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可愛い弟
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あれは柚希が製菓の専門学校を卒業し、念願だったドーナツ屋に就職したばかりの年だった。
その日は柚希はどうしようもなく身体が非常に怠くて熱っぽく、今までにない虚脱感に苛まれていた。
日ごろの疲れが出たのだろうと家族は柚希をそっと寝かせておいてくれたから、目が覚めたら身体中ぐっしょりと汗をかいていて、息苦しさすら感じた。
仕事が忙しく季節の変わり目に珍しく体調を崩したと、そんな風に考えた。その日は平日だが柚希は休みのシフトだったから、四人で暮らすと決めた時に敦哉が買った中古の戸建の二階にある自室で大人しく横になっていた。
元々は非常に身体が丈夫な柚希が寝込むこと自体が珍しいことだった。部活で鍛えた身体は現役を退いても弟と筋トレを欠かしたことがなかったし、職場へもロードバイクで通勤をしていたから、体力には自信があった。
だから久々の体調不良に弱気になってしまった。
『インフルエンザだとやばい、病院かかりたいけど怠い』
そんな風にスマホで家族に連絡をしたら、家族はこぞって心配した。たまたま父の敦哉が早く帰宅をしてきて、必要ならば病院に付き添おうと様子を見に来てくれた。
保険の外交の仕事をしている母は一度帰宅後、顧客に喫茶店に呼び出されていたため帰宅が遅れると、事前に父に連絡を取ってくれていたからだ。
それがΩの発情だといったい誰が気が付けたのだろうか。
二十歳過ぎての遅発情になる者は少なく、大抵はバース検査を行うのと同じく17歳程度で何かしらの発現がある。
Ωは男女ともに華奢でほっそりとしたものが多いらしいが、その点柚希は見た目は線は些か細いが、すらっと背丈もある体型でバスケ部出身。彼女持ちで、しなやかな肉体を持つ凛々しい青年だった。
今までβとして生活してきたし、Ωとしての兆候を感じたことは柚希自身なかったのだ。
父は柚希の好物のケーキを沢山お土産にして部屋を訪れた。
甘いものが好きな和哉のことだから、美味しいものでも食べればすぐに元気を取り戻すだろうと、小さな我が子にするような愛情をこめて。
「柚希! 大丈夫かい?」
穏やかな声で名前を呼ばれて心の底から慕っている父が部屋に入ってきた時も、柚希は熱っぽい身体を推して大丈夫だからと笑いかけたかもしれない。
そこからの記憶はあいまいだ。
抑制剤を未使用の柚希から漏れた濃いΩフェロモンに充てられ、父が見たこともないような怖ろしい形相をして柚希にのしかかってきたのだ。
普通に生活をしていて抑制剤未使用の番を持たぬΩに出会う可能性はそう多くない。
そのため父は日頃からパートナーのいるαの服用する程度の低用量の抑制剤しか使用していなかったのだ。
父に飛び掛かられ、パジャマ代わりのTシャツやジャージを引き裂かれる勢いで無理やり脱がされた。
混濁した記憶を辿ると気がついたら部活から帰ってきた弟が大好きな父親に泣きじゃくりながら殴り掛かって、馬乗りになっていた。
二人の傍に落ちていたぐしゃぐしゃにつぶれたケーキの箱のことだけ妙に頭の隅に残っていた。
全てが悪夢のとしか言えず、委細を無理に思い出そうとすると震えが止まらなくなる。
せっかく繋がった家族の絆はあのとき柚希のせいで断ち切られ、何とか形作られた新たな家族はまるで砂でできたお城のように、再びばらばらに崩れさったのだ。
久々に思い出した悪しき記憶に柚希が煩悶しぶるぶると握りしめた掌を震わせたから、和哉は自分自身の強い意志を伝えようと掌の中の兄の拳を握る。
「あれは兄さんのせいじゃない。純粋な事故だ」
「いや、俺のせいだろ……。母さんがいるのに、Ωの身体が父さんを誘惑した。勝手に……、この身体がさ! 万が一のことを考えたらαの父さんとは同じ屋根の下で今まで通りに暮らせない……。そんなの、当たり前だろ?」
手を引っ込めようとしたが、和哉は強い力でそれを許さず逆に引き戻してきた。まるで無理やりにでも家族に戻ってこさせようとするかのような仕草に柚希は涙が零れそうになる。
(和哉は俺たち家族の希望、……俺の全てだ。和哉にまで負担をかけて送迎までさせて……。やっぱり発情期のたびにこんなこと繰り返していいはずがない)
そして晶との関係も中途半端なままなのも心に影を差す。
(番になりたい相手っていうのはもっと……。この人になら自分の全てを作り替えられても構わない、そうされたいって願うような強い恋愛感情がないと駄目なんじゃないか。学生時代の友情と変わらないような……。そんな程度の愛情で晶の番になったとして、いつか晶が他にもっと、どうしても番にしたいっていう相手ができた時、俺は邪魔になってしまうんじゃないのか?)
