるのは、あの小さなブーケだ。
 伏見の穏やかなだけでない、なにか秘密を隠し持っているような微笑みに透は釘付けになった。

「昨日急いで何軒か花屋を周ったけど、その色のフリージアは置いてなかったんです。閉まりかけた店でなんとか見つけて包んで貰いました。貴方に贈りたくて」

(だから伏見君、あんなにずぶ濡れになってたんだ)

 店の喫茶スペースにいけたフリージアはいつでも黄色か白のそれだった。紫色のフリージアは思い出の花束だけ、知っているのは透と朔の二人だけだったはずだ。しかしどうして彼がこのことを知っているのだろうか。

(伏見君……)

 ある予感が頭をかすめて、透ははっと目を見開く。朝の陽ざしに照らされた伏見の顔に何かを探すように透はじっと目を凝らした。
 彼は一瞬泣きそうに表情を崩したが、いつも通りの穏やかで優しい眼差しで透を見つめかえしてきた。

「フリージアの香りは黄色が一番強くて、フェロモンに似ていると言われているけど、それは関係ない。フリージアにはそれぞれ花言葉があるんだ。黄色は無邪気、白は純潔」
「紫は……」

 外気で冷やされた伏見の両手に、透は愛おしそうに吐息を吹きかけ暖める。
 興奮と感動に指先が少し震えてしまう。感極まったような表情をみせた伏見が児戯のように愛らしい口付けを透の額に落としてきた。上目遣いに見つめた先で、彼はきらきらと美しい瞳の中に透だけを映してくる。

「『憧れ』だよ。透さん。小さな俺にはそれが精一杯で、寂しそうに眠るあなたの傍にこの花を贈ることしかできなかった」
「伏見君……。君が……、君だった……」

 花束の送り主は、朔ではなかったのだ。思い起こされる記憶の糸を辿ると、柔らかく高く凛とした、少年の声がする。

『透さん、ゲーム一緒にしよう! そのあとパンケーキ作って』

 蘇ってくる記憶の中、青年の笑顔と華奢で幼く愛らしい少年の目元が重なる。黒目がちの丸い瞳を持つ子リスのように愛らしかった少年は、凛々しく美しい青年となった。

『フリージアを嫌わないで』
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