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『桜』の記憶
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正直、紬は中学でやり残したことが思いつかない。
そう考えるとそこそこ悪くない中学生時代を過ごせたのかもしれない。バドミントン部は部員が少な目で常に試合に出られていたし、強豪校ではなかったが地区大会までは勝ち進めた。これは創部以来の快挙だったらしい。
とはいえ、英語のスピーチコンテストで学校の代表になったり、陸上の大会で個人で入賞した陽仁と比べたら活躍はそこそこだったとしか言えない。そんな輝かしい中学時代を過ごした陽仁がやり残したことがある方が気にかかった。
「うーん。自分で聞いておいてなんだけど、ないや。俺。中学でやり残したこと。それより。陽仁のやり残したこととか、願い事の方が気になる」
よいしょ、とばかりに手に平をついてボタンが食い込む陽仁の胸からぐいっと手を突っぱねて身体を離そうとしたのに、それを馬鹿力で阻まれて『うぐっ』と不満の声を漏らした。
「陽仁、顔にボタンが当たって痛いんだけど」
「あ……。ごめん。余裕がなくて」
「余裕?」
腕が緩まったから紬はもぞもぞと顔を上げると、陽仁は大きな掌で顔を覆うように隠してこちらから表情をうかがい知れない。
「?? お前変だぞ? おかしいぞ」
「……おかしい。そうだな。おかしい」
ぶつぶつ呟いて、だがやがて静かになった。
静かになると、また眠くなってきた。とくとくと相変わらず騒がしい陽仁の心音。下半身は緩く曲げられた膝で止まり、遠慮がちにあまり触れぬ位置で止まったままで、しかし手はぎゅっと握られたまま、陽仁がどうしても離さない。しかたなく紬は今度はボタンを避けて胸ポケットの辺りにこてんと頬を押し付けて瞳を閉じた。
なにはともあれ、少しひんやりとしてきた空気を遮る、布団は暖かく、温い陽仁の腕の中は心地よくて落ち着く。
「眠い。後で起こせよ」
また沈黙。なのに心音だけが、とっとっとっとっとずっと早いピッチのまま紬の耳を打ってくる。
(こんなの……。心音うるさくて眠れない)
身体を離して頭の位置を変えようとしたのに、陽仁はそれを許さないのだ。
「陽仁さあ」
「ごめん、紬……。そのままちょっとだけ聞いてくれる」
囁き声がまた絶妙なテンポで心地よい。思わず素直に聞き返す。
「ん……何?」
「今日、クラスの集まりに行かないで俺の事選んでくれて嬉しかった」
そう言うと指をぎゅむぎゅむと照れ隠しのようにまた手を握られた。
「なんだそんなことか? だってそりゃ、親友といる方がその他大勢といるよりずっと楽しいだろ?」
「……はあ。親友か」
重々しくため息を疲れたから紬は頬をむうっとさせて、繋がれた指をお返しとばかりにぎゅっと痛いくらいに握り返す。
「なんだよ? ただの友達じゃなくて親友であってるだろ?」
逆に今度は陽仁にすりり、と長い指先が紬の手の甲をなだめるように撫ぜられた。それが妙にこそばゆくてぞくぞくっと背中がしてしまい、落ち着かない気持ちになる。
「……そうじゃなくて。まあいいや。紬さあ、保育園の時、花終わった後の桜の木の下に沢山落ちてた、小さいさくらんぼみたいな種を沢山拾って、埋めたの覚えてる?」
それは先ほど保育園の前を通ってきた時にちょうど思い出したところだ。
「ああ、ぼんやりと覚えてる。花壇の端に沢山突っ込んで埋めてたよな」
