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第九章 心乱れる10月
《no side》
しおりを挟む燈弥が湊都から手を離すと湊都はもどかしそうに熱い息を吐き、モゾモゾと下半身を揺らす。
「....さて、どうしましょう」
今にも下半身に手を伸ばしそうな湊都の姿に燈弥も冷静さを取り戻す。
「はぁっ、フェロモンが充満していた娯楽室から脱出したというのに――」
「『どうしてこうも身体が疼くのか?』って?」
「っ!?」
湊都と燈弥。2人しか居ないはずの廊下に聞こえるはずのない楽しそうな声が落ちる。
顔を上げればすぐ近い距離にツギハギ面がニタニタと癪に障る笑みを浮かべ佇んでいた。
「どうしてβである萩野君がここにいるのですか」
「あっは~、それイッチーが言う?」
返された言葉に詰まる。燈弥もβで、本来この寮にいるはずのない人間であるため''確かに''と思ってしまったのだ。
「うーん、彼弱ってるねぇ」
「近づかないでください!」
覗き込むように身体を屈める萩野 メイルに燈弥は魂写棒を向け牽制する。しかし、メイルはなんてことないように「あ~....これもっと酷くなるよ」と知ったふうに口を開いた。
「....どういことですか?君は何を知っているのですか?いえ、まずどうしてここに居るのか――」
「ストップ、ストーップ!イッチー珍しく余裕ないねぇ。まず俺がここにいるのは校舎から抜け出したから。ほら、獣耳と首輪つけてないでしょ」
「確かにつけてないですね」
「でしょでしょー。んで、どうしてそこの彼の症状がもっと酷くなるかっていうと....俺知ってるんだよね~。彼が打たれた薬」
燈弥はメイルの言葉に瞳を細め、殺気を漂わせる。だがメイルは怯える様子もなく、焦る様子もなく、面白そうに笑みを浮かべ続けた。
「EA-167って薬で、時間が経つにつれて発情期を促し、衝動を強める劇薬なんだぁ。αとΩを一緒にすればそれこそ番になるのが不可避なほどの効果~」
「君がその情報を何故知っているのかについては....ひとまず置いときます。聞きたいのは───」
「それで」
言葉を続けようとすればメイルが距離を詰めてきた。喑緑色の短髪が揺れ、明るい黄緑色の瞳が迫り――そして閉じられる。
チュ....
音を立て離れる唇に燈弥は呆然と視線を送る。
そして遠くなる情欲を滲ませたツギハギの顔に保っていた最後の糸が切れ、カクンと膝の力が抜けたように崩れ落ちた。
「それで、イッチーに注入されたのはSI-55っていう時間が経つにつれて耐え難い性的衝動をもたらす悪辣な劇毒」
おかしいと思っていた。充満するフェロモンから逃げてきたというのに、身体をじくじくと蝕む熱が冷めないことに。
火照る身体にだんだんと思考が散漫になる。
「イッチー上に目をつけられたねぇ。うーん、本当は今ここで据え膳食いたいんだけど....そういうつもりできたわけじゃないし.....ま、イッチーとにゃんにゃんするのはまたの機会でいっか」
メイルは燈弥に目線を合わせるようしゃがみ込むと、ポケットから小瓶を2つ取り出した。
「ここに発情抑制剤と解毒剤がありまーす。イッチーには特別にタダであげるよ!」
手の平に転がる2つの小瓶。燈弥はメイルがどうしてそんなものを持っているのか、どうしてそれらを自分にくれるのか.....考えなければならなことに蓋をし、この身を蝕む''欲''から解放されたい一心で手を伸ばした。
だが伸ばした手は空を切る。
「欲張りはいけないよぉ。俺がイッチーにあげるのはどっちか1つ。────さぁ選んで?抑制剤か、解毒剤か」
ニタニタと
男は嗤う
嘲笑うように
バカにするように
だが燈弥は腹を立てることもなく、ぼんやりする頭で選んだ。
もはや役に立たない思考を捨て、直感で、心のままに選んだ。
「.....へぇ?そっちを選ぶんだぁ~」
メイルは笑みをそのままに、観察するような無感情な目で燈弥を見詰めた。
9階の廊下を悠然と歩む男がいた。カツン、カツン、カツン....と、熱に浮かされた様子のない、規則的な足取りの靴音が鳴り響く。
しかし、その音はある場所でピタリと止んだ。
そこには2人の生徒が座り込んでいる。
1人はブカブカのジャージに包まれ、息を荒らげる少年。
もう1人は耐えるように自身の体を抱きしめ俯いている青年。
男は廊下に転がる小瓶を手に取り、ラベルに目をやる。
「EI-167.....へぇ?意外だな」
小さく呟くと男は小瓶の蓋を外し、迷わず息を荒らげる少年――兎道 湊都の口に突っ込んだ。
カランカラン....
廊下に小瓶の転がる音が木霊する。
男は鼻歌を刻みながら小瓶をさらに遠くへ蹴飛ばすと、湊都を小脇に抱え立ち上がる。
「兎君をど、こへ....っ、連れていくのですか」
熱い吐息を零しながらよろよろと俯いていた青年――燈弥も立ち上がる。立っているのもやっとな姿。だが、メガネ越しの瞳は鋭さを失っていない。
「着いてこいよ。なんなら湊都と同じように抱き抱えてやろうか?」
「......」
拒絶の答えは無言とトゲトゲしい雰囲気から返ってきた。何がおかしいのか、男は声を出して笑うと目的地に向けて歩みを進め始めた。
燈弥は身を焼き尽くすほどの官能に耐えながらヨタヨタと後を着いていく。歩む度に身体に乗しかかる倦怠感と、肌と服の間で起こる些細な摩擦に身体がよろける。
ゾクゾクと身体を震わす甘い痺れに何度も立ち止まりそうになった。
「邪魔するぜぇ~」
そんな燈弥に見向きもせず男はカードキーをスライドし、無遠慮にドアを開けた。
「ここは....」
燈弥はその部屋が誰の部屋なのか知っている。
「委員長の――」
「そうそう緋賀の部屋だ。1階ですれ違った時にカードキーをパクってきた。んで、そのパクったカードキーと湊都を部屋に放る」
言葉通り。男は放るように湊都を玄関に、ついでとばかりにカードキーを投げ捨てた。
あまりの乱暴さに燈弥の眉間にシワが寄る。だが何かを言おうとしても、熱い吐息が溢れるだけで言葉は出てこなかった。
「これでマスターキーを持つ緋賀以外誰も入れねぇ。安心したか?」
男の背後でガチャンとオートロックがかかる。これで廊下に居るのは男と燈弥の二人きり。
「さァ、行くか」
伸ばされる手を前に燈弥はどうすることも出来なかった。
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