フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

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フリージアを嫌わないで

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「透さん、伏見です。まだいらっしゃいますか?」

 しかしすぐに、聞きなれた低くも滑らかに若々しい声がした。

(伏見君? 大分前に出たはずなのに)

 びっくりして伏し気味だった顔を上げると、零れた涙が頬を伝い落ち、テーブルの上で弾けていった。
 伏見はイートインコーナーを開いたこの秋から店を手伝ってくれている大学生だ。今日はこの荒天であるのに大学の友人たちに誘われた飲み会があるといっていた。
 それでも閉店作業を手伝おうとする彼に、電車が遅延する前に早めに現地に向かいなさいと快く送り出したのだ。
 反応に戸惑う間に、もう一度はっきりと聞き取れるほど強く叩かれた。

「透さん? もういらっしゃらない?」

 透は慌てて四本まとめた指の先で涙の跡を拭うと、ぱたぱたと足音を立てて扉に駆け寄った。外気が伝いひんやりと凍える取っ手に手をかける。

「伏見君、どうしたの?」

(電車が止まって、困ってここに引き返してきたのかな?)

 扉を開けると確かに伏見がそこに立っていた。背がとても高い彼を見上するとすると透の顔を見て伏見は僅かに眉を顰めた。

「大丈夫、ですか?」
「えっ……」

  一瞬自分が泣いていたことを見とがめられたのかと思ったが、こんな薄暗い中そんなはずはないと気を取り直す。それでも反射的に顔を伏せ袖口で目元を拭うと、普段通り『感じのいい』笑顔を張り付けた。

「大丈夫だよ。君こそどうしたの?」 

 しかし伏見は押し黙ったまま真剣な顔を崩さない。ひた向きな視線にきまりが悪くなり、意気地のない透は目線を少し反らしてしまった。年下の青年に気遣われるほど惨めな顔を自分はしていたのだろうか。

「飲み会だったんでしょ? 居酒屋、早めにしまったとか? それとも電車が動かなかった?」

  気を反らすように扉をわざとぐっと押し、透は努めて明るい声色を装い尋ねかけた。しかし扉を薄く開けただけですぐに凍えるような外気と共に雪が吹き込んできた。

「わあ。寒いっ! 中、入って」

 涙がまだ残る顔に風はヒヤリと冷たい。シャツに藍色のカーディガンを羽織っただけの透は、我が身を片手で抱えて身をすくめると彼を忙しく店内へと招き入れた。

「すみません」

 伏見は頭を下げた。しょげたような仕草が大型犬のようで、透はすぐに絆され眉を下げた。ついつい面倒を見てしまいたくなる。

「寒かったでしょ」
「はい」

 素直な返事に透は知らずに微笑んでしまう。さっきまで寂しくて泣いていたのに、急に心強い味方が現れたような気持ちになってしまう。
(俺って単純だな。誰か傍に居るってだけで、こんなに楽)
 でも誰でもいいわけではないとも思う。いい大人になってもまだ人見知りの癖が抜けない透には、本当に心を許せる相手はごくわずかなのだから。
(伏見君……)
 改めてみても、頼りがいある姿かたちをしていると思う。彼はがっしりと広い肩幅に胸板も厚く、一目でなにかスポーツをしていたのではないかと思わせる体格をしている。それなのに顔立ちはまだ青年らしく柔和で、甘さすら感じる。そのアンバランスの妙がまた魅力的だ。
 今は特殊な職種や公務員でもない限り、バース性を職場に申告する義務はない。だけどおしゃべり好きの叔父が聞きだしたところによれば、彼はアルファ性を持っているらしい。それも納得の偉丈夫だった。
 人当たりもよくイートインスペースの給仕から店のSNSの更新、透が苦手な会計ソフトの入力まで手伝ってくれて、一度教えたら飲み込み込みも早い。何事も素早くそつなくこなしてくれる。
 
 健やかかつ恵まれた体躯。端正な形の太い眉に通った鼻筋、黒目勝ちの大きな瞳は知的な印象だ。唇はノミで削られたようにはっきりかつ、すっと美しい形で、おおよそ想像できるアルファ性がもつ男性美に溢れている。満遍ない世代の女性からうっとりと見上げられ、男性からは羨望の眼差しを集める。
 都内の有名大学に通い、身につけているもの一つ取っても、普通の大学生が持ち得るようなブランド品では無いと分かる、らしい。叔父のお古を好んできている透にはちんぷんかんぷんだが、ファッションに詳しい叔父がそう言っていた。
 土日の忙しい時にだけ、お手伝い程度にしかシフトは入っていない。
 ここの給金程度、彼のお小遣いの足しにもならないはずだ。
 正直どうしてここでアルバイトをする気になったのか疑問で聞いたことがあったが、「ここのスィーツが好きなんです。端正で気品があって、甘さもちょうどいいから」と微笑んではぐらかされた。

(何もしないで立ってるだけでも絵になる子。でも、なんだかいつもと雰囲気が違う……)

 そんな彼だが今はどこか普段とは違う昏い雰囲気を醸して、紙袋を持ち扉を背に佇んでいる。

「忘れ物でもしたの?」
「……ちがいます」

 喫茶スペースから漏れる灯りの下で改めて彼を見て驚いた。
 ダウンコートの色が暗く濡れたあとが目立たなかったが、黒髪から雨粒が滴るほどに濡れそぼっていた。
 普段のなんでもスマートにこなす怜悧な彼の姿とは程遠く、一目で只事ではないと思った。こんな寒い晩にずぶ濡れになってまで店まで戻ってくるとは、きっと何か事情があるに違いない。

「伏見君、ずぶ濡れじゃない。飲み会はどうしたの? お休み中にみんなと会うの久々だって。楽しみだっていってたのに」
「……」

 伏見はどこか思いつめたような貌をしている。透は切なげなその姿にぎゅっと胸を締め付けられた。
 時には幼い子供に対してだけでなく、こんな立派な青年にまで憐憫から世話を焼き過ぎてしまう、透の昔からの癖だろう。

「気になることがあって戻ってきました」
「気になること?」

 白目が冴え冴えと澄んだ瞳でまっすぐに見つめられたが、透には見当がつかなかった。
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