なにぶん小さな頃の記憶だからすべてが鮮明ではないが、プラスチックのおもちゃのシャベルでがりがり掘って、皆揃いで被っていたクラス帽子の濃いピンク色と種を埋めている陽仁の背中が記憶に残っている。
「『これを埋めたら桜が生えてくる』ってみんなに堂々と宣言して……。あの頃はまだ彩夏も生まれる前で、俺、初孫だから親にも親戚にも甘やかされててかなり我儘でさ。普段から威張り散らしててそんな事言ったのに、中々芽が出てこなくて、みんなに嘘つき呼ばわりされてすごく馬鹿にされた。悔しかったなあ。意地はって誰とも遊ばなくなって、お前は心配してくれたのに、お前のことも無視した」
すっかり忘れていたが、紬も思い出した。小さな頃の陽仁は身体は大きくてて運動もできたけど威張ってばかりで、今みたいに穏やかないい男ではなかったのだ。紬も運動神経がいい方だったから、陽仁と互角に渡り合えたのが紬だけということもあり、何だかんだで一番一緒に遊ぶ友達だった。
「……週末を家で過ごして翌週保育園にいったら、桜の花そっくりのピンクの小さな花が種を埋めた場所に揺れながら咲いてた。みんな驚いてたけど、俺が一番びっくりしたな。やっぱりあのさくらんぼから花が咲くんだねってみんなに言って貰えて、それがきっかけでみんなと仲直りができたんだ。嬉しかった。でも小学校に入って大分経ってから知ったんだ。染井吉野の種は発芽しない。あれは挿し木でしか増えない花だって。だからあの花は勿論桜じゃない」
紬はもう一つ思い出したことがあり、もぞもぞと動く範囲で身体をよじる。そんな紬を陽仁はもっと強く、でも優しく抱き寄せる。
「……お前だったんだろ? 紬。サクラソウの花を家のプランターから引っこ抜いてきて、あそこにおばさんと一緒にこっそり植えてくれたの。大分経ってから母さんが教えてくれた。保育園の先生と相談してそうしてくれたんだって」
(そう。あんまり陽仁がしょげるから。俺、母さんに頼んだんだった……)
『さくらんぼの種からさくらがはえるって、はるくんが言うのだれも信じてくれないんだ。はるくんが嘘つきだっていって、みんな遊んでくれない。はるくん、僕とも遊んでくれない……。お母さん、さくらのおはなに似てるから、あのお花をあそこにうめちゃだめ? そしたらさくらが咲いたねって、みんなまた仲直りしてくれると思う』
ただまた陽仁と楽しく遊びたい一心でそんなことを親にいってお願いしたのだと思う。紬にとってはたいしたことではなかったのだ。
「あの時はありがとう。俺は『親切は人に言わずに率先して行うといい』ということを、ちっちゃい紬から学んだ」
「なんだそれ。格言みたいだな。じゃあ俺が陽仁のこと、こんないい男にしたんだな。お礼言って貰わないと。陽仁のお母さんに」
くすくすっと紬が笑ったら、陽仁も笑った気配が触れ合った身体を通じて伝わってくる。
「俺はただ、陽仁と遊びたかっただけだよ。大したことじゃない。大体花をこっそり植えるの手伝ってくれたの、先生と母さんだし」
「だけど俺にとっては一大事だったから、すごくありがたかった」
「変な奴。今更いうなんてなんでだよ。ああ。さっきあれ見て思い出したのか? 卒業式で陽仁が貰ってきた花。あの花だったよな? たしか。ピンクで桜みたいな花」
紬がくすりと笑うと、すうっと深く息を吸ったのち、紬の頭を乗せたまま陽仁の胸が大きく膨らんだ。そして全てを吐き出すように、はっきりと声が雨の雫が窓を伝う様子が映った天井に響く。
