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第七章 複雑なる縁
44 人の口に戸を立てられたなら
しおりを挟む人の口に戸は立てられぬ。
それは、地球の日本だけではなく、異なる惑星セターレフにおける神聖バハムート帝国でも同じであるらしい。
アハメド二世と、養女のイヴティサーム・アティーファが和解したということは、それぞれの侍女の口から別の侍女や侍従の口に電光石火で伝わり、その日の夜半過ぎにはビンデバルド宗家の館にまで飛び火した。
ビンデバルド宗家は、帝都シュルナウの旧市街の中でも、かなり帝城に近い位置で、その敷地は当然のように、旧市街で一番広大である。その館の中でも最深部のザムエルの居室に、アハメド二世とイヴが和解した……どうやら、アハメド二世はアスランの最近の素行をイヴが疑うので、提案を取りやめた……というかなり正確な情報が伝わったのは、情報が玄関から入ってきてから二分後だったと言われている。もちろん、館が小さい訳ではない。むしろ大き過ぎるぐらい大きいのだが、それほど、その情報は更新速度が速かったのだ。
その情報が耳に入るが速いか、ビンデバルド宗家当主、ザムエルは、同じ館に住んでいるイレーネとジークヴァルトを速攻で呼び出した。
もう日付も変わりそうな時刻ではあったが、そんなことは気にしてられない。
イレーネは、その数秒前に、侍女からイヴの話を聞いて、飛び上がるぐらい驚いていたので、父親からの呼び出しにはいっそうウキウキとした気持ちで、ナイトドレスにガウンを羽織るのもそこそこに、踊り出しそうな足取りで父の居室に向かった。
一方、ジークヴァルトは、ベッドに入る前のワインを楽しんでいたところだったので、騒々しい事は苦手であったが、事情があってビンデバルド宗家に居候している身、ザムエルの呼び出しに応じない訳にはいかず、身だしなみをきちんと整えてから、ゆったりとした足取りでザムエルの部屋に向かった。
ザムエルは自分の部屋に、長女と養子を呼び出すと、早速、侍従から聞いた話をそのまま二人に伝えた。
「アスランとイヴの線がなくなった。皇家に、ジグマリンゲンはつかないようだぞ!!」
この時点で、情報に私見が入っているのだが、そんなことにイレーネは気がつきはしなかった。
目を輝かせて、ビンデバルド宗家が皇家に入る未来を信じ、(彼女は女性で現在皇家には年頃の男はいないのだが……)、手を打ちあわせて喜んだ。
「ざまあみろですわ、お父様! 地獣人のイヴの縁談がなくなりましたのね!!」
まさか、やんごとなき、皇后の実家の長女の口から「ざまあみろ」などという単語が出てくると思わなかった。それは、父親とてそうだった。一体、長女はどこでそんな単語を覚えてきたのかと思わず顔を見直したが、イレーネは極めていい笑顔で、父親が毒舌で追撃するのを待っている。
ザムエルは思わず咳払いをして、イレーネをなんと言って窘めようかと気を遣った。イレーネに、同い年のイヴ、ヴィーへの対抗意識を培ったのは父親である彼である。知性とエレガンスと威厳の姫であるように導いたのもそうなのだが、自分の教育のたまもので、イレーネは日頃からイヴ達へのヘイトが普通ではない。
(二十歳の娘の口から、ざまあみろで……いいんだろうか……)
そこは気になったが、そのとき、ジークヴァルトが言った。
「ザムエル様。私の耳にも、その話はつい先ほど伝わりました。陛下が、夜更けまでイヴ姫と語り合って部屋を出た、その際に、アスランとの話はなくなりそうだと話されたとのことですが、確実な事かどうかはまだわかりません」
それはあくまで、家来がそう言ったと自分の家来が言ってるだけなので、アハメド二世が本当に、アスランを諦めてイヴを許したかどうか、はっきりしないのだ。翌日のアハメド二世の動きまで見聞きしておきたいところだろう。
