フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

文字の大きさ
上 下
2 / 52
フリージアを嫌わないで

2

しおりを挟む
「ほんと、寒い……」

 空調を切るのが少し早すぎたかもしれない。じんわりとした冷気が足元からはい上がってくるようだ。温みを求めて硝子のティーポットから綺麗な琥珀色の紅茶を注いだ。そしてふうっと息を吹きかける。
 目の前が湯気で白く曇ったのちに、すぐにふわりと散ったのに、何故だか視界が歪んだままだ。
 自分が泣いているのだと気がついたのは紅茶の中に、涙の雫が落ちたあとだった。

(もう吹っ切れたと思ってたのに)

 店の中は雨とは違って音もなく降り積もる雪のせいか、普段よりさらに静かだ。いい年した大人の男が閉店後とはいえ職場で泣いているなんて、まるで悲劇のヒロイン気取りだ。どう考えてもみっともよいものではないだろう。苦笑して歪めた頬に、また涙が伝い落ちる。

「うっ……」

 長く付き合った恋人に、手酷くふられたあの日も、氷雨の降る早春の宵だった。

『お前が悪いんだ、透。お前が!』

 最後に投げつけられた言葉がまた蘇り、透を苛む。自分が漏らしたか細い嗚咽だけが店の中に響き渡り、その声が跳ね返ったように哀しみがさらに押し寄せてきた。

「朔……」

 久しぶりに声に出してその名を呼んでみた。かつては呼びなれたその音を噛みしめて、もう一度、声には出さずに口の形だけなぞる。
 街の片隅、店の端っこ。
 ここで透が一人泣いていたとて誰に迷惑をかけるわけでもない。また零れた涙を今度は拭うこともしなかった。
 こんな晩はもう、泣くことを自分に許そう。女々しかろうが惨めだろうが、感情が赴くままに泣き続けて目が腫れあがったとしても明日は定休日。それこそ誰にも迷惑はかけない。

「ううっ……」

 久しぶりに子どもの頃にように零れた涙が、覆った掌を熱く濡らし落ちる。より声を上げて泣き始めた丁度その時だった。
 ガチャ、ガチャガチャ。ガシャン、ガシャン。
 力強くけたたましく静寂を破る音にびっくりして顔を上げると、ブラインドの向こうに一瞬車のライトに照らされた大きな人影が見えた。ひくりっと喉を鳴らして透は扉をじっと見据えた。

(誰……、朔?)

 体格の良いシルエットにかつて愛した人の面影を重ねて、どくんっと心臓が鳴る。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...