とある屈強なる侯爵家の婚姻事情

十山

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3.三男ヨシュアの許婚

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 エラルド侯爵家には、4人の子どもが居る。

 1人目は、長男ディミトロフ、27歳。
 2人目は、長女エリアナ、24歳。
 3人目は、次男ギリアン、21歳。
 4人目は、三男ヨシュア、18歳。

 4人目のヨシュアは、侯爵家の中では華奢な体格をしている。といっても、18歳の今は、身長は182cmまで伸びたのだが、姉も190cmあるエラルド家の中では小さい方だ。兄姉たちはムキムキムチムチ体型、ヨシュアは体重が増え辛く、鍛えても盛り上がったような筋肉にはならない。それは屈強な一族の中でのコンプレックスであり、勉強を頑張ろうと思う理由でもあった。首都の学校に進学し、何とか優秀な成績を修め、卒業することが出来た。

 
「リリン姉さん、僕、学校卒業したよ。18歳になった」
「おう、おめでとう!つーかおかえりだな。今狩ったうさぎ、祝にやるよ」

「ありがと、兎はいらないから…あのね、僕と結婚してください!!」
「……………はぁ?!」

「僕と!結婚してください!!リリン姉さんが好きなんだ!結婚してください!!」
「ええええええ…いや、オレはギリアンの許嫁…」
「エラルド家なら誰でもいいはずでしょ?なら僕でもいいよね?」
「えええ…?」

 弟分の唐突な告白に、リリンは心底びっくりした。
 真っ赤に顔を染めて、花束を持って、上目遣いでリリンを見つめるヨシュアは、許婚の弟だ。
 タイロン帝国の辺境の地を護るエラルド家と、古くからこの地に住んでいる、蛮族であったヴァール族は同盟を結んでいる。同盟の約束のため、ヴァール族の族長の子と、エラルド家は代々婚姻を結ぶ事になっている。
 次男のギリアンと同じ歳のリリンは、産まれた時から暗黙の了解で許嫁だった。といっても、お互い男女としてあまり意識したことは無いのだが。
 歳や性別が合わないと次の代に見送られるので、リリンとギリアンは2代空いて久しぶりの婚姻となる。

 ヴァール族は、女も馬に乗り狩りをする。狩ったうさぎを持ったまま、リリンはポカンと口を開けていた。

 久しぶりに会ったと思ったら、何言ってるんだこいつは?

 心で突っ込みを入れながら、必死な顔のヨシュアを見て、リリンは笑ってしまった。鼻たれの頃から許婚のギリアンにくっついていた小さな弟。一人っ子のリリンは、許婚の弟を自分の弟のように思っていた。
 身体が小さくて儚げな見た目は、エラルド家の子どもたちとも、ヴァール族の子どもとも違っていた。泣き虫で、兄のギリアンによく泣かされて、リリンが慰めてやっていた。
 首都の学校に入り、ヨシュアは長期の休みも帰って来なかった。3年ぶりの再会だ。3年前は、そんな素振りも感じなかったのに。

 まさか、こんな事を考えて居たとは…

 腰まである長い黒髪を細かく三つ編みに編み込み、ヴァール族特有の小麦色の肌、大きくて目尻が少し釣り上がった黒い瞳。森での生活に必要な、筋肉質の靭やかな体つき。腹筋が割れていても、出るとこは出ている女らしい体つきではあるが、男勝りな性格のリリンは、正直言って、男に対する恋だの愛だのがよく分からない。

 首都の学校を卒業し、どうやら一番にリリンに会いに来たようだ。久しぶりに会ったヨシュアは、少しだけリリンより背が高かったが、相変わらず細い。たれ目で、ふわふわのくせ毛で、エラルド領地の多くの屈強な戦士や騎士たちと違う、絵に書いた貴公子のような見た目をしている。

 成長したんだな、としみじみと思う。

「ギリアン兄さんの事が好きなの?」
「うーん?好きが嫌いかと言えば好きな部類だな」
「部類」
「ああ。あいつと夫婦になるのは正直想像つかないが、まぁ何とかなるだろ」
「僕は?僕はどっちの部類?」
「まぁ、好きな部類だな」
「…そっか!ギリアン兄さんと同じくらいだね」
「ん?んん…そういうことになるか…?」
「じゃあ僕とも何とかなるよね!!!」
「お…おう…そうなる、な?」

 ぎゅっと握られた手は大きく、リリンよりもゴツゴツしていて指も長い。細いヨシュアとは似つかない、完全に男の手だ。何故か少しだけ、少しだけドキっとした。期待に満ちた黒目がちな瞳はキラキラと輝いて、勢いに押されて頷いてしまった。

