仔犬のキス 狼の口付け ~遅発性オメガは義弟に執心される~

天埜鳩愛

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 現れたのが、死を食らう者フレースヴェルグで良かったのかもしれない。あれは生者にはほとんど興味を示さないと禁書には書かれていた。
 現に、生きているわたくしたちは、存在は分かっているのか、ぎょろりとこちらを一瞥しだけで、すぐにトーンカッソスが倒した魔物に向かった。

 トーンカッソスが先ほど倒した魔物の数は100に満たない。凄まじい勢いで死を飲み込んでいるフレースヴェルグが、を食らった後、そのまま魔の森の奥に戻る事を祈った。

「フレースヴェルグが、ごはんを食べた後、どう動くかわからないわね……。どこまで通用するかわからないけれど、念のため、不可侵領域インバイオラブルエリアを展開するわ」
「お嬢様、ただでさえ私たちの体に、物理と魔法に両方に対する防御結界を貼られておられるのに、エリア全体を覆う絶対防御壁など……。魔力の消耗が激しすぎます」
「そうですよ。あまりにも魔力を使い過ぎれば命にかかわります。それに、あいつが外に出ようとすれば、人間が創り出した防御など、やわらかいゼリーのようなもの。ここは逃げる事に集中してください」
「……いいえ。フレースヴェルグが、このまま大人しく魔の森にいてくれればいいけれど、それはわからない。である以上、アレを絶対に魔の森から出してはいけないのよ。わたくしは、この地をお守りするキトグラムン様の妻となるのです。例え、無力でも、出来る全てでもってこの地を守らねば、彼や民たちに顔向けできません」

 わたくしが、フレースヴェルグから目を逸らさずにそう言うと、ふたりは口を噤んだ。ふたりとも、出来ればわたくしに、このような危険な地に留まるのではなく、今すぐ王都の安全な場所で守られていて欲しいのだろう。

 わたくしだって、気丈に振る舞ってはいるけれど、怖くないわけではない。だけど、ここで怖がって泣いているばかりの令嬢でいるようなか弱い女性なら、今頃、ここではなく実家で、悠々自適に遊んで暮らして……ではなく、婚約破棄された傷ついた令嬢として静かに暮らしていただろう。

 そんなの、わたくしらしくない。ヤーリ王子にも散々言われていたけれど、つくづく「かわいくない女」なのだ。でも、だからこそ、ふたりが共にいてくれるのだから、わたくしだって捨てたものではないと思っている。

(それにしても。なぜ、封印されていたはずのフレースヴェルグが、いきなりこんな所に現れたのかしら?)

 フレースヴェルグは、目を細めて嬉しそうに、数百年の空腹を満たすかのように倒れた魔物を体内に取り込んでいる。
 これほどの魔物の封印が破れていたのであれば、とっくにキトグラムン様が気づいているはず。まるで、目が覚めてすぐ、ここに大量のご馳走があると知り駆けつけたかのようだ。

(ひょっとして……。まさか……。でもそんな……)

 わたくしは、とある理由を思いついた。もしもその憶測が当たっているのであれば、わたくしたちがここに来た事が、呼び水になったのかもしれない。

 魔の森は、常に強い魔物が弱い魔物を、小さくとも知略に跳んだ魔物が大きくても愚かな魔物を倒している。それは、まるで不必要な存在を、魔の森自身が淘汰しているかのように。
 それでもこの地を脅かす魔物が増えれば、人々やこの地に生きる動物も危険にさらされる。キトグラムン様たちが、定期的に魔物を間引いているのはそのためだ。

 目覚めたばかりのフレースヴェルグにとって、いつもの魔の森の状態であれば、それほど食料はないはずだった。

 魔物を一体も食べていない状態であれば、いくらフレースヴェルグとて、それほど力がなかっただろう。とはいえ、わたくしたちでは太刀打ちできないほどの圧倒的強さを見せていたが。

 目の前で、飢餓感を埋めるかのように魔物を一体食べる毎にどんどん強くなっていくのがわかる。

 初めてその存在を認知してから、まだ10分程度しか経過していない。だというのに、フレースヴェルグは、すでに魔の森全体にその存在を知らしめているのか、あれほど騒がしかった魔の森がいつの間にかシーンと静まり返っていた。物音と言えば、フレースヴェルグが食事をしている耳障りな音がするのみ。

 その姿は、まさに魔物の中の魔物。魔と死を統べる者の名にふさわしい神のごとく存在に、わたくしは小さな子供のように心と体が震えていた。

(ショウロを採るために来たわたくしたちが、フレースヴェルグの御馳走を用意したのだわ……)

 もしも、わたくしたちが魔の森に侵入したのが今でなければ。
 もしも、ショウロを採りに来たとしても魔物を倒さなければ。
 もしも、いくら襲ってきた魔物を倒してもフレースヴェルグが目を覚ましていなければ。

(今さらね……。後悔してももう遅い……。せめて、ここに来る事をシュメージュに伝えていれば……。いいえ、そんな事をしていれば、もしかしたら、彼女もここに来ていたかもしれない)

 シュメージュは、生活魔法程度しか魔法を操れない。そもそも、戦いには無縁の女性なのだ。この場にいるだけで、フレースヴェルグが放つ威圧に押されて気を失うか、下手をすれば、瘴気に当てられ命の灯が消えていったかもしれない。
 一瞬、フレースヴェルグの鋭いかぎ爪で傷ついた彼女の姿が脳裏に浮かんだ。ぞっとして、その姿を追い払うように頭を振る。
 
(このままでは、朝食を終えたフレースヴェルグは、更なるご馳走を求めて、魔の森から出て皆を襲いに行くかもしれない。なんとか、封印は無理でも、一時的に足止めする方法はないかしら)

「せめて、封印されていた場所まで誘導できれば……」
「お嬢様、何を?」

 心を撃った最初の衝撃が徐々に和らぎ、わたくしだけでなくふたりにも思考する余裕が生まれたようだ。

「考えたのだけれど、フレースヴェルグの弱点となるなにかしらのアイテムが封印されていた場所にはあるのではないかしら? わたくしたちではこのままフレースヴェルグがどんどん力を蓄えるのを見ているだけ。運よくここから逃れられたとしても、アレがエネルギーをフルチャージしたら、一瞬で砦なんて吹き飛ぶのではないかしら」
「仰る通りでしょうけれど……。でも、どうやって?」
「それが思いつかないから困っているのよ。キトグラムン様は、魔の森にいる魔物なら、どれほど強大であっても、抑え込み倒す事が出来るのでしょう? なら、わたくしたちは、アレを魔の森にとどめておかなければいけないと思うのよ」
「ですが、お嬢様。それが辛うじて出来たとしても、辺境伯爵様に、この状況を知らせる術がありません。やはり、ここは、ヤツが少しでも離れた瞬間、転移魔法陣まで向かい救援を呼びにいくのが得策かと」
「……フレースヴェルグが、魔の森から出なければ、それが一番有効な方法かもしれないわ。でも……」

 悪い予感ほどよく当たるとは、一体、誰がいつ言いだしたのだろう。

 フレースヴェルグがここから移動すのは、魔の森の奥か、それとも、魔の森の外か。確率は50%だった。

 だが、この辺り一帯に散りばめられていた魔物を全て平らげたフレースヴェルグは、わたくしたちの願いを嘲笑うかのように、その嘴を、辺境の皆が住む砦に向けたのだった。




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