「ジークヴァルト様、イヴ姫は、ティシャ姫の事を気にしてアスランを疑ったのだそうですよ。軟弱者の母親がいびり殺された事を根に持っているんですわ。私の所のバルバラが、アスランを狙っているので、病気のように気にして嫉妬したと聞きましたの。バルバラは確実に仕事をやりとげますわ」
自分の付き人を持ち上げつつ、明らかにイヴを落とすイレーネであった。
「その話は聞きましたが……バルバラからの報告は?」
「きっと明日には、もっといいニュースと一緒に報告してくれますわ!」
バルバラこと、ヴェンデルは、現在はビンデバルド宗家の館には住んではいない。実は、紺の旗の町の方のアパートで、こつこつ錬金術アイテムを作り込みながら、毎日の仕事に励んでいる。仕事と言っても、アスランの追っかけではあるが……。
イレーネの言うところのいいニュースというのは、地獣人の姫達の没落とビンデバルド宗家、ひいてはビンデバルド一族が皇家と同等か皇家をしのぐ栄光に輝く事である。非常に明確でわかりやすいので、ジークヴァルトは特にツッコミはしなかった。
だが、この単純明快でわかりやすい長女については、多少、窘めた方がいいのかもしれないとは、ザムエルの顔色を読みながら考え込んだ。
「そうだな。イレーネ。バルバラを明日の朝に呼び出して、最近の進捗を聞け。もしかして、アスランの方も、イヴ姫の関心を失った事を気にして、妙な動きがあるかもしれない。自信を失って、近衛府でミスの一つ二つしてくれたら嬉しいのだが」
ザムエルは、非常に、イレーネの親らしい事を言った。
「地獣人の姫を失ったぐらいで、そんなに落ち込むものですかしらね?」
イレーネは不思議そうな顔をした後、色々と口の中でぶつぶつと言い出した。彼女がよく、ライバルと勝手に目しているヴィーへの呪詛ではない。黙々と頭の中で、イヴとの縁がなくなったアスランが、ヴェンデルの扮装するバルバラに傾くかどうか、一生懸命計算し、それが口に出るだけらしい。
「バルバラは年増の女ですけど、男だからこそ男心をくすぐる方法を知っているかもしれないし……もしうまく、アスランを落とす事が出来れば……」
「イヴ姫から、ビンデバルド宗家の付き人に? まして、バルバラは本当は男だぞ」
ジークヴァルトは、思わず本当に、イレーネの非常に都合のいい、敵対心溢れる妄想に突っ込んでしまった。
「あら。私は、卑しい地獣人の血を引く女よりも、男心を理解出来るビンデバルドの男がいいと思いますわ」
「??」
非常にナチュラルに危険な台詞を言うイレーネ。
「イレーネ、男が、男心を理解出来るのは普通の事だ。けしからん発言はやめなさい」
ザムエルはやっと、父親らしく、娘を叱る事が出来たのだった。
「すみませんでした」
そこはイレーネは素直に引き下がった。
「しかし、侍従の話を聞きますと、イヴ姫は母君が浮気が原因で病死した事を気に病んでアスランの事を拒んだと聞きましたが、イヴ姫本人が、想い人の男性がいるという話はどうなったんです?」
ジークヴァルトは、一番気にしていた事をザムエルに尋ねた。
ザムエルは、膝を打った。
「そこなんだ。どうもその話があやふやで、皇帝陛下は、アスランが浮気性だった場合、イヴ姫があんまり可哀相だから、この縁談はやめておくと仰ったそうだが、連日、イヴ姫を誰が好きなのかと問い詰めていた件については、何にも発言がないらしい。どういうことかと俺も気になる。
「あら、それは、お父様」
そこですかさずイレーネが言った。
「それはきっと、イヴ姫はふられたんですわ!」
「……何?」
父親が仕込んでイヴ姫嫌い、ヴィー姫嫌いのイレーネは、あっけらかんとして自分の妄想を語り出した。
「イヴ姫はふられたんですわ。それで、皇帝陛下もがっかりなさっているのよ」
「誰に、イヴ姫はふられたんですか?」
