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第五章 悪役令嬢もいたかもしれない

22 ビンデバルドの令嬢たち

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 一月、同日。

 ビンデバルド宗家。

 アハメド一世がアディラ皇后を娶る以前は、「皇后の実家」として権勢を欲しいままにした、風精人ウィンディの貴族最高位と言われる家である。

 その広大な邸宅の一角に、ビンデバルド宗家の長女、イレーネの居室がある。

 イレーネ・マルグリット・フォン・ビンデバルド。

 兄が一人、妹が二人いる二十歳の彼女は、実は、現代のビンデバルド当主である父親からは最も当てにされている存在であった。



 現在は、帝国学院の大学院に進んでいる長男のエックハルトが癖が強く無責任な人物なので、令嬢らしい気品と美貌に恵まれ、頭もよく、交友関係も広いイレーネが気に入られたのだろう。イレーネの方も皇后の実家ビンデバルド宗家に生まれた事を、誇りに思い、時として嫌みなぐらい、ビンデバルド宗家!! という事に強いこだわりを持っていた。



 風精人ウィンディの中でもビンデバルド一族らしく、背は高く堂々としたと態度の女性である。風精人ウィンディには珍しい黒髪とマリンブルーの瞳。いかなる場合も大人びてエレガントなドレスを裾も乱さず、日頃から、勉強に励んで教養を保ち、それを各種の夜会やお茶会で発揮していた。そういう運動で、ビンデバルド宗家の次の狙いは……。



 狙いは……。



 ……。







 当然の話だが、現皇帝のアハメド2世に、男子がいないので、いくらイレーネが美しかろうとも賢かろうとも、いもしない皇太子を籠絡することはできないのであった。それでは、常日頃、イレーネが、大学にも行かず何をしているのかというと、要するに、同年代のイヴ姫ヴィー姫への威嚇である。

 美しい姫君だったら、ビンデバルド宗家にもいるという強烈なアピール、威嚇行動を取るために、せっせと自分磨きと交友関係作りに励んでいるのであった。

 彼女は、現皇帝に男子がいたら、今度こそ皇后となるべく、父親であるザムエルに仕込まれていたはずなのであった。

 いもしない皇太子や他の王子と結婚は出来ない……彼女は存在自体が空振りである。自分でもそれはわかっているので、年頃ともなると、よりいっそう、イヴ姫達の存在が疎ましく感じられた。彼女達が男性であったなら、父親に言われた通り、射止めるために苦労したのだろうが、今は別の意味で苦労している……。



(あ~あ、つまらないわね……ビンデバルド宗家に生まれてきた事は、申し分ない幸福だけど、せっかく、女として生まれてきたこの身で、皇后の位になるための努力もできないなんて。リマ姫が男だったら、今頃、私が年上の女性として攻略していたはずなのに、向こうも女、私も女じゃ仕方ない……どれだけ自分を磨いたって、本当の張り合いなんてできやしないわ)



 今も、イレーネは、自室で風魔法の難解な書籍を読みながら、あくびをかみ殺して内心そう呟いていた。ビンデバルド宗家は、著名な魔法使いを何人も出した家柄であるため、彼女は気品にあふれる淑女というだけではなく、難しい魔法も使いこなせる事が求められていたのである。イレーネは「私はビンデバルド宗家の長女!」という事にアイデンティティを感じているため、頑張っているのだが、難解なものは難解で、読みながらも眠気に誘われていた。

 それよりもイレーネは、年頃の娘らしく、ゴシップの方が気になっていた。



(ジグマリンゲン家のアスランと、イヴ姫が結婚するって本当かしら。お父様が目を剥いて怒ってらっしゃったけど? もちろん、縁談は破壊するためにあるんだろうけれど、アスランとイヴ姫の縁を、お父様はどうやって壊すつもりなんだろう? そりゃ当たり前よね。英雄とはいえ、下々の冒険者なんかと仲良くして。無敵の人気か何か知らないけれど、歴史と伝統を誇る神聖バハムート帝国にとっては、異端者だわ。そのアスランが、いやしい地獣人フルフィの血を引くイヴ姫と結婚して、皇家の仲間入り? 聞きたくない話のはずだけど……面白いわね……)

 イレーネは、ふん、と鼻を鳴らした。

(お父様は何か手を打つはずだし、私もようやく二十歳、大人としてお父様に協力するけれど、どうなさるおつもりなのかしら。冒険者風情と、親しくしているアスランを、人気があるからといって、皇家に入れさせたり、ビンデバルド宗家がこの星セターレフに存在する限り、絶対させないわよ!)