「今更じゃない。あれからずっと。……ずっとだ。俺はお前のことが誰より、一番好きだ。俺が中学でやり残したことも、桜の花びらを捕まえた時に願ったことも。全部同じ。お前が好きだから、高校生になったら、恋人として付き合いたい、です。ダメか?」
紬の好きな陽仁の声は最後は少し情けなく上擦っていて、しかしずんっと重たく紬の胸に届いた。
(陽仁が、俺のことを、好きだって? マジか……)
寝耳に水だ。陽仁とは、今までも距離感がおかしいと周りから言われ続けてきたし、正直『お前ら付き合ってんの?』などとネタにもされた。
そのたび陽仁は一笑に付してきたが、逆に紬の方が『そうだけど? 彼氏カッコよくて、すげえだろ』なんてどや顔で応えてた。そういったやり取りとか陽仁は実際のところどう思っていたのだろうか。
「だめっていうか……」
人生で初めて人から面と向かって受けた真っすぐな告白の後、再び静寂が戻った部屋に、強くなった雨音だけが響き渡った。
紬は幼馴染からの告白という衝撃と興奮と心臓の高鳴りで、再びこめかみにつきんっと僅かに痛みがぶり返して思わず身体を小さく震わせた。
「ご、ごめん。急に変なこと言って。でも俺本気だから。今日告白するってずっと前から決めてたんだ。紬の第二ボタン貰うつもりで……。正確には他の奴に取られないようにするためだったんだけど……。紬? 泣いてるのか?」
痛みで項垂れた紬をショックで泣きだしたと思ったのか、ふいに抱きしめた腕が緩まって身体を起こした陽仁は、おろおろとした両手は一度宙を彷徨った後、顔を覗き込みながら背中をトントンと叩く方と、紬の猫っ毛を撫ぜる方に役目が分かれていった。
「ち、違うよ。また頭がちょっと痛くなって……、だ、第二ボタンってお前っ」
しかし驚いた拍子にぐっと言葉に詰まり、本当に涙が滲んでしまった。
「お前、だからさあ。そういうの、ちゃんと……、先に言っとけよ」
「ごめん。……言ったら、紬、俺にボタンくれたのか?」
「ボタン、ボタンこだわるなあ。お前のボタンは人にあげたくせに」
「あげてない。全部外されたけど第二ボタンだけ戻してもらった。好きな子に渡したいからって」
「え……」
汗ばむほどにしっかりと握られていた手が突然離されたのが少し寂しい。
ゆるく拳を握ろうとした紬の手には、しかしすぐに掌の中にコロンと硬いものが押し付けられた。布団の中の手元は見えないが、多分想像していたとおりのものだろう。
「俺の第二ボタン、貰ってください」
「いででっ、だから頭が痛いんだって」
紬の頭の天辺に陽仁が顎を載せ、照れ隠しなのかぐりぐりされつつ、項から襟足の辺りを絶妙なタッチで撫ぜ上げられ、それがまたまたくすぐったくて身体からへにゃへにゃと力が抜けそうになる。
「く、くすぐったいよ。手ぇやめて」
悪戯をやめさせよとした手をまた握られ、今度は首筋にぐりぐりと鼻先や頬を押し付けられてそれがまたこそばゆい。
「紬って首とか脇腹とか昔から弱いよな」
囁かれる吐息が耳元に降りかかり、本格的に笑いが止まらなくなってしまった。
「わ、ううっ、く、くすぐったいって!! 脇腹とか無理、あんま笑うと頭痛くなるって、うわ、こしょいこしょいからああl 陽仁、やめて!」
「貰うの? 貰わないのか?」
「くすぐったい、むり、無理。耳とか息吹きかけないで! 貰えばいいのか? それで、お前の願いは叶うの? それでいいの? もう無理!やめてくれ!!!」
「返事は?」
意地悪なほどしつこい指先が一番弱い脇腹に伸びた時、もう降参とばかりに紬は叫んだ。
「わ、わかった!!! ボタン貰うぐらい、なんてことない! もらう、貰うけど……」
