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第九章 心乱れる10月
《no side》
しおりを挟む悔しそうに顔を歪めた竜一は渋々左手を出す。
それを見た弥斗は小さく「いい子」と呟き、刀をその手に握らせた。
すると数秒後に氷は溶け、弥斗の手とシーツを濡らした。
「意地悪言うなよ.....」
「チビちゃんの自業自得だ。.....よいしょ」
「.....?」
ベッドから何故か立ち上がる弥斗に竜一は疑問符を浮かべるも、背を向けて立つその姿に警鐘がけたたましく脳内で鳴り響く。
''置いて行く気だ''
頭に浮かんだ言葉に体が動いた。
「わっ!......どうしたのチビちゃん」
「ふざけんな!!置いて行く気だろ!!俺をっ」
「あははははははははっ、よく分かったね」
みっともなく、それでいて無様だった。
竜一は人格者の名をかなぐり捨てて弥斗の腰に抱きついていた。
媚びるように、懇願するように、縋り付くように。
学園の生徒が見れば百年の恋が冷めるほどの姿。だが竜一にはなりふり構う余裕がなかった。弥斗は容赦なく自身を捨てていくと身をもって知っているから。
「チビちゃん、原因はなんだと思う?」
「は、?」
逃げる素振りがなかった。しがみつかれているというのに弥斗は余裕さえ感じる姿で振り向き竜一に問うてきた。毒々しいと称されてもおかしくないほど邪悪で、それでいて美しい笑みを浮かべて。
しがみつく腕が緩む。
「どうしてこんな状況になっちゃったのかな?平時のチビちゃんなら僕を捕まえるのなんて簡単だったろうに」
「ぁ......」
竜一の胸を軽く押すとその身体は容易くベッドに転がった。ぎしりと音を立て弥斗が竜一に馬乗りになる。
「どうしてだと思う?」
背を丸め竜一の頬を包むように手で覆い、再度問う。近くなった神々しいまでの美貌に竜一は息をするのも忘れて魅入る。柳眉の下に収まる黒曜石如き瞳に吸い込まれそうだ。
「ど、う....して?――ん」
唇に口付けられる。弥斗の問に対する答えを考えようとするが、顔中に降るキスに頭は湯だったように何も考えられなくなる。
「ん、――っ!」
また唇にキスをされる。だが今度は触れるだけの親愛を示すようなものではなく、''性''を感じさせるような生々しいものだった。
唇を割って侵入してきた舌は上顎をなぞり、擦り合わせるように竜一の舌を絡めとる。ハッとしたように竜一がそれに応えようとすれば、今度は逃げるように弥斗の舌は口腔を荒らした。
じゅるじゅると唾液が行き交う音が室内に落ち、竜一は夢中になって弥斗の逃げる舌を追う。
既に竜一の興奮は最高潮に達しており、男根はスラックスを押し上げ、さらに濃い染みを作っていた。
「はっ、ん、....やと、やとっ....!」
足りない。刺激が足りない。弥斗が足りない。
本当は今すぐにでも弥斗の後孔に突っ込んで精を放ちたかった。でもそれを実行する力がない竜一には与えられる快楽に『もっと』と犬のように舌を差し出し媚びるしかない。
だが竜一は''待て''ができる質ではなかった。
あまりのもどかしさにスラックスに手を伸ばし、痛いほど張り詰めた男根を扱こうとした。
しかし、動かそうとした手は瞬時にシーツに縫い付けられ、叱られるようにちゅうっと舌先を吸われ腰が跳ねた。射精感に頭が爆発しそうだった。イきたくて、イきたくて仕方なかった。
竜一が限界に達したその時、弥斗がキスをやめ身体を起こす。糸を引いて離れた淫靡に濡れた唇に目が釘付けになった。そんな竜一を嘲笑うかのように夜を思わせる黒い瞳が三日月状に歪む。
────ゴリッ.....