 父ザムエルもそう思っているはずだし、イレーネは、ひそかに陰湿な喜びに燃え上がっていた。



 といっても、気品と教養にあふれる堂々たる淑女、「さすが皇后の実家ビンデバルド宗家の長女!!」と褒め称えられることが最大の喜びであるイレーネは、自分の方から噂や醜聞を追いかけ回す相手を探すのははしたないので、一人で思っているだけにとどめているのである。



「イレーネさま」

 そのとき、年の入った侍女の一人が、イレーネに声をかけた。

「先日、妊娠して里下がりをしたメイドのかわりに、新しいメイドが参りました。ご挨拶を……」

「ああ、そうだったわね」

 イレーネは、本のページをめくる手を止めて立ち上がり、年季と実力のある侍女の方に向かった。



「新しい侍女の身元や紹介は確かなのでしょうね。このビンデバルドの屋敷に出入りするのに、身分の卑しい者や前歴が不審なものは、すべて不要よ」

「はい。イレーネお嬢様。今度の侍女は、ヴェンデルさまの紹介で、名前をバルバラと言います。ヴェンデルさまならば、まず間違いないかと……」



「ヴェンデル?」

 イレーネは美しい眉をひそめた。



 ヴェンデル・フォン・ビンデバルド。確かに、ビンデバルド一族の人間である。そういう意味では「身元は確か」だ。

 だが、ヴェンデルの家は、魔大戦で親が作戦を大失敗し、取り潰しになった男爵家である。息子のヴェンデルは、家が潰された際に、屋敷まで売り払い、郎党どもに金を払って、次の就職先まで世話をした事は知っている。ビンデバルド一族の者として恥ずかしくない態度だとは思う。その後は、ゴーシュ街の方に家を借りて、錬金術ギルドに登録し、薬品や魔法研究などで喰っているというが、まあ、魔道士に当たるのだろうし、それは悪くない……はずだ。

 だが、確かに、親の代で、家を取り潰されるような大失敗があったという事は、醜聞には間違いなく、息子はできがよいようだが、その紹介となると極めて微妙な感じがする。



「まあいいわ。通して」

 イレーネは、書き物机の方から、部屋の中央の猫足のテーブルの方に進み、そこに優雅に腰掛けた。

「はい、お嬢様、今……」



 そして、年季の入った侍女に通された新しいメイドは、二十代後半か、三十代前半ほどに見えた。

 痩せぎすで背が高く、目つきが鋭い。金褐色の長髪を、几帳面にまとめ髪にしている。

 鼻筋の通った、クールな印象を与える美人だが、何かこう、妙に気に障るものがある。

(何かしら、賢そうだし、なれなれしさや甘えた感じはしないけど……)

 黒いロングスカートのメイド服に白いエプロンをつけている「バルバラ」を見て、イレーネは、思わず首をかしげた。



 だが、気に障る違和感の正体がわからないので、イレーネは、何も言わずにバルバラをしっかりと見て、とりあえず、自分からいくつか質問をして受け答えを聞いてみることにした。



「私はイレーネ、ビンデバルド宗家の長女よ。まあ知ってるわよね。それで、あなたは、ヴェンデル元男爵の紹介ということだけど、どういう関係でらしたの?」

 そのあたりは、侍女長も再三確認しているのだろうが……イレーネはまず聞いてみる事にした。

「はい、お嬢様」

 低めのアルトの声で、バルバラは立ったまま返事をした。

「私はヴェンデル元男爵のご母堂、マリア・ルイーサ様のご実家、ミュラー商会で先日まで洗剤の原料である粉を作っておりまして……」

 流ちょうにバルバラは自分の身元を話し始めた。簡単に言うと、ヴェンデル元子爵の母親の縁者で、帝都シュルナウでも有名な洗濯粉のミュラー商会で働いていたのだが、天涯孤独の身の上で年齢も年齢なので、商会の方で結婚相手を紹介されたのだが、それがこじれてしまい?(イレーネはっつきたくて仕方なかったが、そこはぐっとこらえた)、いづらくなったので、さすがに生活必需品の洗濯粉を購入するだけでなく、元から何くれと面倒を見てくれていたヴェンデル元男爵の方に相談に行ったところ、ちょうど、宗家でイレーネ付きのメイドを探していたので、それならばと推薦してくれたというのだ。