 次の日には、リリンの許婚はヨシュアになっていた。エラルド家も、族長も、口約束のようなものだから、当人たちが良ければそれでいいという考えだ。

 ギリアンは大笑いしてあっさりと承諾し、じゃあ俺は好きにさせてもらうぞ、と旅に出てしまった。あいつはそういう奴だよ…リリンは友の旅立ちが少し羨ましい。
 暗黙のルールに縛られる自分には、結局のところギリアンでもヨシュアでも、選択肢が無いのは一緒なのだ。

「リリン姉さん、よろしく!親交を深めるために、これから毎日会いに来るね!」
「……あー…そ…」

 友達だったギリアンより、ヨシュアの期待に満ちた言動が少し重い。深く考えずに返事をしてしまった事を、後悔してももう遅い。

「あのな、ヨシュア」
「うん」
「まぁ、何だ。許婚になったからって、これまで通り変わらないよな?」
「…うん?」
「そんなに気を使うな。まだ婚姻しないんだし、気楽にいこうぜ。別にそんなに会いに来なくていいぞ。お互い、好きにやろう。オレも忙しいし、お前も忙しいだろ。ギリアンとだって、用が無きゃ会ってなかったぞ」
「僕に会うの、嫌なの?」
「嫌っていうか、無理にすることでも無いだろ」
「僕は無理してないよ。それに、しばらくこの地を離れてたから、色々と知りたいし。邪魔しないから…ダメ?」
 
 目を潤ませて見つめられると、幼い頃の弟分のままな気がしてしまう。

「あー…、そんな変わってないぞ…。領主の仕事を手伝うんだろ?無理するなよ。オレも、ダメな時はダメって言うから」
「やった!リリン姉さんありがとう!」

 なんだかんだ、ヨシュアに甘くなっちまうんだよなぁ、とリリンはため息をついた。

 それからというもの、毎日のようにヨシュアは昼時になると現れた。昼ご飯を一緒に摂り、そのままリリンたちの仕事を手伝ったり、男たちの仕事を手伝ったりして、一緒に過ごす。
 少ししか居られない日も、顔を見に来るから、わざわざ来なくていいと言うのに、顔が見たいからとふにゃりと笑う。

 ヨシュアの態度は懐いている弟が帰ってきたようで、まぁ悪い気はしなかった。
 そうして、リリンは油断していたのだ。兄の許嫁を奪うような強引な告白をしてくるような奴が、自身を弟だと思っている筈が無いのに。

 ヨシュアと二人だけで料理に使う野草を採り、一息ついていた時に、それは起こった。

 ふに

 ごく柔らかく唇に唇を当てられた。キスというより、当てられたという感じだ。さっきまで普通に笑って話をしていただけなのに、キスされた?はぁ?頬を染めるヨシュアは、照れたようににこりと微笑んだ。
 リリンは、その満足気な顔に、無性に腹が立った。怖い顔になったリリンに、ヨシュアは一気に血の気が引く。

「ヨシュア。二度とこんな真似をするな」
「…ご、ごめんなさい」

 もう許婚になったのだからと甘えた考えがあったヨシュアは、青褪めて俯いた。
 傷ついた顔に少しだけ胸が痛んだが、こっちだって頭にきてる。リリンはそのままヨシュアから離れ、集落に帰った。

 タンッ!ガッ!

「くそが…」

 弓の練習をする場所で、的に矢を放つ。苛立ちをぶつけた矢は、並べた的を正確に射る。

「なーに?ヨシュとケンカ?」
「ケンカにもならない。あんな奴。優しくしてやりゃ、つけあがりやがって」
「リリンを怒らすなんて、何しちゃったのヨシュは」
「あいつ、子どもの頃からリリンが好きすぎるからな…ちょっとキモいよな…」
「そーだ!かわいかったのに、キモいんだよ!キモくなってんだよ!ヨシュアが!あのかわいかったヨシュアがーーーーー!!!」
「いや、ヨシュは子どもの頃からキモかったよ…?」

 同じく弓の練習に来ていた、ラーラとヤンの姉弟の一言に、それまで抱えていたリリンの感情は爆発した。姉のラーラはリリンと同じ歳、ヤンは1歳違いの弟。エラルド家の三男と四男は幼い頃から集落に来ては一緒に遊んで居たので、歳の近いヴァール族の子どもたちは領主一家だとしてもその二人の事は気安く呼んでいる。

「嘘だ…学校に行く前まではかわいかっただろ?」
「リリンにだけだろ」
「確かに見た目はかわいかったわね」
「そうだよ!いつもうるうるした目で甘えてきて!」
「だからそれはリリンにだけだって」
「リリンにだけかわいこぶってる感じっていうの?私達には何ていうか、普通?それがちょっと同性からしたらキモかったのかも。私は、初恋なのね~て見ててかわいかったけど」
「ま、みんな分かってたよな。リリン以外は」