「っ~~~~~~!!!」
瞼の裏で火花がほとばしった。思わず喉を反らし、足はシーツを蹴る。
下着に生暖かい感触が広がった。
荒い息を吐きながら竜一は陶然と天井を仰ぐ。
今までで感じたことのないほどの快楽だった。弥斗はただ騎乗位のように上に座り、張り詰めたそこを擦るように腰を揺らしただけなのに。
竜一は呆気なく吐精した。
「──あ、は......チビちゃん答えて」
視界が陰る。気づけば光を通さないほど深い黒が竜一を見ていた。
そう、竜一だけを見ている。
全てを飲み込むようなその瞳に見つめられるだけで安心する。自分は弥斗のものだと実感できるから。
だから素直に話せるのかもしれない。
少し明瞭になった頭で竜一は答えた。
「.......薬」
「正解。よく出来ました」
褒めるように頬を撫でられそれに擦り寄っていると、自身の頬を撫でていた手がなぞるように段々と首まで下がっていった。
「薬なんてものをやるから僕を逃がす羽目になるんだ。こんな夢か現か曖昧な妄想まで見て」
「妄想なんかじゃ――」
「都合が良すぎると思わない?薬をやっている時に望む存在が目の前に丁度現れ、そして自身に触れ、キスまでしてくれた。君が望む通りに。現実では都合のいいことなんて起こらない。それはチビちゃんが1番身をもって知ってるよね」
その言葉に悦に浸っていた気持ちは一瞬で恐怖に塗り変わる。
「チビちゃん....現実を見ようか。事実を受け入れようか。本当は気づいているでしょ?『弥斗』はこんなことしないって。聞かせてチビちゃん。チビちゃんから見た弥斗ってどういう人なの?」
「や、弥斗は――優しくて、俺を愛してくれて、俺とずっと一緒にいてくれて、俺の番で、俺の....俺の.....」
竜一の瞳から涙が溢れ出ていた。だが、本人はそれに気づいていないように弥斗について語る。
しかし''弥斗''は泣きながら弥斗について語ろうとする竜一の唇に人差し指を押し付け黙らせた。
「チビちゃん。チビちゃんが流すその涙が真実を物語っているよ。君の語る弥斗は君の願望でしかない。ああ、勿論それが『弥斗』だと言い張るならそれもいいよ。チビちゃんが本当にその『弥斗』を望むなら。でもそれなら....チビちゃんが涙を流すなんておかしいね」
自身を見下ろす黒い瞳を滲んだ視界で見つめる。
竜一だって本当はわかっていた。
弥斗は優しくないし、自身を愛していないし、ずっと一緒に居てはくれないし、ましてや番ですらない。
自分で言っていて虚しかった。だから身体は、心は涙を流した。嘘が付けないから。
「弥斗は....俺を家族として愛していた。だから決して一線を越えてこない」
涙が止まらない。自分の言ったことが示すのは竜一の心の支えを否定することだから。
つまり、今目の前にいる弥斗は幻だと、森で幼い竜一にキスをした弥斗は妄想だというのだ。
「.....じゃあ弥斗は死んでいるのか?」
震える声で目の前の幻に聞いた。あの日の温もりを否定するということはそういうことになる。
なら自分は生きる理由がない。
竜一は巨大な虚無感と絶望感に心が死んでいくのを他人事のように感じた。
「......それは違うよ」
滲んだ視界の向こう側、弥斗の表情が強ばっているような錯覚に陥る。すぐに歪む視界のせいだと思い直すが、しこりが心に残った。希望というしこりが。
「弥斗はカタラなんかにやられるほど間抜けな人間?」
「違うっ」
「そう、違う。なら弥斗は生きているよ。チビちゃんの知らないところで幸せに生活してる。だからチビちゃんは───」
「探す。弥斗を見つける....なんとしてもっ」
「.....あは、結局そこに戻るんだね。うん、もういいや。――チビちゃん、僕を探すなら尚更薬をやめないと。こんなものを使ってるチビちゃんに捕まるほど僕は愚かじゃないよ」
「ああ、やめる」
「そう....」
弥斗は嬉しそうに笑い、首に回していた手に力を込めた。
気管を潰され、途端に息が出来なくなった竜一。咄嗟に首を絞める手を掴むが、竜一は引き剥がそうとはせず、ただ掴む力を強めた。
「チビちゃん....目を覚ましたらちゃんと前を向こう。薬に依存しないで」
その言葉を最後に竜一の手は力なくベッドに沈んだ。
《side end》
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