 確かに変なところはない話に聞こえた。……イレーネにも。ミュラー商会は、シュルナウでも一、二を争う、日用品なら何でも生産している大企業だし、そこで、十年以上も熱心に勤めたのなら、使えない訳ではないだろう。トウの立った女性が、商会から世話された男性とこじれてしまったら、職場に居づらくなるのも当たり前だ。そのへんの煩雑な事情をつっつくのは、マナーに反するが……何か妙な趣味などなければいいなあ。



「バルバラ、ここには、男もいれば女もいるわ。対人関係はどこにでもある。そういうもめ事は、一切ごめんよ」

 どうやら異性トラブルを起こしたらしいバルバラに、イレーネは高飛車に釘を刺した。

「はい……」

「そこさえ気をつけてくれれば、まあ、やり手のミュラー商会で十年以上も働いた実力を、見せてもらいましょうか。しっかり働いてちょうだい。給料なら、食べていけるだけ出してあげるわ。どれぐらい入り用かしら?」

 受け答えの感じははっきりしていて礼儀正しかったので、イレーネは自分の身の回りをするメイドの中に、バルバラ・

ミュラーを入れることにした。バルバラは慎ましく頭を下げている。

 そして、望んだ給金の方はそれほど慎ましくなかったので、イレーネはまた眉をひそめた……だが、年齢や、これまでの前歴の事を考えれば、不自然ではない金額にも思えた。

(洗剤を作る原料から、色々仕事してきたってことは、薬品やそっち系のスキルもあるってことよね? そう考えればいいか。これからジグマリンゲン家とぶつかるんだし、洗剤と見せかけて××××!! なんて小気味いい仕事をさせることができるかもしれない)

 そういうとんでもない腹案をもちながら、イレーネはバルバラを雇う事に決め、その正式な契約に進むために、侍女長にペンを用意させた。

 そして、バルバラは、帝城に次いで壮大な土地と壮麗な邸宅を誇る、ビンデバルド宗家のメイドとなったのであった。





 ビンデバルド宗家。

 既に、アハメド1世が地獣人フルフィの姫アディラを娶る前は、七代連続、皇后を輩出してきた風精人ウィンディの大貴族だとは説明した。

 そのビンデバルドの先代当主やはりその名をザムエルと言う。先代ザムエルの従妹を養女に入れて、皇后に擁立しようとした姫の名が、シュテファニー。シュテファニーは、当然、自分が皇后になるものと思い込み、若い頃から、皇帝になるべきアハメド1世に無遠慮とも言うべき素直で無邪気な態度を取っていた事で有名であった。だが、実際に、結婚した相手は、ファイダ自治区の姫長、アディラ……。その事が決定した時は、唖然として声も出なかったという。

 皇后となるべく教育を受け、気負って生きてきたシュテファニーの失意は大変なもので、その後、病気を理由に、滅多に表向きの場には出てこない。



 ザムエルの息子ザムエル……現ビンデバルド宗家は、地獣人フルフィのサフィヤに対して自らの姉、ユスティーナを皇后にしようと、若い頃から随分と、運動を行ってきたが、シュテファニーの前例を繰り返さないためという名目で、アハメド二世に対して、輪をかけて素直に無邪気に押しつけがましく振る舞った……無遠慮を通り越して居丈高だったとも言われる……ユスティーナは、やはり、サフィヤ姫の控えめで知性的な魅力の前に大敗を喫し、現在は、ビンデバルドの本拠地である帝国西方にある別荘から出てこない。悠々自適の生活はしているらしいが、アハメド二世を始め、皇家の話題は絶対禁句なのだそうだ。



 そういうわけで、皇家の方もそうだったのだが、二代続いて不運続きのビンデバルド宗家には、現在、一人の息子と三人の娘がいる。

 一番上の長男エックハルト。

 その次が長女、イレーネ。奇しくも、年齢はイヴ達と同じ二十歳。

 次女が、カトリーン。年齢は、リマと同じ十七歳で、現在、同じ帝国学院に通っている。

 三女が、ルツィア。カトリーンより二歳年下で、この春から、帝国学院高等部に通学予定だ。



 長男のエックハルトは、見た目も頭も悪くないのだが、幼い頃から、ザムエルの期待が高すぎたために、権勢欲を失い、それよりも自分の趣味に生きたいと言い切って、大学院の研究室から滅多に帰ってこなくなってしまった。二代続いた宗家の雪辱をはらすために云々かんぬん、と両親が長男に説教、訓戒をしすぎたのだ。何を研究しているのかというと、魔法の一族であるビンデバルドに対しての何のイヤミか、メカニックで、機械関係だったら何でもいいらしい。最近は両親も、半ば見放している。

