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第六章 一月、二度目のパーティ

32 アスランとヴィー

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 何はともあれ、ダンスのターンが来た。
 ジグマリンゲン邸の大広間にステージが設けられ、そこで名のある貴族達が踊るターンである。

 楽隊が明るく軽快なワルツ曲を次々と流しはじめ、それに応じて、広間にいた男性達が女性達に声をかけ始めた。
 エリーゼは、正月のパーティの事を思い出して、体を強ばらせた。どうしても、アスランの事を意識してしまう。アスランは、ちょうど、三人の姫と話している所だった。
 自分は所詮、モブの伯爵の娘。ないとなう! 本編では出番すらなく、コマとコマの間で死んだ伯爵の娘だ。
 それに対して、アスランはこの世界--ないとなう! の主人公で、名実ともに英雄だ。
 連載中の漫画の流れはわからないけれど、本来、自分とアスランではまるで釣り合わないのだと思う。
(それに……私、のぼせていただけかもしれない。後は、お養母さまに勧められて、アスランがいいって……私、養女なんだから気を遣わなきゃって、意識、なかったって言える?)

 それはそれでアスランに失礼な話かもしれない。養父母がけしかけたからと言って、つべこべ言い訳しながらも、その気になってアスランを「好きになろうと思った」。

 そう思うと、彼と自分の間に見えない壁の隔たりを感じる。アスランは、ヴィーの方に手を差し出して、ホールの中央に誘い出していた。

 意外な事に、アスランはヴィー姫と踊り始めた。
 てっきり、イヴ姫だと思っていたエリーゼは驚いた。

(アスランはイヴ姫との縁談に興味ないのかな……?)
 ホールでは、エリーゼと同じく、アスランの挙動に注目する者でいっぱいだ。皆、イヴ姫とうり二つながらも、まっすぐな金髪と知性的な紫の瞳を持つヴィー姫が、アスランのリードに従って踊る様子を見守っていた。

(私もこんなふうに注目されていたんだよね。あのとき。あの子、どこの子? って女の子達が話しているのが聞こえた……。だけど、あのときは、アスランの足を踏まないで踊る事に夢中で、気にしなかったけど……。私、何をいい気になっていたんだろう)
 エリーゼは、軽い落ち込みの谷に落ちていった。
 アスランは自分が踊りたいと思うような好きな女性と踊るのだろう。
 あのときは自分へのちょっとしたお礼のつもりだったんだろうから。そのとき天にも昇るような幸せな心地だったのは、そのときだけのことだったのだ。

 諦め癖のついているエリーゼはそう解釈し、自分は控えめに、壁の花になろうと、そちらの方へとそっと近づいていった。

「イヴの事をどう思ってるの?」
 一方、ダンスホールでは、相手にしか聞こえないような声で、ヴィーがくすくす笑いながら探りを入れていた。
「どう、とは?」
 アスランはとぼけた様子である。
「皇帝陛下の思し召しがわからないあなたじゃないでしょう?」
「現人神であられる陛下の広大な考えを、俺には把握など出来ませんよ」

 ヴィーは、蹴躓いたふりをしてバランスを崩した。アスランは素早く彼女の細腰に手を伸ばし、体勢を整えさせると、くるりと彼女の体を作法通りに回した。
 ヴィーはダンスステップを踏みながら、アスランの方をしっかりと見つめた。

「次男坊とはいえ、ジグマリンゲンの跡継ぎの実力があるのはあなた。子どもの頃から跡継ぎとして躾けられたと聞いているわ」
「誰から……?」
「私だって皇族の姫よ? 噂の殿方の情報だったら、何にもしなくても、女の子達がみんな話してくれるわ」
「やれやれ」

「陛下は、あなただけじゃなくて、シュネーヴォルケ州一帯に興味があるのよ。ジグマリンゲン家だって、帝都にあなたを送り込んでくるぐらいなんだから、中央の権力に興味がないわけじゃないでしょう?」
 ひどくざっくばらんにヴィーはアスランに尋ねてきた。
 実際に、帝都より北方で、武門と経済力を持つ派閥は二つしかない。エリーゼが引き取られたアンハルト一族か、アスランの実家ジグマリンゲンか……。
 アンハルトとジグマリンゲンは、暗黙の同盟状態で、元から相性はいいのだが。

 アスランはさすがに、イレーネに向けたような挑発的な笑みを浮かべる訳にもいかず、何かまずいものでも食べたような顔になりながら、無言で姫が踊りやすいように体勢を変えていった。

 ヴィーはアスランの譲歩を感じ取り、やや得意になりながら、さらにこう言った。
「ありがとう、イヴが、あなたと踊るのには気を遣う事を知っているんでしょ。だからといって、皇太子のリマと踊る訳にもいかないし。そうなると、当然、私と踊るしかないわよね。ここであなたがイヴと踊ったら、それが目的の新年会になっちゃう。イヴの逃げ場が塞がれちゃうわ」
「あまり女性が、賢さをひけらかすものではありませんよ」
 さすがにアスランはそう言って、奔放で意志の強い姫をたしなめた。
 ヴィーはそんなアスランの珍しい反応を笑っている。

「イヴの事が好きではないの?」
「好きですよ、友人として」

 そこで素早く、ヴィーは、あたりを見回して、話題になりそうな姫を探した。ずっと喋りづくめだったヴィーが黙っているので、アスランは、逆に緊張したほどだった。
 ヴィーは広間にいる貴族の令嬢達を瞬時にして見比べると、ふと思いついて、アスランに話しかけた。

「では、エリーゼは好きではなくって?」
「エリーゼ?」
 アスランはさすがに虚を突かれた。
 まだ15歳で、幽霊のように陰気な美少女の事を、ヴィーが眼中に入れているとは考えていなかったのだ。

「彼女は何度もあなたの命を救っているわ。命の恩人の女性を、意識する事だってあるわよね」
「……」
 どうやら、先ほどのイレーネの風の毒針は、地獣人フルフィの姫の血を引く、射撃の女王には見抜かれていたらしい。
 ヴィーが反撃するより早く、エリーゼがピアノを奏でてアスランを守ったという訳だ。

「アスラン、あなただって、25歳の男よ。本当なら、結婚して子どもがいてもおかしくない年よ。それで、このダンスホールには地獣人フルフィ以上の働きを見せる狩人の女性が山ほどいる。毒針だけじゃなく、全員から身を守らないとね」
「それは、わかってますよ。ありがとう」

 やっと、ダンスは終わり、難局を乗り越えたアスランは、ヴィーを連れて仲間の方へと戻っていった。
 そのときにはエリーゼはそっと輪から抜けてで、完全に壁の花になっていた。

「あの、目立ちたがり屋の雌猫……!!」
 一方、広間の話題を一挙にかっさらった、アスランとヴィーの行動を見て、イレーネは凄い形相である。付き人のバルバラのなだめ言葉を聞きながら、苛々と、料理の肉にフォークを突き刺していた。作法は守っているのだが、肉の方は既にズタズタである。
 そこに、ビンデバルドに好意的な一族……ケーニヒスマルク家の凡庸な、顔と見栄えだけはいい王子様が訪れて、イレーネにダンスを申し込んだ。
 途端に、イレーネは聖母のような上品な満面の笑みになり、しずしずとケーニヒスマルク王子の方についていき、ダンスホールの真ん中で踊った。ヴィーへの対抗意識からか、かなり派手な振り付けだったが、それはそれで見事なものだった。
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