フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

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フリージアを嫌わないで

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「ほんと、寒い……」

 空調を切るのが少し早すぎたかもしれない。じんわりとした冷気が足元からはい上がってくるようだ。温みを求めて硝子のティーポットから綺麗な琥珀色の紅茶を注いだ。そしてふうっと息を吹きかける。
 目の前が湯気で白く曇ったのちに、すぐにふわりと散ったのに、何故だか視界が歪んだままだ。
 自分が泣いているのだと気がついたのは紅茶の中に、涙の雫が落ちたあとだった。

(もう吹っ切れたと思ってたのに)

 店の中は雨とは違って音もなく降り積もる雪のせいか、普段よりさらに静かだ。いい年した大人の男が閉店後とはいえ職場で泣いているなんて、まるで悲劇のヒロイン気取りだ。どう考えてもみっともよいものではないだろう。苦笑して歪めた頬に、また涙が伝い落ちる。

「うっ……」

 長く付き合った恋人に、手酷くふられたあの日も、氷雨の降る早春の宵だった。

『お前が悪いんだ、透。お前が!』

 最後に投げつけられた言葉がまた蘇り、透を苛む。自分が漏らしたか細い嗚咽だけが店の中に響き渡り、その声が跳ね返ったように哀しみがさらに押し寄せてきた。

「朔……」

 久しぶりに声に出してその名を呼んでみた。かつては呼びなれたその音を噛みしめて、もう一度、声には出さずに口の形だけなぞる。
 街の片隅、店の端っこ。
 ここで透が一人泣いていたとて誰に迷惑をかけるわけでもない。また零れた涙を今度は拭うこともしなかった。
 こんな晩はもう、泣くことを自分に許そう。女々しかろうが惨めだろうが、感情が赴くままに泣き続けて目が腫れあがったとしても明日は定休日。それこそ誰にも迷惑はかけない。

「ううっ……」

 久しぶりに子どもの頃にように零れた涙が、覆った掌を熱く濡らし落ちる。より声を上げて泣き始めた丁度その時だった。
 ガチャ、ガチャガチャ。ガシャン、ガシャン。
 力強くけたたましく静寂を破る音にびっくりして顔を上げると、ブラインドの向こうに一瞬車のライトに照らされた大きな人影が見えた。ひくりっと喉を鳴らして透は扉をじっと見据えた。

(誰……、朔?)

 体格の良いシルエットにかつて愛した人の面影を重ねて、どくんっと心臓が鳴る。
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