 長女であるがゆえに距離が取れていたイレーネはそれに比べて順調で、帝国学院時代も、ヴィー姫と同期だったが、大体実力は伯仲しており、射撃や軍事力だったらヴィー姫だったが、それに破壊力あふれる攻撃魔法と、女性らしい政治力で対抗し、卒業式まで張り合っていたという事実がある。そのためザムエルの期待は極めて高く、エックハルトがもし廃嫡になるような事があったら、イレーネが宗家となるだろうと目されていた。

 そのイレーネを尊敬しているのが次女のカトリーン。何しろ、わざとなのか、偶然なのかはわからないが、ザムエルの妻ユーディットが、リマと同い年に産み落としてしまったのが彼女である。当然、家族も一族も、カトリーンにリマに負けるなと激励するが、何しろ向こうには、帝国学院の教育ではなく、次期皇帝としての数え切れない家庭教師や人脈がついている。しかもリマのあっけらかんとしてそれでいて優しい性格が何とも言えない魅力で、カトリーンは常に押され気味だった。カトリーンにとっては、ヴィー姫と最後まで対決を続ける気力があった姉が何とも言えず重圧で、同時に、尊敬の対象なのである。

 三女のルツィアは、基本的にはイレーネやカトリーンによく似た、気位が高く、責任感が強く、努力を惜しまない性質であるが、やはり、まだ子供らしいところがある。イレーネやカトリーンのように目に見えるライバルがいなかったために、まだしも放任され、甘やかされてきたのだ。そのため、のびのびした感情表現や、好奇心からくる行動力にあふれた性格で、イレーネもカトリーンも末っ子の事はよく可愛がっている。



 そういうわけで、イレーネ達は、子どもの頃から、ザムエル達宗家の大人達に、皇家に負けないこと、なんとかしてビンデバルド宗家に、皇后の実家としての権威と権力を取り戻すこと……ホンモノにすることを、目的に、子どもの頃からしっかりとした教育と薫陶を与えられていたのであった。



 イレーネに認められ、契約を結んだバルバラは、侍女長に早速、一日のメイドの仕事を教わり、その日のうちから真面目に働き始めた。



 2~3日は何事もなく過ぎた。

 イレーネは、ヴィーの射撃に負けたくないので、攻撃魔法を強化してくれるであろう、難解な著作を読み切る事に必死だったし、カトリーンとルツィアは真面目に学院に通っていた。

 ザムエルは何やら政治家らしい活動をして家を開けっぱなしだったし、母ユーディットは広大な邸宅を取り仕切るのにあくせく動き回っていた。優雅に読書と魔法研究だけしていたのはイレーネぐらいだった。



 そのイレーネに、「今日は午後のお茶は一緒にしよう」と、ザムエルから誘いがあったのが、その日の朝の事であった。

 イレーネは気だるげな表情で、承諾をし、侍女長に、午後のティータイムはザムエルが来るからそのつもりでと念を押した。

 午前中の時間は、あっという間に過ぎて、約束の、午後三時頃となった。イレーネは、父親に対して失礼のないようにテーブルをセッティングさせ、自分は、部屋着の中でも上等な、華美にならない程度にレースのついた襟のドレスに着替えた。



 程なく、父ザムエル・フォン・ビンデバルドは娘の室に現れた。



「ごきげんよう、お父様」

「ああ、魔法研究は進んでいるか? イレーネ」



 ザムエルは、濃い紫のゆったりした衣装をまとっていた。国の決まりで、よほど高位の人間でなければ身につけられない色がある。その中でも、その濃紫は、ビンデバルド家と皇家ぐらいしかまとえない色であった。ザムエルは普段着にも、その色は必ず入れるようにしている。

 イレーネの方は、それに合わせるように、重厚な色合いのブルーである。一見、男性が好むようなカラーだが、重々しい振る舞いの多いイレーネには似合っていた。

 ちょうどその日は、バルバラがシフトに入っており、侍女長の指図で、熱い紅茶を入れ、ザムエルとイレーネの前に出した。



「ありがとう」

 イレーネは礼を言い、マナーに則った所作で紅茶を飲んだ。

 ザムエルも同様だった。

 茶の他には、古風なプディングやチョコレートなどが用意されている。



 後は、バルバラは、侍女長に言われた通り、部屋の隅に控えた。



 ザムエルはしばらくは、イレーネの魔法の勉強の様子や、近況などを尋ねていたが、次第に、話は皇家の内情の方に偏っていった。

 あけすけな皇帝陛下に向ける寸評なども交えられている。さらに、皇家の姫達が縁づかない事について、正面から当てこすった。見目形は優れているのに、なかなか良縁が結ばれないのは、血筋が悪いのだろうと言った。