涙目で真っ赤になった顔を上げたら、にやっとちょっと悪げに微笑んだ陽仁の顔がぱっと近づき、口元に生暖かく柔らかいものが一瞬触れて、すぐ離れた。
「今叶った」
終
🌸 ~ おまけ ~ 🌸
紬 「よくも俺のファーストキスを予告もなく奪ったな!!!」
陽仁「安心しろ。お前のファーストキスは中一の時、すでにこの部屋で寝ている間に終えてる。相手は俺だ」
紬 「とんでもねぇ!!! ケダモノ!!!」
陽仁「自分のことが好きな男の部屋で爆睡かますお前が悪いだろ」
紬 「キ、キスはまあいい」
陽仁(いいのか? 押せばいけるな。流石チョロ紬)
紬 「いいか! ボタン貰ったからって、即、付き合うってことにはならない! ……んだぞ!」
陽仁「なるね」
紬 「?? ならないだろ? だったら手塚さんと俺だって付き合うってことじゃん?!」
陽仁「それは無理。なら俺が手塚さんからお前のボタン回収してくる。紬は俺のだから、ボタンも俺のものだって。今日、駅前のファミレスにみんないるんだろ? 彩夏お迎えにいったらその足でファミレスいって返してもらってくる。アレ、俺のだって」
紬 「お、横暴だ……。さっきまであんなにしおらしかったくせに!! 小さい頃の横暴陽仁に戻ったな」
陽仁「なんとでもいえ。でも小さい頃から、こういう俺でも、お前一番俺のことが好きだっただろ?」
紬 「そりゃ一番仲がいいから。気もあうし、友達だから、友達」
陽仁「まあいってろって。これからは友達兼幼馴染兼、恋人なんだよ。お前は面倒を見てくれるような相手があってるんだって。マイペース甘えん坊一人っ子」
紬 「一人っ子を甘えん坊とかマイペースとか型にはめるの、よくないぞ」
陽仁「高校入ってからも頭痛くなるたびに、でろでろにお前のこと甘やかして、俺なしじゃいられなくしてやるから、覚悟しとけよ」
紬 「覚悟って……」
続く…… か?(笑)
そう考えるとそこそこ悪くない中学生時代を過ごせたのかもしれない。バドミントン部は部員が少な目で常に試合に出られていたし、強豪校ではなかったが地区大会までは勝ち進めた。これは創部以来の快挙だったらしい。
とはいえ、英語のスピーチコンテストで学校の代表になったり、陸上の大会で個人で入賞した陽仁と比べたら活躍はそこそこだったとしか言えない。そんな輝かしい中学時代を過ごした陽仁がやり残したことがある方が気にかかった。
「うーん。自分で聞いておいてなんだけど、ないや。俺。中学でやり残したこと。それより。陽仁のやり残したこととか、願い事の方が気になる」
よいしょ、とばかりに手に平をついてボタンが食い込む陽仁の胸からぐいっと手を突っぱねて身体を離そうとしたのに、それを馬鹿力で阻まれて『うぐっ』と不満の声を漏らした。
「陽仁、顔にボタンが当たって痛いんだけど」
「あ……。ごめん。余裕がなくて」
「余裕?」
腕が緩まったから紬はもぞもぞと顔を上げると、陽仁は大きな掌で顔を覆うように隠してこちらから表情をうかがい知れない。
「?? お前変だぞ? おかしいぞ」
「……おかしい。そうだな。おかしい」
ぶつぶつ呟いて、だがやがて静かになった。
静かになると、また眠くなってきた。とくとくと相変わらず騒がしい陽仁の心音。下半身は緩く曲げられた膝で止まり、遠慮がちにあまり触れぬ位置で止まったままで、しかし手はぎゅっと握られたまま、陽仁がどうしても離さない。しかたなく紬は今度はボタンを避けて胸ポケットの辺りにこてんと頬を押し付けて瞳を閉じた。
なにはともあれ、少しひんやりとしてきた空気を遮る、布団は暖かく、温い陽仁の腕の中は心地よくて落ち着く。
