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春遠い、バレンタイン

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「ごめん、今日。用事があって急いでるんだよね。後でDMして」
「そっか、ごめん」

 岸が怯んで一歩下がると、今度は彼女の背後にいた何人かの女生徒が小柄な女性との肩を掴んだり腕を持ったりして何かささやきあっているのが見えた。
 真ん中の腕を掴まれている子は顔を真っ赤にしているし、周りの子も小さな声で『どうする?』『私家わかるよ』とか言っているのが耳に入ってくる。

(内緒話なら静かにやってくれよ……。こんな人数で家に来られても迷惑だしな)

 もちろん話がまとまるまで待ってあげる義理もない。和哉はさっさと下駄箱まで駆け下りると、スポーツメーカーの部活用にも使っている黒い鞄を肩に担ぎ上げて家まで駆け足で帰っていった。

 和哉たちの家は学区の端の方にあるから、本気で走れば誰も追いついてこられないはずなのだ。案の定後ろから追ってくるものはいない。

 家の門を越えたらすぐに鞄をその辺に放り出して、和哉は自宅の銀色のポストを開いて中身を確認する。

 幸い何も入っていなかったが、今度は鍵をガチャつかせて靴をそろえる手もおざなりに二階の部屋まで駆け上がった。
 中学はスマホの持ち込み禁止のため、意外と真面目な生徒である和哉はしっかりそれを守っている。机の上で充電ケーブルが刺さったままのスマホを手にすると、さっそく兄にメッセージを送ったが、返信が来ない。

(高校も入試期間に入ってるから、柚にいの帰りも早いはずなのに、まだ帰ってない)

 中学は給食ありの日程だったが、高校はそれもないはず。だとしたらバスケ部の友人たちとファーストフードにでも寄っているのかもしれない。
 こんな時、兄の居所がすぐに分かればいいのにと和哉は気が気ではなくなった。

 かといって闇雲に兄を探すに行くわけにもいかず、和哉はいつでも外に出られるように私服に着替えると、『ヘッドホン』をし、チョコレートを届けに来た生徒が現れても徹底的に無視をすることを決めこむと、テスト勉強をし始めたのだった。

 一度没頭すれば耳元で流していた音すら聞こえなくなるのは和哉の集中力の凄みだが、その時はちょっと裏目に出てしまった。

「おい! 和哉!」
 
 兄の声がしたかと思えば、頭に着けていたヘッドホンを乱暴に奪われ、その上肩を掴まれて、がくんがくんと心臓ごと揺さぶられてしまった。

「なんだよ! 急に」

 思春期で何かにつけてかりかりときやすい。なんの身構えも無かった今、いくら大好きな兄の所業とはいえ流石に頬がかあっと熱くなるほど大きな声を出してしまった。

「インターフォン鳴らしたのに出てこないから呼びに来たんだよ。下にお客さん来てるぞ? 女の子の!」

 黒とも見まごう濃紺のブレザー姿の兄はにこにこと邪気のない笑みをうかべている。
嫌な予感がしたがなんとか表情と心を落ち着かせながら、何気なく兄の手元に目をやれば、案の定青色のラッピングが覗く紙袋を手にしているのが見えて堪らず顔を強張らせた。

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