悪役令息のトラウマで結婚できない私の話

十山

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事の顛末

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「おかえり、ラル」
「…ただいま。仕事は休みだったのか?」

 泊まり勤務明けのラルの帰宅に合わせて、エヴァンジェリンは具合が悪いと昼に早退してきていた。
 ラルと話すのは怖かったが、契約を守る気が無いのなら、ハッキリさせなくては。
 
「座って」
 ただならぬ雰囲気のエヴァンジェリンに、ラルは黙って従った。テーブルの上に、例の避妊薬を置く。

「勝手に見て悪かったけど、これ、何か調べたの。この薬、いつも飲んでいたの?」

 ラルは薬を見て察したようで、気まずげな顔をして頷いた。覚悟はしていても、心が重くなる。

「…飲んでいた」
「…最初から?」
「初めての時は飲んでいない。妊娠の可能性もあったから、契約を受けた…」

 やっぱりという気持ちと、裏切られたという事実に気持ちが冷えていく。動揺してはダメ…。冷静に、冷静に…。

「良かったわね。妊娠してなかったわ」

 淡々と告げると、ラルは傷ついたような、複雑な表情をしてエヴァから視線を逸した。
 その被害者のような表情に無性に腹が立つ。冷静に、と思っていても無理だった。
 ドンッ!机を思い切り、拳で叩く。

「ねえ?妊娠してないか確認するだけなら、その後に身体を重ねる必要も無かったし、契約する必要もないじゃない!!」
「…………」
「妊娠してもしてなくても責任を取らなくていいなんて、貴方にとっては都合がいい契約だった?契約を守らなくても、一時的な寝床も手に入るし、性欲も解消できるし?」
「………っ…」

 ラルは悲しいような苦しいような顔をしながら、何かを言いかけては黙ってしまう。

「………すまない」
「すまないって何?何で謝ってるの?許してほしいの?図々しい!!」

 やっとラルから出てきたのは謝罪の言葉。謝るということは、非を認めるって事?



 許せるわけないじゃない。


 よりによって、貴方を。


 言わないつもりだった。気付かない振りで別れるつもりだった。

「ねぇ、ラル…いいえ、ポラール様…?」

 声が震え、涙が溢れる。

 似た誰かだと、心のどこかで誤魔化して、けれど容姿が違っても、彼は彼でしか無かった。あの頃と変わらない、私にだけ向ける優しくて誠実な眼差し。豚みたいな見た目でも、過去の私は、その眼差しに愛しさを募らせて居た。ああ嫌だ、泣きたくないのに…。
 
「…!!!エヴァ、気付いて…!」

「気付かないと思った?また騙したの?!ああ、昔も今も、あなたは私を性欲のはけ口としか思ってないのよね?!」

 1度、口から出たら止まらない。次から次へと積年の恨みが口から出てくる。ラルは、ただただ哀しそうな苦しい顔をして聞いている。

「何か言いなさいよ!!謝るくらいなら、言い訳の一つも言ってみたら?!何か耳触りのいい言葉でも言ってみなさいよ!あの頃みたいに!」

 感情の赴くままに、また机をドンッと両手で叩くと、ラルが顔を上げた。椅子から立ち、エヴァに跪くように床に座って頭を下げる。

「エヴァ、すまない。すまない…性欲のはけ口だなんて思った事はない…でもエヴァにとってはそう思われる事をしていたんだよな…昔も、今も…弁明のしようもない…」
 正座した膝に置かれた拳は震えていた。

「…所詮、娼婦の娘だからと思っていたでしょう?私はあの頃、あの家でそう言われていたもの…」

 見上げる青い瞳に、自嘲気味に笑う。

「違う…!君の事をそんな風に思った事はない!エヴァンジェリンは俺の女神だ。あの頃も、今も、世界で一番美しいと思っている!俺は君が居たから生きていられたんだ…」
「嘘よ…!」

 絆されそうになりながら、長年のトラウマはそう簡単には拭えない。

「エヴァ、俺を許さなくていいが、信じてほしい。出自は関係なく、君は、君は今も以前も、美しく素晴らしい人だ。そんなに自分を卑下しないでくれ…」
「じゃあ何で?!私だって、気づかない振りで、子どもだけ授かれば別れるつもりだったのよ?それなのに、何でよ?卑しい私との子どもは欲しくなかったんでしょ?貴方は、私が出ていった後、弟の婚約者に手を出したんでしょ?貴族同士なら良かったんでしょ?」
 
「違う…!誰があんな女と!あの女とその家族は、クラリスを後継者にしたくて、俺を嵌めたんだ。あの女とは挨拶を交わすくらいだったのに、父上やクラリスに俺が色目を使ってくるだの嘘を吹き込んで…元々、嫌われていたから、俺の家に味方は居なかった」

 ラルが名前を呼びたくもなさそうな、心底嫌そうな顔をして必死に弁明する様に驚き、涙を拭う。

「本当…?」
「本当だ。だが、俺は弁明もしなかった。俺は後継者に相応しくなかったし、エヴァンジェリンが居ないのに後継者になっても意味がないと思った」
「私が居ないのにって何でよ?」
「後継者になって跡を継げば、誰にとやかく言われても、エヴァと結婚できると…今となっては、あのまま君が残っていたら、いずれ俺に愛想を尽かしていたんじゃないかと思うが…」