「眠い。後で起こせよ」
また沈黙。なのに心音だけが、とっとっとっとっとずっと早いピッチのまま紬の耳を打ってくる。
(こんなの……。心音うるさくて眠れない)
身体を離して頭の位置を変えようとしたのに、陽仁はそれを許さないのだ。
「陽仁さあ」
「ごめん、紬……。そのままちょっとだけ聞いてくれる」
囁き声がまた絶妙なテンポで心地よい。思わず素直に聞き返す。
「ん……何?」
「今日、クラスの集まりに行かないで俺の事選んでくれて嬉しかった」
そう言うと指をぎゅむぎゅむと照れ隠しのようにまた手を握られた。
「なんだそんなことか? だってそりゃ、親友といる方がその他大勢といるよりずっと楽しいだろ?」
「……はあ。親友か」
重々しくため息を疲れたから紬は頬をむうっとさせて、繋がれた指をお返しとばかりにぎゅっと痛いくらいに握り返す。
「なんだよ? ただの友達じゃなくて親友であってるだろ?」
逆に今度は陽仁にすりり、と長い指先が紬の手の甲をなだめるように撫ぜられた。それが妙にこそばゆくてぞくぞくっと背中がしてしまい、落ち着かない気持ちになる。
「……そうじゃなくて。まあいいや。紬さあ、保育園の時、花終わった後の桜の木の下に沢山落ちてた、小さいさくらんぼみたいな種を沢山拾って、埋めたの覚えてる?」
それは先ほど保育園の前を通ってきた時にちょうど思い出したところだ。
「ああ、ぼんやりと覚えてる。花壇の端に沢山突っ込んで埋めてたよな」
なにぶん小さな頃の記憶だからすべてが鮮明ではないが、プラスチックのおもちゃのシャベルでがりがり掘って、皆揃いで被っていたクラス帽子の濃いピンク色と種を埋めている陽仁の背中が記憶に残っている。
「『これを埋めたら桜が生えてくる』ってみんなに堂々と宣言して……。あの頃はまだ彩夏も生まれる前で、俺、初孫だから親にも親戚にも甘やかされててかなり我儘でさ。普段から威張り散らしててそんな事言ったのに、中々芽が出てこなくて、みんなに嘘つき呼ばわりされてすごく馬鹿にされた。悔しかったなあ。意地はって誰とも遊ばなくなって、お前は心配してくれたのに、お前のことも無視した」
すっかり忘れていたが、紬も思い出した。小さな頃の陽仁は身体は大きくてて運動もできたけど威張ってばかりで、今みたいに穏やかないい男ではなかったのだ。紬も運動神経がいい方だったから、陽仁と互角に渡り合えたのが紬だけということもあり、何だかんだで一番一緒に遊ぶ友達だった。
「……週末を家で過ごして翌週保育園にいったら、桜の花そっくりのピンクの小さな花が種を埋めた場所に揺れながら咲いてた。みんな驚いてたけど、俺が一番びっくりしたな。やっぱりあのさくらんぼから花が咲くんだねってみんなに言って貰えて、それがきっかけでみんなと仲直りができたんだ。嬉しかった。でも小学校に入って大分経ってから知ったんだ。染井吉野の種は発芽しない。あれは挿し木でしか増えない花だって。だからあの花は勿論桜じゃない」
紬はもう一つ思い出したことがあり、もぞもぞと動く範囲で身体をよじる。そんな紬を陽仁はもっと強く、でも優しく抱き寄せる。
「……お前だったんだろ? 紬。サクラソウの花を家のプランターから引っこ抜いてきて、あそこにおばさんと一緒にこっそり植えてくれたの。大分経ってから母さんが教えてくれた。保育園の先生と相談してそうしてくれたんだって」
(そう。あんまり陽仁がしょげるから。俺、母さんに頼んだんだった……)