ジークヴァルトは、恐る恐る、輝く笑顔のイレーネに尋ねた。
「誰にって、浮気性のアスランにです。イヴ姫は、きっと、憎からずアスランのことを想っていたのだけれど、ぶりっこだから気取って、アスランをじらして気を持たせるために拒んでいたに決まってます。そうしているうちに、アスランはイヴ姫のぶりっこのもじもじを本気にして、イヴ姫をふったんですわ。それなら話がすんなりおさまりますし、十分ありうることです。イヴ姫はふられたのよ!」
「そうか、イレーネ。お前はそう思うのか!」
するとその妄想に血の繋がった親は飛びついた。
自分でも解せないと思っていたところを、イヴと同い年の我が娘が妄想100%ですらすら言ったので、年頃の娘とはそういうものなのだろうと思ったのだ。あるいは思いたかったのだ。
「そうです、お父様。知らないけど絶対そうです。それで、皇帝陛下は、娘の失態と恥を口に出来ないほど傷ついてらっしゃるのよ。それで何も言えないだけです。私は絶対そうだと思います」
「その通り、その通りだろう。イレーネ。お前はなんと賢い娘なんだ!」
何でそんな話になるのか、ここに、アハメド二世とアスランがいたら、全力でツッコミ倒すだろうし、場合によっては手が出たかもしれない。だが、ここは、ビンデバルド宗家の最奥の部屋である。
本人のいないところで、話がヒートアップしていくばかり。
「ですが、イレーネ。もしかしたら、アスランとイヴの間には本当に何もなかったかもしれませんよ」
まだしも冷静な表情でジークヴァルトがそう言った。
「アスランの事を、イヴ姫が好きだったという証拠はどこにもないんです」
「あら、そうね。イヴ姫が、アスランを好きそうなそぶりは……なかったかもしれないわ」
イレーネは考え込むと、ふと、また手を打ちあわせて言い放った。
「それでは、リュウかもしれませんわ」
「は?」
「冒険者のリュウよ。地獣人ですもの、同じく動物に近い青龍人のリュウが好きかもしれないわ。この間の、ジグマリンゲンの新年会で一緒に仲よさそうに踊っていたもの。リュウが好きなのよ」
「それで、いつ、リュウにふられたんですか?」
リュウは最高位の冒険者であるから、帝城にもフリーパスで入れる。だが、深窓の姫君であるイヴ姫と、そんなに接点があるようには見えない。
「そうね。イヴ姫が、リュウに告白したんだけど、ふられたのよ」
「その、理由は?」
頭が痛くなりそうなのをこらえながら、慎重にジークヴァルトが尋ねると、イレーネはすました顔でこう言った。
「年齢差よ。百歳の年寄りが、八十歳も年下を相手にするわけないじゃないの」
「……そうですね」
意外と当たってはいるのだが、とにかく、パーティで一緒にダンスを踊ったらだめらしい。それだけでフラグが発生して、自動的にイヴは殿方にふられることになっている。
その話を、うん、うん、と気持ちよさそうに聞いているザムエルだった。
「なるほど。イヴ姫は、アスランか、リュウかわからないが、男にふられたのか。それで、陛下は口が重くなってらっしゃると。それなら辻褄があう」
権力者の男性がただ黙っている場合、それこそ百も二百も理由はあるはず。だが、同じ権力者の男性であるザムエルはそんなことはすっかり忘れて、長女イレーネの発言を喜んでいた。
(イレーネ姫は何故、イヴ姫がふられたことにしたがるんだろう)
一方、ジークヴァルトはそのことがなんとなく気になったが、結局、ザムエルの躾の問題だろうと、詮索するような考えは追い払った。
理由は非常にシンプルで、皇后になるために生まれてきたのだと薫陶を受けつつ、育てられたイレーネは、年頃の皇太子に恵まれなかった。皇位継承権を持つ同年代の男性がいない。それで身を持て余しているところに、ザムエルは同い年のイヴやヴィーと彼女を何かと比較して、悪口を吹き込みながら育てた。そのため、イレーネは「自分より先にイヴやヴィーが男とくっついたらその時点で負け」と無意識に思い込み、裏を返せば、自分がイヴ達よりも先んじて良縁に恵まれれば自動的に勝ちなのである。