 あのまま、傲慢なお坊ちゃんだったら、あるいはそうかもそれない。皆に嫌われていたお坊ちゃんに気付いたら、どうなっていただろう。

「じゃあ何でそんなに私との子どもが嫌なの?」
 
 この数週間の甲斐甲斐しく世話を焼くラルからは、勘違いしてしまうほどの思慕を感じた。血統に拘っているわけでないなら、エヴァと子どもが出来ても問題無いんじゃないか。

「俺は、自分のような子どもを作りたくない…エヴァの望みを叶えられないのにまたエヴァと少しでも側に居たくて、契約を受けてしまった。また君を傷つけて…だから俺はダメなんだ…」
「自分のような子ども?」
「俺は、こんな風にバカだから、子どももバカになる…それはかわいそうだろ。だから、俺は子どもを持つつもりはないんだ…」
「バカ?確かに貴方のした事は愚かな事よ。けれど子どもまでそうなるとは限らないじゃない」

 屋敷に居た頃の傲慢で自信満々な貴族のお坊っちゃんだったポラールからは、自分がバカだと思っていたなんて想像がつかない。
 困惑するエヴァの顔を見つめる、青い瞳が困ったように揺れていた。

「俺の母は、読み書きが幼い子どもくらいしか出来なかった。美しく優しくて、俺は大好きだったが、使用人にもバカにされていた。バカにされていても、母は分からなかった。そういう人だった」

 ポラールの母は、エヴァの母が屋敷に雇われた頃には他界している。肖像画に残る彼女は美しく、とてもそんな風には見えなかった。

「俺も、次第に後継者教育についていけなくなった。何度、教えてもらっても、字が読めなくなっていく。母の姿を思い出して、自分も同じなんだと、いくら勉強してもわからないままだろうと…それで、癇癪を起こして周りを苛めて出来ない事を誤魔化していたんだ」

 そこにクラリス様が現れて、さぞ焦っただろうなと幼いポラールを慮る。
 それにしても信じられない話だ。商人になってから、貴族についても調べる事もあり、何となく元主人の家も調べていた。
 ポラールの母は、美しく流行の最先端に居たと聞いていた。屋敷にあった美術品も夫人が買い付けたもので、センスが良かった。夫人が買った頃は無名でも、大成した美術家も居たほどだ。
 ただ、その浪費癖が、夫との溝を深めたようで、私生児が出来るに至ったようだ。
 センスはあるが、字が読めず、計算が出来ず、浪費していることに気付かなかったのかもしれない…。

 確かに、元貴族の坊っちゃんが字が読めないとは思わず、ポラールだと気付いてからはそう装っているのかと思っていた。貴族だとバレたくないから。
 本当に読めなかったとは…
 しかし、ラルと一緒に暮らしてみても、何の不自由も感じなかった。字が読めずとも、何かを覚えたりするのは問題ないのではないだろうか…。
 平民の生活ではそこまで識字率が高くなく、エヴァンジェリンのように仕事に必要なければ、簡単な文字さえ分かれば何とかなる。
 字が読めないだけで、バカだとは思わないが…。

「そんな出来損ないなのに、あの頃は君を愛おしく思う気持ちと、目覚めたばかりの性欲ばかり強くて、何も知らない君にあんな事を…本当に俺は愚かだ…」

「…あの頃、よく愛してると言ってたわね。本当に私のこと、好きだった?」
「本当に好きだった…エヴァは、ただ1人だけ、俺の話を真剣に聞いてくれた。エヴァを想うと、心が綺麗になった気がした。幸せにしたかったのに…君の優しさにつけこんで、俺は…許されない事をした」

 あれが、愛でなくて何なのだと、裏切られた事を知った時には何もかもが信じられなくなった。内情を聞いた今、細かい事は置いておいて…。

「ねぇ、つまり、あなたは私のことを今も愛してるの?」
「エヴァ…許されないとわかっていても…そうだ…気持ち悪いよな…」

 エヴァンジェリンも床に膝をつき、俯くラルを抱き締めた。

「気持ち悪かったら、気付いた後も抱かれたりしないわ…」
「エヴァ…」

 身体を離すと、ラルの手を両手で握る。少女の頃、繋いだのは、弾力のある肉付きがいい手だった。
 今握る手は、カサついて、節くれだった大人の男の手。貴族のお坊ちゃんが、傭兵団に流れつき、そこで1人前に認められるまで、どんなにか苦労があっただろう。
 
 もし、二人ともあの屋敷に居たままだったら、娼婦の娘と無能な後継者。いずれは破綻していた関係だった。

 でも、今なら。
 今なら…?

「ラル、言って」

 己の罪の意識と葛藤しているであろう、苦しげな表情のラルの目から、一筋涙が溢れた。


「エヴァンジェリン、愛してる…」

「私も。ラルを愛してる」


 二人は、長い時を経て、ようやく、胸を張って、お互いを愛することを許していいのだと、契約は破棄にした。
 

 


 
 

 その後、結婚したいとラルをお母さんに紹介したら、初恋が実ったのねぇなんて感慨深げに言われ、二人でびっくりしたり。
 子を持つのは自然に任せていたら、数年後には子どもを2人授かり、識字率が低い平民の生活ではラルが心配するほどの事は無かったりするのだが。

 今は、想いが通じ合ったのは嘘じゃないと、二人でただ見つめい微笑み合う。


 あの頃、蔑まれていた私を、唯一、人間らしく居させてくれたのは貴方だけだった。そして、それは貴方もそうであったのだろう。
 不細工で、みっともなくて、悪役みたいな人だったのに、私にとっては唯一の人。


 これが、悪役令息みたいだった坊ちゃんと、私の事の顛末である。

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