「嘘だ…」

 リリンは薄ら寒いものを感じてゾッとした。何だ?この認識の違いは…。

「あいつはかわいい弟だ!」
「でもさ、許嫁になるの承諾したんでしょ」
「ぐっ!そうだけど!何かあいつが男を出してくるのは嫌なんだ…!!」
「嫌ならやめたら?またギリアンに変えたらいいじゃない。婚姻前なんだし」
「そう何度も変えるもんじゃないだろ!」
「気持ち悪いなら仕方ないよー」
「そうだよ。ヨシュアが気持ち悪いのは治らないよきっと」
「うがーーーヨシュアは気持ち悪くない…!かわいいだろ?かわいいけど気持ち悪いんだ!あーーーなんじゃこりゃーーー!」

 何故か他人から指摘されるとかばいたくなる。でも、急にキスしてきやがって、それは気持ち悪かったし!支離滅裂なリリンに、ラーラとヤンはやれやれと顔を見合わせた。
 他にもヨシュアと歳の近い子どもは居たけど、リリンが特別甘かったのもまた、甘えてくるヨシュアにだけだったのだ。


 翌日、しゅんとした顔で、ヨシュアが昼飯後に会いに来た。何人かで一緒に食べる時もあるから、一緒に飯を食べるのは気まずかったようだ。リリンの顔が見られないのだろう、首を垂れている。

「ごめんなさい!ごめんなさい、リリン姉さん。もうしないから…また会いに来ていい?」
「……勝手に身体に触るなよ」
「ごめん、恋人らしいことをしたくなって…」
「オレはしたくない。この先もずっとしたくない!」

 ヨシュアは青褪めてショックを受けているようだが、それがリリンの本音だ。

「ごめん。いい。しなくていい…あの、近くに居るのも、もう嫌…?」
「それは仕方ない。許婚なんだからな。婚姻まで会わないのも不自然だろ」
「リリン姉さん…やっぱりギリアン兄さんが良かった?ごめん…」
「どっちでも一緒だっつっただろ。きっとギリアンでもオレはこうなるだろうよ。オレには選択肢なんか無いんだからな」

 ギロリとヨシュアを睨む。リリンに睨まれた事など無いヨシュアはぶるぶると震えている。

「…!リリン姉さん…ごめん…姉さんの気持ちも考えずに、受け入れてもらえたって一人で浮かれてた…」
「泣かれたらオレが悪いみたいだな。オレは泣かないけどな」
「ごめ…!」

 リリンは冷静に自分の運命を受け止めている。そのうえで、嫌なことは嫌だと伝えているだけ。泣かれると、自分が悪い気がしてしまうから、無性に腹が立つ。弟を苛めているみたいで、気分も悪い。
 ギリアンなら、もっとあっさりしてるだろうに。

「僕、僕、ごめん…本当に考えなしだった…」
「…わかればいいさ」
「あの、慣習ではあるけど、別にエラルド家との婚姻は次の代に先送りしてもいいんだよ。ヴァール族とエラルド家の関係も、今は悪いわけじゃないし…きっと大丈夫!」
「まぁ、そうかもな」
「リリン姉さんがこの婚姻が嫌なら、やめよう。ギリアン兄さんがいいなら、また戻してもらえばいいし、他の人がいいなら、それでもいいんだ。リリン姉さんが選んでいいんだ」
「そうだな、ギリアンのがいいかもな」
「…そっか。やっぱり兄さんのがいいか」

 自分で言っておいて、傷ついた顔をして、またヨシュアが涙ぐむ。くるりと後ろを向いて、顔を見せないようにしたが、肩が震えている。

「ほんとに…ほんとに兄さんのがいい?」
「お前が言ったんだろ」
「うっ…ぐすっ…ぐすっ…やっぱ無理…ぐすっ」
「は?」
「やっぱ無理ぃ~!リリン姉さんが、他の人の物になるなんてぇ~!うわーん!ぐすっぐすっ」
「はぁ?!オレは誰の物にもならないだろ!」
「ごめん、ごめんーーー!心の整理をするまで解消は待って…ぐすっぐすっずびっ」

 呆れつつ顔を見たくなり回り込むと、ヨシュアは、子どもみたいに号泣していた。その泣き顔がかわいくて、さっきまでの苛立ちが嘘のようにリリンは胸がスッキリした。

「しゃーねーなー…お前でいいわ」
「…ぐすっ…え?…ずびっ」
「お前でいいわ。許婚」
「ほんと?ほんとに?!」

 鼻水と涙を垂らしながら、へにゃりと笑うヨシュアも、やはりかわいいと思うリリンだった。










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