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逃避

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 10月の半ば。平日の昼日中。
 本来ならば柚希も勤め先のドーナツ店で製造チームの仲間たちと共に忙しく作業している時間帯だろう。今の時期はハロウィンの特別メニューの製作に大忙しだ。

 日頃お仕事大好きな柚希であるが残念ながらその姿は今、厨房にはない。昨日の午後に昨日発情前の兆候の1つである、微熱と倦怠感に見舞われ早退したからからだ。
 前回の発情期は激烈に忙しいお中元シーズンにぶち当たったが、今回もイベント前の忙しい時期に製造チームのシフトに大きな穴を開けてしまった。
 柚希としては皆にとても顔向けできない気持ちでいっぱいだったが、皆には「気にするな」と見送られた。
 日頃女性の多い職場で力仕事から彼女らの人間関係の悩みの相談まで請け負う、緩衝材的存在で皆の絶大な信頼を勝ち得ているのが功を奏している。
(復帰したらめちゃめちゃ働くから、みんなごめん! それにしても……。うう、抑制剤飲んでても、怠すぎ……)

 一人暮らしをする時に慌てて買った量販店のぺらっぺらの掛け布団にくるまったまま、柚希は怠さと熱っぽさに呻いて何とか窓側に向け寝返りを打つ。柚希は身体が丈夫なのが取り柄で生きてきたから病み着くのに慣れていない。なんだか物寂しい気持ちに襲われた。
 実家を出てからはや数年。大好きな家族と離れての生活はこんな時、心細さが付きまとう。
 しかしそんなことを職場でぼやこうものなら、決まって職場の皆に無邪気にこう言われて羨ましがられる。

 『一ノ瀬くん、あんなに素敵なαのスパダリ彼氏がいるんだから早く番になればいいのに』と。
 
 この三ヶ月、その自分には勿体ないような恋人から『次の発情期では必ず番おうな』と熱心に口説かれていた。にも関わらず、この度も柚希ゆずきは逃げようとしているのだ。

(晶にバレたら……。流石にもう次はないだろうな)

「はぁ」

 今度こそ別れを切り出されてしまうかもしれない。自分が悪い癖に溜息をついてしまい、苦笑した。
 しかし柚希は番になる踏ん切りがまだつかないのだ。

(そろそろ……。ホテルにチェックインできる時間、だよな? 抑制剤が切れる前に移動しないと……。それにしてもカズ、遅いな)

 今大学の講義に出ている弟の和哉かずやが、車でこちらに向かってくれている。そのまま柚希をシェルターホテルに送ってくれる約束をしているのだ。
 昨日は晶からのスマホの着歴に返信をしなかったから、こうしている間にも異変に気づかれるかもしれない。平日の昼間、晶は仕事中であるとは分かっているが、早くシェルターホテルに移動せねばと不安が募るのだ。
『兄さん、僕が迎えに行くまで絶対にふらふら外に出るなよ?!  発情直前のΩはぼーっとしてて本当に危ないんだからな!』
 なんて昨晩も今朝方も、しつこく和哉に言い渡されたところだ。

(あいつ最近口うるささが母さんそっくりになってきたな……。言われなくてももう、ここまで発情が進んだら一人で出歩くの無理……)

 血の繋がりはないはずなのに、和哉と柚希の母は世話焼きなところがよく似ている。昔は柚希が三つ年下の和哉の世話を焼くのが楽しくてしょうがなかったのに、今ではすっかり立場が逆転している。
 この世で一番大切で大好きな家族の顔を一人ひとり順に思い浮かべたら、全身を押さえつけられているような重苦しさが少し和らいだ気がした。
    
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