だがそう考えること自体がすでに裏切り行為で、こんな全てにおいて中途半端などっちつかずの心でいる柚希を愛してくれる、晶のその思いに報いるべきではないのか? 例え晶に他にも番ができたとしたって、二人の間にきっと友情は残るだろうから。
(そんなの詭弁だ。Ωとαの間にそんな生易しい関係。残るはずない)
燃え盛る溶鉱炉に叩きとされたように身を焦がし、ただαの精を強請ることだけに頭の中が占められていて、悶え苦しむ母の姿。
そしてあの日の自分の姿.......。
水面に浮かぶ木の葉よりもくるくると柚希の心は揺れ動き、寄る辺を失っていた。
その日は柚希はどうしようもなく身体が非常に怠くて熱っぽく、今までにない虚脱感に苛まれていた。
日ごろの疲れが出たのだろうと家族は柚希をそっと寝かせておいてくれたから、目が覚めたら身体中ぐっしょりと汗をかいていて、息苦しさすら感じた。
仕事が忙しく季節の変わり目に珍しく体調を崩したと、そんな風に考えた。その日は平日だが柚希は休みのシフトだったから、四人で暮らすと決めた時に敦哉が買った中古の戸建の二階にある自室で大人しく横になっていた。
元々は非常に身体が丈夫な柚希が寝込むこと自体が珍しいことだった。部活で鍛えた身体は現役を退いても弟と筋トレを欠かしたことがなかったし、職場へもロードバイクで通勤をしていたから、体力には自信があった。
だから久々の体調不良に弱気になってしまった。
『インフルエンザだとやばい、病院かかりたいけど怠い』
そんな風にスマホで家族に連絡をしたら、家族はこぞって心配した。たまたま父の敦哉が早く帰宅をしてきて、必要ならば病院に付き添おうと様子を見に来てくれた。
保険の外交の仕事をしている母は一度帰宅後、顧客に喫茶店に呼び出されていたため帰宅が遅れると、事前に父に連絡を取ってくれていたからだ。
それがΩの発情だといったい誰が気が付けたのだろうか。
二十歳過ぎての遅発情になる者は少なく、大抵はバース検査を行うのと同じく17歳程度で何かしらの発現がある。
Ωは男女ともに華奢でほっそりとしたものが多いらしいが、その点柚希は見た目は線は些か細いが、すらっと背丈もある体型でバスケ部出身。彼女持ちで、しなやかな肉体を持つ凛々しい青年だった。
今までβとして生活してきたし、Ωとしての兆候を感じたことは柚希自身なかったのだ。
父は柚希の好物のケーキを沢山お土産にして部屋を訪れた。
甘いものが好きな和哉のことだから、美味しいものでも食べればすぐに元気を取り戻すだろうと、小さな我が子にするような愛情をこめて。
「柚希! 大丈夫かい?」
穏やかな声で名前を呼ばれて心の底から慕っている父が部屋に入ってきた時も、柚希は熱っぽい身体を推して大丈夫だからと笑いかけたかもしれない。
そこからの記憶はあいまいだ。
抑制剤を未使用の柚希から漏れた濃いΩフェロモンに充てられ、父が見たこともないような怖ろしい形相をして柚希にのしかかってきたのだ。
普通に生活をしていて抑制剤未使用の番を持たぬΩに出会う可能性はそう多くない。
そのため父は日頃からパートナーのいるαの服用する程度の低用量の抑制剤しか使用していなかったのだ。
父に飛び掛かられ、パジャマ代わりのTシャツやジャージを引き裂かれる勢いで無理やり脱がされた。
混濁した記憶を辿ると気がついたら部活から帰ってきた弟が大好きな父親に泣きじゃくりながら殴り掛かって、馬乗りになっていた。
二人の傍に落ちていたぐしゃぐしゃにつぶれたケーキの箱のことだけ妙に頭の隅に残っていた。
全てが悪夢のとしか言えず、委細を無理に思い出そうとすると震えが止まらなくなる。
せっかく繋がった家族の絆はあのとき柚希のせいで断ち切られ、何とか形作られた新たな家族はまるで砂でできたお城のように、再びばらばらに崩れさったのだ。
久々に思い出した悪しき記憶に柚希が煩悶しぶるぶると握りしめた掌を震わせたから、和哉は自分自身の強い意志を伝えようと掌の中の兄の拳を握る。
「あれは兄さんのせいじゃない。純粋な事故だ」
「いや、俺のせいだろ……。母さんがいるのに、Ωの身体が父さんを誘惑した。勝手に……、この身体がさ! 万が一のことを考えたらαの父さんとは同じ屋根の下で今まで通りに暮らせない……。そんなの、当たり前だろ?」
手を引っ込めようとしたが、和哉は強い力でそれを許さず逆に引き戻してきた。まるで無理やりにでも家族に戻ってこさせようとするかのような仕草に柚希は涙が零れそうになる。
(和哉は俺たち家族の希望、……俺の全てだ。和哉にまで負担をかけて送迎までさせて……。やっぱり発情期のたびにこんなこと繰り返していいはずがない)
そして晶との関係も中途半端なままなのも心に影を差す。
(番になりたい相手っていうのはもっと……。この人になら自分の全てを作り替えられても構わない、そうされたいって願うような強い恋愛感情がないと駄目なんじゃないか。学生時代の友情と変わらないような……。そんな程度の愛情で晶の番になったとして、いつか晶が他にもっと、どうしても番にしたいっていう相手ができた時、俺は邪魔になってしまうんじゃないのか?)
だがそう考えること自体がすでに裏切り行為で、こんな全てにおいて中途半端などっちつかずの心でいる柚希を愛してくれる、晶のその思いに報いるべきではないのか? 例え晶に他にも番ができたとしたって、二人の間にきっと友情は残るだろうから。
(そんなの詭弁だ。Ωとαの間にそんな生易しい関係。残るはずない)
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