『さくらんぼの種からさくらがはえるって、はるくんが言うのだれも信じてくれないんだ。はるくんが嘘つきだっていって、みんな遊んでくれない。はるくん、僕とも遊んでくれない……。お母さん、さくらのおはなに似てるから、あのお花をあそこにうめちゃだめ? そしたらさくらが咲いたねって、みんなまた仲直りしてくれると思う』
ただまた陽仁と楽しく遊びたい一心でそんなことを親にいってお願いしたのだと思う。紬にとってはたいしたことではなかったのだ。
「あの時はありがとう。俺は『親切は人に言わずに率先して行うといい』ということを、ちっちゃい紬から学んだ」
「なんだそれ。格言みたいだな。じゃあ俺が陽仁のこと、こんないい男にしたんだな。お礼言って貰わないと。陽仁のお母さんに」
くすくすっと紬が笑ったら、陽仁も笑った気配が触れ合った身体を通じて伝わってくる。
「俺はただ、陽仁と遊びたかっただけだよ。大したことじゃない。大体花をこっそり植えるの手伝ってくれたの、先生と母さんだし」
「だけど俺にとっては一大事だったから、すごくありがたかった」
「変な奴。今更いうなんてなんでだよ。ああ。さっきあれ見て思い出したのか? 卒業式で陽仁が貰ってきた花。あの花だったよな? たしか。ピンクで桜みたいな花」
紬がくすりと笑うと、すうっと深く息を吸ったのち、紬の頭を乗せたまま陽仁の胸が大きく膨らんだ。そして全てを吐き出すように、はっきりと声が雨の雫が窓を伝う様子が映った天井に響く。
「今更じゃない。あれからずっと。……ずっとだ。俺はお前のことが誰より、一番好きだ。俺が中学でやり残したことも、桜の花びらを捕まえた時に願ったことも。全部同じ。お前が好きだから、高校生になったら、恋人として付き合いたい、です。ダメか?」
紬の好きな陽仁の声は最後は少し情けなく上擦っていて、しかしずんっと重たく紬の胸に届いた。
(陽仁が、俺のことを、好きだって? マジか……)
寝耳に水だ。陽仁とは、今までも距離感がおかしいと周りから言われ続けてきたし、正直『お前ら付き合ってんの?』などとネタにもされた。
そのたび陽仁は一笑に付してきたが、逆に紬の方が『そうだけど? 彼氏カッコよくて、すげえだろ』なんてどや顔で応えてた。そういったやり取りとか陽仁は実際のところどう思っていたのだろうか。
「だめっていうか……」
人生で初めて人から面と向かって受けた真っすぐな告白の後、再び静寂が戻った部屋に、強くなった雨音だけが響き渡った。
紬は幼馴染からの告白という衝撃と興奮と心臓の高鳴りで、再びこめかみにつきんっと僅かに痛みがぶり返して思わず身体を小さく震わせた。
「ご、ごめん。急に変なこと言って。でも俺本気だから。今日告白するってずっと前から決めてたんだ。紬の第二ボタン貰うつもりで……。正確には他の奴に取られないようにするためだったんだけど……。紬? 泣いてるのか?」
痛みで項垂れた紬をショックで泣きだしたと思ったのか、ふいに抱きしめた腕が緩まって身体を起こした陽仁は、おろおろとした両手は一度宙を彷徨った後、顔を覗き込みながら背中をトントンと叩く方と、紬の猫っ毛を撫ぜる方に役目が分かれていった。
「ち、違うよ。また頭がちょっと痛くなって……、だ、第二ボタンってお前っ」
しかし驚いた拍子にぐっと言葉に詰まり、本当に涙が滲んでしまった。
「お前、だからさあ。そういうの、ちゃんと……、先に言っとけよ」
「ごめん。……言ったら、紬、俺にボタンくれたのか?」
「ボタン、ボタンこだわるなあ。お前のボタンは人にあげたくせに」
「あげてない。全部外されたけど第二ボタンだけ戻してもらった。好きな子に渡したいからって」