「その話は百遍聞きましたわ、お父様」

「まあ、そういうな。聞け」



 イレーネは不機嫌そうな表情で溜息をつき、黙った。

 イヴとヴィーは二十歳にもなって縁づかない。結婚できない。という話を、娘にしたがるこの父親をどうしてくれよう。



 それを言うならイレーネだって二十歳の娘で、結婚どころか、恋人一人いないのである。



 彼女の事を崇拝しているらしき貴族の子息は少なくないらしいが……侍女長などはそう言ってくれるし、まあまあ男友達ならいないわけでもない。だが、誰かから求愛された事はなく、結婚を申し込まれた事も今のところ、ない。そのことを、侍女長に話してみた事があるのだが、年季の入った彼女は、「そういうことはザムエルさまが準備するのです、お嬢様が気になさる事ではございません」と言い切った。

 それで、そういうものかとのんきに構えていたのだが、ザムエルは、イレーネの縁談を探してくる様子もなく、ただただ、地獣人フルフィのサフィヤ皇后の産んだリマや、彼女の姪で養女であるイヴとヴィーの聞きづらい悪口を言ってるだけだ。



(なんかさー……若い娘の悪口言ってるヒマに、私だってききづてならない事を、陰口で言われてるんだろうから、早くいい縁談の一つか二つぐらい持ってきてくれないかなー。それ、私から言わないとダメ?)

 そんなことを腹の中で考えているが、父親が気持ちよく地獣人フルフィ系の皇家の悪口を言っているので、そこは黙って言わせておいた。自分から悪口に乗るような事はしなかった。なぜなら、悪口って、怠いので。



「……全く、アハメド一世の父帝、生粋風精人ウィンディのイクバル五世陛下の頃には考えられなかった醜聞だらけなのだよ、イレーネ。それもこれも、地獣人フルフィの血などを高貴なるアル・ガーミディ皇家に入れたりするからだ。何もかもが、先帝陛下の不明なのだ。そのために今日の帝国の大混乱がある。それを糺すことこそ、”皇后の実家”我がビンデバルドの役割なのだ!」

 娘一人相手に気持ちよく演説をし、そう締めくくるザムエル。世が世なら、彼が皇家の外戚として、国の実権を握っていたはずなのだ。その忸怩たる想いがある。



「その通りですわ、お父様」

 賢いイレーネは気分のいい父親に水を差すような事はせず、しとやかにそう返事をした。

 すっかり気持ちよくなってしまったザムエルは、鼻歌でも歌いそうな空気で紅茶を飲み、菓子を食い、イレーネの美貌や女らしい所作について褒め言葉をいくつか発した。

 そんなことを言われれば、イレーネの方も悪い気はしない。父親と距離を置きたい年頃ではあるが、少しぐらい相手をしてやろうという気分になってきた。



「アスランとイヴ姫の結婚は、イヴ姫ご自身がお嫌だという話でしたわね。イヴ姫はなんでも意中の彼がいるとか。そのお話は、どうなっていますの?」

「ふん、自分から、男の尻を追いかけて、魔王城まで飛び込んでいくような姫の心配など、いらん。だが、その途中で、どこぞの馬の骨の冒険者と、何事かやらかしたのだろう。獣のような地獣人フルフィの血を引く娘だ。我々、生粋の風精人ウィンディの貴族の気持ちなどわからんのさ」

 ザムエルはそんなふうに毒づいた。



 だが、その後、付け足すように言った。



「イヴ姫も皇位継承権は持っているからな。下々の冒険者などと……陛下がお許しにならないだろうが……庶民は何を考えているかわからん、こちらからも誘いの手口は必要だ」



「誘いの手口?」

 イレーネは思わず聞き直した。アディラ皇后やサフィヤ皇后に煮え湯を飲まされたビンデバルド一族である。その宗家であるザムエルは、姫の身でありながら、魔王城を中央突破して魔王の首をはねた三姉妹の功績については、日頃から批判と非難を繰り返している。だが、逆に言うならそれで終わっている部分もあった。イレーネにしてみれば、同い年の自分を奮起させるために、イヴ達の話題をふっているのかと思っている程であった。