それこそ、ジークヴァルトには理解出来ないほどの単純さである。
「ふむ。アスランの方は、ヴェンデルが近日、始末するとして……」
ザムエルは、都合のいい事ばかり言ってくれる娘を愛しそうに見つめながら、気に入りの子ども達と密談を続ける事にした。
「イヴ姫、ヴィー姫の方はどうするべきか。傷心のイヴ姫には、今、隙があるな」
ザムエルの中では、既に、イレーネの妄想が本当だという事になっている。イレーネはザムエルによって大幅に、そういう思考回路になるように教育されているのだから、その長女と話す事が楽しくないはずがないのであった。
「傷心のイヴ姫」
イレーネは、その単語を聞いて、とても喜んだようではあったが、そこはやはり仲のよい父親のために、いい知恵を出さねばと、眉間に縦皺を寄せて考え込んだ。
「やっぱり、ふられ女は、男にはまるべきだと思います。それもできるだけくだらない、どうでもいいような、地獣人は所詮動物とわかるような男にはまって、陛下をもっともっと傷つけて慌てさせればいいんだわ」
「失恋してやけになって、身を滅ぼすというやつか。面白い、いいぞ、イレーネ」
ザムエルはイレーネに負けずにいい笑顔である。
「なるほど、男がいるわけですか」
ずっと黙っていたジークヴァルトだったが、さすがに、親子の無軌道な会話を聞いてられず、そっと入り込もうとした。だが、それが運の尽きだった。
養い親は豪快な笑顔で、ジークヴァルトにこう言った。
「そうだ。やってくれるな、ジークヴァルト!」
「…………」
いきなりなんでそうなるのかと、ジークヴァルトは目を瞬いた。話の内容がわからないわけではない。
流れから言って、自分が、傷心のイヴ姫をさらに痛めつける悪い男の役割になると、そういうことであろう。
「…………」
だが、呆気に取られて、さすがに何も言えなかった。
かわりに、イレーネが慌てだした。
「あ、その、違いますっ」
先ほどまでの安定感ある剛速球とは正反対の慌てぶりで、両手を体の前でパタパタと振りながら何かを伝えようとしている。
「イレーネ?」
「わ、私、ジークヴァルト様をそれこそ、くだらない、どうでもいい、動物とか、そんなことちっとも思っていませんわ! ジークヴァルト様は、ビンデバルドの、大事な殿方ですわ!」
そんなことを取り澄ました様子もなく、早口で真っ赤になりながら言う。
「それは大変嬉しいです。イレーネ。それで、私は、イヴ姫を狙えばいいのでしょうか?」
「あ、はい……」
イレーネは、妙に挙動不審な様子で、そう頷き、うつむいている。
それから、救援を頼むように父親に目配せをして、目をしばたいた。
「ジークヴァルト。確かに、イヴ姫が傷心かどうかはわからないが、陛下は、イヴ姫から縁談を固めようとしているらしい。その内心がどうであるかを、探ってくれ。地獣人の姫達には、皇位継承権がある。あの雌猫どもを、どうやって、神聖な皇家から追放するか、それは我々宗家の、究極の命題でもあるのだ」
「そこは、わかります」
ジークヴァルトはやはり、余計な事は言わずにそれだけ答えた。
それなら、話はわかる。
皇位継承権を持つイヴ姫の縁談。それは、神聖バハムート帝国の将来と、ビンデバルド宗家の将来に如実に響く。そのことについて、探りを入れる事について、自分が直接動く事には、何の異論もなかった。
事が縁談、恋愛ごとだけに、噂には尾ひれはひれがつきやすい。それを真に受けるぐらいなら、自分の目と耳で直接確かめた方が、無難であると思えた。
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