上 下
90 / 99
第二部 

16

しおりを挟む
 またいつ兎の姿に戻るとも分からないし時間の問題だ。幸い卯乃のスマホはダイニングのテーブルの上に置いてあった。それを掴んで中身を確認すると、電源がもう10パーセントを切っていた。

 慌てて通話アプリを確認すると、やはりおびただしい数の深森からの着信が残っていたが、ブロックや削除はされていなくて胸を撫ぜおろした。

(深森、沢山連絡くれてる)

 すぐに連絡をしたかったが、何しろ電源が落ちては元も子もない。
 このまま兄と一緒にいて、またさっきみたいなことになったら大好きな兄の事を嫌いになってしまうかもしれない。それはどうしても避けたい。

(兄さんの気持ちには応えられないよ。ここから出ないと)

 卯乃はタクシーアプリを開いて位置情報を確認する。すぐに迎車ボタンを押した。幸い10分以内にここに到着するようだ。

(門限ぎりぎりかもだけど、深森の寮まで飛ばしてもらって、顔を見て話したい。その後の事は後から考えよう)

 部屋に戻ってクローゼットを開けたら、中からいくつもの風船が飛び出してきた。

(わあ、兄さん!)

 上に上がらず固定されていた風船の一つを手に取ったらそこには『卯乃、成人おめでとう』とあった。
 卯乃が好みそうなカジュアルな服から、ちょっと大人びたジャケットまで。好きなブランドの秋冬服、コートまでかけてある。卯乃は切なげな顔で沢山の真新しい上着を手に取れば、揺れた服の間からサシェからフローラルブーケの甘い花の香りが漂ってきた。小物や下着の類まで几帳面な兄らしく別のケースに綺麗に並んでいる。
 
 このクローゼットの中にも、部屋の繊細なインテリアにも、兄の卯乃への愛情がぱんぱんに詰まっている。

(もしかしたら……。帰国日を教えなかったのも、ここをサプライズで見せたかったからなのかもな。兄さんってよくオレの誕生日にサプライズで色々してくれたもの)

 卯乃はきゅっと唇を嚙み締めた。小さい頃家に帰ったら兄と姉が風船や画用紙で部屋を飾りつけして誕生日のお祝いをしてくれた。懐かしい温かい思い出だ。胸をかき乱され、ふらりと身体が揺れたのをクローゼットの端を掴んで懸命に耐えた。
 
 袖を通すのが申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、靴下や下着、シャツにパーカー、パンツと、迷ったがミルクティーベージュに赤いチェックのダッフルコートも羽織った。
 ふわりと暖かく軽い着心地で、上質のコートだ。ポケットにスマホをいれる。涙が滲んでしまった。だがぼんやりもしていられない。兄に見つかったら体調を理由にここに閉じ込められてしまうかもしれない。卯乃は意を決した。

 どきどきしながら足早にリビングを抜け、玄関にいったらちゃんとお揃いのスニーカーが並んでおいてあった。小ぶりな方に足を入れて、卯乃は家の中に向き直ると頭をぐっと下げた。

(ごめんね。兄さん)

 扉をそっと開けて、できるだけ早足で歩く。ちょっと早く歩いただけで息が上がって身体が熱くなった。

(タクシーの中で兎の姿になったらまずいから、深森の連絡先を運転手さんに教えておかないとだよね)

 エレベーターのボタンを押すと、遅い時間だからかすぐに到着してくれた。兄が後ろから追いかけてきていないか確認して、エレベーターに乗り込む。
 身体が熱い。背中をずるずるっと壁につけてふうふうっと息を吐く。

 スマホを取り出して今では深森のアイコンになっているニャニャモの写真を指でなぞった。外に出たらタクシーを待ちながら深森と通話をするつもりでいた。
 一階についてホテルのロビーのように立派なエントランスを抜けると卯乃は通話ボタンを即タップした。

『卯乃か?』

 深森は即、通話に出てくれた。だが卯乃は声が出ないのだった。慌てて通話を切って、メッセージを打ち込む前に、深森からまた通話が掛かってきてしまった。
 顔をあげてきょろきょろ周りを見渡したら、タクシーが静かに道路の方に止まっていた。
 卯乃は震える携帯電話を握りしめたまま、タクシーの元まで駆け出していく。足がもつれて転びそうになって、なんとか開いたタクシーの扉の中に滑り込もうとしたその時。

「卯乃!」

 最初は幻聴でも聞いたのかと思った。するともう一度「卯乃!」と静かな夜に響き渡るような精悍な声が聞こえた。シートについた手に力を込めて頑張ってまた外に出て立った途端、後ろから脚が浮くほどの勢いで抱きしめられた。匂い、気配、抱きしめる腕の強さを感じて涙がぶわっと浮かんでしまう。
 卯野には振り返らずとも相手であるか分かっていた。嬉しくて、切なくて、涙が止まらない。

「卯乃、良かった……。無事だったか」

 まるで今生の別れから再び巡り合った恋人同士のように。深森の腕はぎゅうぎゅうと力強く卯乃を捕まえて離さない。

(どうしてここに?)

 
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

宝珠の神子は優しい狼とスローライフを送りたい

緑虫
BL
事故で両親と愛犬を失った陽太。 アルバイトを掛け持ちして、ギリギリの生活を送っていた。 ある日、深夜バイトの帰り道、交通事故に巻き込まれてしまう。気が付けば真っ白な空間にいて、勝手に人の性格を「単細胞」と評する謎の声に、宝珠を体内に埋め込むので異世界で頑張って長生きしてほしいと頼まれてしまった。 落ちた先は、見知らぬ世界。 深い森にひとり住む喋る大狼のグイードに拾われた陽太は、持ち前の明るさと単細胞な性格のお陰もあって、一見キツイけど実は優しいグイードとのワイルドなもふもふ付きスローライフを満喫し始める。 グイードとの会話から、自分が「宝珠の神子」と呼ばれる百年に一度降臨する神の使いだと知る。 神子はこの世界の獣と番い子供を作る存在と聞いた陽太は、 「やだ! グイードといる!」 と獣王が住む帝都に行けというグイードの提案を拒否。 この先も共にいたいと伝えると、グイードも渋々だけど嬉しそうに受け入れてくれた。 だが、突如平和は破られる。 突然現れた仮面姿の獅子獣人に拉致された陽太。 気付けば獣国の帝都にある獣王城にいて――? 孤独な狼x単細胞な神子のもふもふファンタジーBL、ハピエン。 11万字完結作です。 【BL大賞参戦中】 【ムーンライトノベルズさんにも投稿してます】

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます

ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜 名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。 愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に… 「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」 美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。 🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶 応援していただいたみなさまのおかげです。 本当にありがとうございました!

処理中です...