「え……」
汗ばむほどにしっかりと握られていた手が突然離されたのが少し寂しい。
ゆるく拳を握ろうとした紬の手には、しかしすぐに掌の中にコロンと硬いものが押し付けられた。布団の中の手元は見えないが、多分想像していたとおりのものだろう。
「俺の第二ボタン、貰ってください」
「いででっ、だから頭が痛いんだって」
紬の頭の天辺に陽仁が顎を載せ、照れ隠しなのかぐりぐりされつつ、項から襟足の辺りを絶妙なタッチで撫ぜ上げられ、それがまたまたくすぐったくて身体からへにゃへにゃと力が抜けそうになる。
「く、くすぐったいよ。手ぇやめて」
悪戯をやめさせよとした手をまた握られ、今度は首筋にぐりぐりと鼻先や頬を押し付けられてそれがまたこそばゆい。
「紬って首とか脇腹とか昔から弱いよな」
囁かれる吐息が耳元に降りかかり、本格的に笑いが止まらなくなってしまった。
「わ、ううっ、く、くすぐったいって!! 脇腹とか無理、あんま笑うと頭痛くなるって、うわ、こしょいこしょいからああl 陽仁、やめて!」
「貰うの? 貰わないのか?」
「くすぐったい、むり、無理。耳とか息吹きかけないで! 貰えばいいのか? それで、お前の願いは叶うの? それでいいの? もう無理!やめてくれ!!!」
「返事は?」
意地悪なほどしつこい指先が一番弱い脇腹に伸びた時、もう降参とばかりに紬は叫んだ。
「わ、わかった!!! ボタン貰うぐらい、なんてことない! もらう、貰うけど……」
涙目で真っ赤になった顔を上げたら、にやっとちょっと悪げに微笑んだ陽仁の顔がぱっと近づき、口元に生暖かく柔らかいものが一瞬触れて、すぐ離れた。
「今叶った」
終
🌸 ~ おまけ ~ 🌸
紬 「よくも俺のファーストキスを予告もなく奪ったな!!!」
陽仁「安心しろ。お前のファーストキスは中一の時、すでにこの部屋で寝ている間に終えてる。相手は俺だ」
紬 「とんでもねぇ!!! ケダモノ!!!」
陽仁「自分のことが好きな男の部屋で爆睡かますお前が悪いだろ」
紬 「キ、キスはまあいい」
陽仁(いいのか? 押せばいけるな。流石チョロ紬)
紬 「いいか! ボタン貰ったからって、即、付き合うってことにはならない! ……んだぞ!」
陽仁「なるね」
紬 「?? ならないだろ? だったら手塚さんと俺だって付き合うってことじゃん?!」
陽仁「それは無理。なら俺が手塚さんからお前のボタン回収してくる。紬は俺のだから、ボタンも俺のものだって。今日、駅前のファミレスにみんないるんだろ? 彩夏お迎えにいったらその足でファミレスいって返してもらってくる。アレ、俺のだって」
紬 「お、横暴だ……。さっきまであんなにしおらしかったくせに!! 小さい頃の横暴陽仁に戻ったな」
陽仁「なんとでもいえ。でも小さい頃から、こういう俺でも、お前一番俺のことが好きだっただろ?」
紬 「そりゃ一番仲がいいから。気もあうし、友達だから、友達」
陽仁「まあいってろって。これからは友達兼幼馴染兼、恋人なんだよ。お前は面倒を見てくれるような相手があってるんだって。マイペース甘えん坊一人っ子」
紬 「一人っ子を甘えん坊とかマイペースとか型にはめるの、よくないぞ」
陽仁「高校入ってからも頭痛くなるたびに、でろでろにお前のこと甘やかして、俺なしじゃいられなくしてやるから、覚悟しとけよ」
紬 「覚悟って……」
続く…… か?(笑)
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