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第七章 複雑なる縁

37 近衛府の仕事とオカマ

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 その夜、エリーゼは、布団の中で悶々と悩んでいたが、やがて、ひょっこりと起き出して、学習机のランプをつけ、白紙のノートを引っ張り出すと、表を作って考え込みはじめた。

 自筆でノートに書いてみる。

・私は、アスランの事を本当に好きかどうか
 ノート丸一ページに、言い訳と悩みと愚痴をびっしり書いた後、最後に、こう書き添えた。

 アスランは……凄く尊敬している男の人。

 それがどういう意味になるのか、二回目の15歳でもわからず、次のページに、エリーゼは今度こそ表を書いた。

 ノートを縦割り半分に線を書いて、左側にバルバラと書き、右側に「私」と書いた。

 まず、バルバラの欄にエリーゼが書いたのは、「巨乳」であった。……バルバラは、胸に大きく形のよい詰め物をしていたのである。いかなエリーゼのカメラ機能でも、それは簡単に見破りが出来なかった。そういうことであった。まだ発育途上のエリーゼにとって、バルバラは、アスランに、「当てているように」見えて、それで、激しい苦悩を感じていたのである。
 はっきり言おう。
 彼女には当てるものがなかった。(少なくとも本人はそう思っていた)


 次に、エリーゼは、バルバラの欄に、「化粧が濃いけど似合ってる」と書いた。自分の欄には、「子どもっぽい化粧しか出来ない」と書いた。
 そういうふうに、左のバルバラの欄と、右の「私」の欄に、彼女は彼女なりに客観的で公平な立場になったつもりで、判定を続けた。

 一行書いたら、改行を一行入れる。そのペースで、かなりページの下の方まで判定を入れて、それから、エリーゼはその自分の字を上から順番に読み直してみた。

 なんだか泣きたくなってきた。大人のセクシーな女に対する自分のコンプレックスが丸出しである事は自覚出来たし、こんな時間に起き出して表まで書いて、何をしたいのかわからなくなってきたのである。

 エリーゼは、何かいいことがなかったか、気持ちを切り替えるために、アスランの新年会の事を思い出した。
(……あ、あった。いいこと)
 エリーゼは、イヴとの会話を思い出した。
 音楽の姫とも言われるイヴ姫が、自分のピアノを褒めて、手ずから、ピアノのこつを教えてくれたのである。
 あのときは、ガチガチになっていただけに、本当に救われたように嬉しかった事を思い出した。
(私……ピアノなら、弾けるかもしれない。バルバラっていう女の人が、ピアノ弾けるかどうかはわからないけど、せめて、一個だけでも、私の方が出来る事があった方がいいじゃないの。別にいいわよね、それぐらい!)

 そう決め込んで、エリーゼは、考え込みはじめた。
(だったら、正式にピアノの先生についた方がいいわよね。だけど、お養父さま達はどういうかしら……。だけど、黙っていたって伝わらないわ。朝になったら、お養父さま達に頼んでみよう。なんて、言われるかしら。やっぱり、養女の分際で図々しいと思われたらどうしよう?? だけど……やってみたいんだから、自分から伝えるしかないわ)

 そういうわけで、翌日。
 家族そろっての朝食の席で、エリーゼは大人しく行儀よく食事を終えた。
 最後に、新しいコーヒーが出てきたところで、ハインツが、いつもの通り、エリーゼの今日の予定を聞いてきた。
「あの、お養父様」
「なんだ?」
「私はピアノがしたいです……ピアノ教室に通わせてください」
 エリーゼは、やや震える声で、養父に向かった。ハインツは驚いた。エリーゼの方から、習い事を申し出てくる事は、考えていなかった。

「ピアノ?」
 ハインツは一言そう言って、妻のゲルトルートの方を見た。ゲルトルートもびっくりした顔をしていたが、やがてにっこりと笑って見せた。
「あら、いいじゃないの。近所に、ミカエリスの子孫だという音楽家の先生がいるわ。そこに、歩いて通ったらどうでしょう。きっと、見違えるほど血色もよくなって、スタイルもよくなるわよ」
「ああ」
 ハインツは、歩いて通うということに反応した。せっかく引き取った養女が、いつまでも、幽霊みたいな顔をした引きこもりでは、先々が不安である。近所のピアノ教室なら、ゲルトルートの目も届くだろうし、とにかく外を歩かせる事には賛成だった。