 だが、今回に限っては、ザムエルは悪口ではなく具体的に手を打たなければと思ったらしい。



「どういうことですの、お父様」

「言った通りだ。皇位継承権を持つイヴ姫だが、地獣人フルフィの血が入っている以上、相手にする貴族はいないだろう。そう思っていたが、陛下が具体的に縁談をまとめようとするなら、事情は違ってくる。皇家に自分の血を入れたい貴族など、掃いて捨てるほどいる。そのうちの誰かとイヴ姫がまとまって、男児を産んだりしたらたまったものじゃない……そうなる前に、イヴ姫を……」

「待ってください、お父様。まさか……アスランの時と同じことを」



「イレーネ!」

 ザムエルが鋭く娘の名を呼び、イレーネは口に手を当てて黙り込んだ。



 ザムエルは何も言っていない。イレーネも、表向き、何も知らないという事になっている。……だが、そういうことだった。・・・・・・・・・・



 イレーネは何も知らされていない、ザムエルは何も言わなかったが、そこは父娘である。アスラン暗殺事件の黒幕がどこにいるかなど、イレーネは知っているのと同じなのである。その黒幕は、今、自分の目の前で、古風なプディングを貴族らしいマナーで丁寧に切り分けているのだ。

 ザムエルはプディングを切りとると、イレーネの皿の上において、彼女に勧めた。



「コック長はまた腕を上げたな。うまいプディングだ。イレーネも、落ち着いて食べなさい」

「……はい」

 食べている間、ものを咀嚼している間は会話はできない。貴族の食事のマナーではそうなる。つまり、これは、黙ってなさいという暗示だった。イレーネは黙って食べるしかない。部屋の隅では、新人メイドのバルバラが慎ましく音を立てずに控えている。……だが、聞こえているだろう。



「イレーネ、返事はしなくていいが……イヴ姫のお相手に、ジークヴァルトはどうだろうか?」

「……?」



 そこで、ザムエルは、イレーネにとっては全く意外な事を言った。ジークヴァルト。



 ジークヴァルト・ディートリヒ・アル・ガーミディ。

 あるいは、ジャスィーム・ディルガーム・アル・ガーミディ。

 ぎりぎり、アル・ガーミディ……古代の神の末裔である印の名前を保っているが、父の代で、皇位継承権は失っている。恐らく、子の代には、アル・ガーミディとは呼ばれず、臣籍にくだった新しい名前を与えられるか、ただのビンデバルドとなるだろう。



 ザムエルがあがめるイクバル五世の姉のひ孫に当たる彼は、代々、ビンデバルドとの血のつながりを深めてきた家系を持ち、最早、アル・ガーミディ皇家の王子というよりも、ビンデバルド家の王子である。幼い頃から、イレーネもよく知っている人物で、従兄弟のように親しく感じていた。

 そういうわけで、アル・ガーミディの名前ではなく、ジークヴァルトと皆が呼んでいる訳である。



「父上、よいのですか……?」

 父が、実の兄のエックハルトよりも、ジークヴァルトの方に強い思い入れを持ち、子どもの頃から丁寧に配慮して育ててきた事は知っている。その理由も、イレーネだって馬鹿ではないんだから言われなくても知っている。

 その、うっすらと感じ取っている、皇后の実家ビンデバルドを束ねる、ザムエルの腹のうちを探るように、イレーネは恐る恐る声を低めて尋ねた。ザムエルは、あっさりと頷いた。



「ジークヴァルトは、アル・ガーミディ皇家の血を引き、魔大戦でも功績をあげた勇者だ。イヴ姫には全く似合いじゃないか」



 いいのだろうか……。まあ、いくらでも、シナリオはかけるし、ビンデバルドほどの金と権力を持っていれば、あらゆる作戦が可能だ。だが、父の言う事はわかるようで、わからない気がする。



「イヴ姫は全く果報者ですわね」

 二つも三つも色々な意味を加えながら、イレーネはそう答えた。ザムエルはただ笑っている。

 先ほどのザムエルの台詞は、イレーネにはこう聞こえた。



(ジークヴァルトをイヴ姫の寝所に忍ばせて既成事実を作り、イヴ姫の夫にする。その後、イヴ姫の溺愛する妹リマを廃嫡し、ヴィー姫も蹴散らし、足の弱いイヴ姫は女帝になれないと難癖をつけ、結果的にジークヴァルトを皇位につける。その後、イヴ姫は暗殺。そして、ビンデバルド宗家の時代が来る)



 ……。皇家に入る。皇帝になるということは、そういうことなのだった。ビンデバルド宗家にとって。
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