「それなら、ゲルトルート。その手配をすぐにしてくれ。エリーゼ、自分で言い出したことなのだから、責任を持って続けるんだぞ」
 話はあっさりそれで終わった。何しろ半年も部屋の中に引きこもって、ろくすっぽ口も聞かなかったため、養父母は引きこもりを治療する事に全力であった……。


 エリーゼの方にはそういう変化があった。とにかく、バルバラの存在が起爆剤となって、エリーゼは一人で行動するのではなく、「習い事の教室」に自分から通い、世界を広げるという方に近づきはじめたのである。
 とりあえずはありがたい変化と、少なくとも、養父母は思っていた。

 ところで、アスランの方には、全くありがたくない変化があった。

 例えばの話。
 朝、近衛府に向かうと、玄関の方に--お菓子を持った年増の女が立っていて、満面の笑みでこちらを見る。
 そういうような変化である。

「……」

「アスランさま。これ、私の手作りなんです。受け取ってください!」
 白いラッピングにピンクのリボンを巻き付けた手作りお菓子を差し出すのは、どう考えたってアスラン(25歳)より年上の化粧の濃い女性。

 正直言って、怖い光景であった。

「ありがとう」
 だが人気者の宿命で、そこは相手に負けない笑顔でそのお菓子を受け取らざるを得ないのが、アスランの辛いところであった。アスランは、とりあえず、そのお菓子を受け取った後に、やたらきゃぴきゃぴした「アスランさまー! キャー!」的な会話に数分つきあって、それから近衛府の方に入っていかなければいけないのである。当然、同僚も見聞きしている、その行動……。
 辛かった。

 その日から、アスランへのバルバラの酔狂なストーキングが開始されるのである。
 朝は出待ち。夕刻も出待ち。近衛府の門にひっついて、どこまでもどこまでもアスランを追いかけ回す、ストーキングが始まったのであった。
 元は男で真面目な錬金術師のヴェンデルが。
「アスラン様ぁ----! キャァ------------!!」
 もちろん、ストーキングしている方だって、辛くない訳がないのであった……。

 ちなみにその頃、近衛府の方では皇帝の警備について諸問題が積み上がっていた。
 神聖バハムート帝国において、近衛府とは、皇帝の禁軍であり、同時に親衛隊的な側面も強い。
 皇帝の最もそばに仕えて、護衛を果たす役割を持っている。

 その皇帝の警備強化が急激に問題化されていった。理由は簡単。

「先日、皇女宮で、イヴ姫が賊に襲われた件だが。賊が、監獄の中で自分で命を絶ったという報告が今朝入った」
 近衛府の朝礼。
 近衛大将ベネディクト・フォン・ベッカーの方から、側近の中将少将達に伝達がいく。

 アスランはベネディクト……ベンの方をまっすぐに見た。彼にとっては目を背けていい場面ではない。ベンとアスランは一瞬目が合った。ベンは、そっとアスランに頷いたようだった。

「皇女宮までテロリストが押しかけてきて、イヴ姫の私兵と戦闘を行った事については話している通りだ。そして、賊を締め上げたんだが、白状する前に自分で自分の口を封じた。……皇女宮の警備も大事だが、我々が一番お守りしなければならないのは、皇帝陛下だ。そのことについては、十分理解していると思う。心して、任務に就いてくれ。……そして我々の兵力強化案としては、新型の機動馬を手配している」

 などなど、朝っぱらから頭が痛い事を言われたりもするのが仕事というものである。何故にイヴ姫が、襲撃を受けたのか。それは、アスランと縁談が浮上したからだ。それが回り回って、皇帝の防御力をあげるために、仕事がせわしなくなるという話になったのだった。
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